2018年12月1日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【知られざるロシア絵画の世界】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
イントロダクション
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
ロシア第二の都市、サンクトペテルブルク。
ここには美の殿堂と呼ばれる「エルミタージュ美術館」があります。
およそ300万点にも及ぶその収蔵作品を一目見ようと、世界中から観光客がやってきます。
しかしその一方で、「ロシア独自の美術」はそれほど知られていません。
広大な大地と冬の厳しい寒さ、そしてそこに暮らすたくましい人々。
そこから生まれてくる美術は、他の国とは一味違う独特な魅力があります。
《ヴォルガの船曳き(ふなひき)》イリヤ・レーピン
《自画像》1887年
イリヤ・レーピン
トレチャコフ美術館蔵
近代ロシア絵画を語る上で外す事のできない画家がイリヤ・レーピン(1844-1930)です。
19世紀後半から20世紀初頭の激動の時代を生きたロシアの国民的画家です。
《ヴォルガの船曳き》1870-1873年
イリヤ・レーピン
国立ロシア美術館蔵
そんな国民的画家の代表作がこちらの《ヴォルガの船曳き(ふなひき)》です。
レーピンはこの作品で祖国の厳しい状況に置かれた人々を生々しく描いています。
描かれている人々は、体に太い綱を巻き、後方の船を引っ張っています。
船自体が動力を持たない時代、下流へ向かう場合は風の力や水の流れに乗って船を動かしましたが、流れに逆らい上流へ向かう時には、このように陸地から綱などで引いて船を動かしました。
この作品で描かれている船は蒸気船ですが、それでも人が船を曳いているのはその方が安上がりだったというのが理由です。
タイトルにある「船曳き」とはこのように船を引っ張る行為、あるいはそれを行う人々の意味です。
「ヴォルガ」とは、この船曳きが行われているヴォルガ川という川の名前を指します。
レーピンがこの作品を描いたのは20代後半の頃で、まだ画学生でした。
旅行で訪れた際に目撃した”民衆の置かれた厳しい現実”を、幅4メートル以上の大画面に描きました。
「名もない庶民を歴史的英雄のように描くとは何事か」「これは芸術への冒涜だ」など、発表当初はスキャンダルを巻き起こしました。
画像出展元:wikipedia「ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ」より
しかしこの作品はロシア大公のウラジーミル・アレクサンドロヴィチが高く評価し、レーピンの画才を賞賛しました。
その後ヨーロッパ各地で《ヴォルガの船曳き》は展示され、レーピンの名はロシア国外にも知れ渡りました。
移動派
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
この《ヴォルガの船曳き》にはレーピンのみならず、当時の若い画家たちが持っていた共通の理想が込められています。
この当時ロシアでは、サンクトペテルブルクにある美術アカデミーが画壇を支配していました。
それに対して若い画家たちが反アカデミズムの運動を立ち上げたのです。
フランスでは「印象派」、イギリスでは「ラファエル前派」など反アカデミズムの動きがヨーロッパ各地で生まれていく中、ロシアでも同様の動きがあったのです。
《フルスク件の復活大祭の十字行》1880-1883年
イリヤ・レーピン
トレチャコフ美術館蔵
ロシアでの彼らの活動は「移動派」と呼ばれます。
「移動派」の画家たちは伝統的な絵画の制約から離れて、社会的矛盾や民主主義的な理想を作品に反映させるべく立ち上がりました。
移動派の正式な名称は、「移動展覧会協会」といいます。
その名前の通り彼らはロシア各地を移動しながら展覧会を開き、人々を芸術によって啓蒙する活動を展開していきました。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
「移動派」の画家たちが目指したものは、社会や民衆のありのままの姿を描き、そこにある”逞しさ”や”誇り”を絵画で表現する事でした。
《ヴォルガの船曳き》はそんな「移動派」の志を象徴する一枚なのです。
《サトコ》イリヤ・レーピン
《ヴォルガの船曳き》で名声を確立したレーピンは、その後当時の美術先進国であったフランスで学びます。
そしてエドゥアール・マネや印象派の画家たちとの交流し、豊かな色彩感覚を手に入れます。
最新の美術に触れたレーピンは新たな画風を確立します。
《サトコ》1876年
イリヤ・レーピン
国立ロシア美術館蔵
「サトコ」と聞くと日本人だと女性の名前をイメージしますが、この作品では男性で、右側の赤と黒の格好の人物がサトコです。
サトコは、ロシアの叙事詩である『ブィリーナ』の主人公の事です。
先の《ヴォルガの船曳き》とは全く雰囲気が異なるのが、一目で分かります。
吟遊詩人であるサトコは、航海の最中に嵐で舟が難破してしまい、海の王国へとたどり着きます。
そこで海の王に歌を捧げると、王は感激し、褒美として王女の中から妻を選ばせます。
豪華な衣装を纏い、列になって進んでいるのが王女たちです。
レーピンはこの作品でリアルな海底世界を描くために、水族館などに足を運びました。
《サトコ》は完成後パリで発表されますが、あまり評価をされませんでした。
しかし彼の祖国ロシアでこの作品が発表されると、「民族精神を鼓舞する作品」として高い評価を受けるのです。
1876年にはこの《サトコ》の評価により、美術アカデミーの正会員になっています。
《第九の怒濤(どとう)》アイヴァゾフスキー
ロシア美術を語る上で、レーピンと並び欠かすことのできない画家がいます。
イワン・アイヴァゾフスキー(1817-1900)です。
アイヴァゾフスキーは海をモチーフにした作品を数多く描きました。
《第九の怒濤》1850年
イワン・アイヴァゾフスキー
国立ロシア美術館蔵
海の水の表現がたいへん見事な作品ですね~
高さ2メートル以上で、横幅は3メートルを超える大画面に描かれているのは荒れる海の光景です。
ロシアの船乗りの間では、嵐の海に出ると「第一の波」から次第激しくなり、「第九の波」が最も激しく危険だと言われています。
しかしその波を乗り越えれば、救いが訪れると考えられていました。
アイヴァゾフスキーはその”救い”を、感動的な太陽の光で表現しています。
水の表現に目が生きがちですが、太陽の光の表現(光を伝える大気や、海面に反射する光)もたいへん素晴らしいです。
「困難に真っ向から立ち向かいながらも、その向こうには必ず希望がある」
そんな思いがこの作品には込められているように感じられます。
アイヴァゾフスキーの作品はイギリスの国民的画家のターナーや、ロマン主義のドラクロワにも影響を与えたと言われています。
今回の記事は以上になります。
最後までご覧頂きありがとうございました。