2020年5月23日にテレビ東京にて放送された「新美の巨人たち」の【日本の建築美を堪能!旧開智学校校舎&築地本願寺&東京タワー】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
国宝『旧開智学校校舎』
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
長野県松本市にある、『旧開智学校校舎』。
明治9年に建てられた小学校です。
「擬洋風建築」と呼ばれる、西洋の建築になぞらえた様式で造られています。
2019年に国宝に指定されました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
「擬洋風建築」の特徴は随所に見られます。
車寄せのエントランスには、木で作られたギリシャ風の柱が。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
かと思えば、中国風の龍の彫刻がエントランスの上に見えます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
バルコニーには青空のようなブルーに、白い雲が浮かんでいます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
唐破風の屋根の下には、学校名が入った表札を天使が掲げています。
なんだか妙にリアルな天使ですね。羽が茶色なのも不思議です。
「坂の上の雲」のように
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
長い廊下の床は松の板が使われ、壁と天井は白で統一されています。
作られたのが明治の初めなので、当時としては相当ハイカラな印象だったことが伺えます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
開校当初は先生が30人。
児童の数は1000人を超えていましたので、かなりのマンモス校だったことでしょう。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
当時この教室で最も珍しかったのが、こちらのガラス窓でした。
使われた板硝子は全部で約2500枚。その全てが海外から輸入されたものです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
この学校を建てたのは地元の大工の棟梁の立石清重(たていし せいじゅう、1829-1894)でした。
ほんの数年前まで江戸時代を生きていた棟梁が、どのようにして西洋風の学校を建てたのでしょう?
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
立石清重は城下一の大工といわれ、松本藩に出入りするほどの腕前でした。
そんな清重が学校建設のリーダーに抜擢されます。
ところが腕前の確かな清重とはいえども、地方の一大工。
西洋の建築など見た事もなければ、その知識もありません。
そこで清重は東京へ足を運び、最新の西洋風建築を勉強しようと考えます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
為替バンク三井組や東京大学の前身である開成学校をつぶさに研究、一心不乱にスケッチしました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
清重の熱心な研究の末に完成した『開智学校』には、東西と西洋が融合した証がいたるところに見られます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
真っ白な外壁、その下の部分は石を積み重ねているように見えます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
こちらの外壁、じつは石ではなく、漆喰の技でつくられたものなのです。
漆喰で黒色を出すのは高度な技術が求められ、また時間もかかります。
清重は左官の技だけで、西洋の石積みを見事に表現したのです。
表札の天使の正体は?
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
独特な味わいのある表情で学校の表札を掲げる天使。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
じつはこちらは、当時庶民の間で流行した錦絵入りの新聞、その新聞名を掲げている天使たちを引用したものでした。
清重が東京に行った際に持ち帰り、参考にしたのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
国宝『旧開智学校校舎』。
それはまさに文明開化の情熱とエネルギーの結晶なのです。
重要文化財『築地本願寺』
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
重要文化財にも指定されている築地本願寺。
東京は中央区・築地にある浄土真宗本願寺派の寺院です。
高さは34メートル、横幅は約87メートルをほこります。
実に摩訶不思議なその姿は、”日本建築史上最も謎めいたお寺”と呼ばれます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
伝統的な日本の寺院は木造で造られているのに対して、築地本願寺は石造りの建築になっています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
外から見ると大きな屋根はなく、巨大なドーム状のものが置かれています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
石でつくられた階段の先には、4本の石柱が見えます。
その姿はまるで西洋の宮殿のようです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
設計を手掛けたのは、明治から昭和にかけて活躍した建築家の伊藤忠太(1867-1954)です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
”神仏建築の巨人”と呼ばれ、明治神宮や平安神宮も手掛けました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
築地本願寺は江戸時代・1617年に西本願寺の別院として今の日本橋に造られますが、明暦の大火(1657年)により本堂を焼失。
1679年に場所を築地に移して再建するも、1923年の関東大震災による火災で焼失します。
そんな中、新たな本堂の設計に任命されたのが、伊藤忠太でした。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
ではどうしてこのような不思議な造形の寺院になったのでしょうか。
鎮魂と復興 祈りの形
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
明治35年、伊藤忠太は帝国大学の教授になるにあたり、政府から3年間のヨーロッパ留学を命じられます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
伊藤はヨーロッパに到着するまでを3年間と考え、中国から中央アジア、インド、中東、ヨーロッパを回る壮大な旅を経験しました。
各地で人類と建築の歴史を学び、日本建築のルーツを探ったのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
こうして昭和6年、工事が着工します。
震災の教訓を生かし、地震と火災に負けない建築にするために、鉄骨と鉄筋コンクリートを使い、その上に石が積み上げられました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
着工からわずか3年、昭和9年に竣工します。
これは当時としては異例のスピードでした。
出来上がった本堂の姿は、あっと驚く”インド風”建築でした。
伊藤はこの本堂に鎮魂と復興の祈りを込めました。
その思いがこの姿になったのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
本堂には土足のまま入る事ができます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
内部はまるでお寺と教会を合わせたような造りになっています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
備え付けられたパイプオルガンは、”仏教賛歌”という合唱曲の伴奏に使われます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
圧巻なのはご本尊が安置されている内陣です。
豪華な黒漆塗りの床の上に、高さ3メートル超える黄金の宮殿(くうでん)。
ここには金沢の職人の手による、5万枚もの金箔が使われています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
装飾が施された化粧柱や化粧梁には、岩絵具で描かれた鮮やかな文様が見えます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
これはコンクリートの上にモルタルを塗り、そこに布を貼り付け、さらにその上に漆を施し、岩絵具で描くという手の込んだ作りになっています。
伝統技法と最先端の技術が見事に融合しているのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
入口正面。
階段の両脇には想像上の動物、阿吽がいます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
その他にもゾウやサル、馬など至る所で動物の姿を見る事ができます。
なぜ寺院にこれほどまで動物がいるのでしょう?
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
その秘密は伊藤のスケッチにありました。
子供の頃、漫画家を志していた彼は怪物やお化けの絵をスケッチに残しています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
伊藤は「化け物とは、人間誰しも幼い頃におとぎ話などで触れており、実在しない存在でありながら、誰もが慣れ親しんだ存在である」と考えたのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
その不思議な動物や異形のものを寺院に配することで、人々と築地本願寺を繋ごうとしたのです。
「仏教とは何か?お寺とは何か?」
その探索の果てに生まれた寺こそ、築地本願寺だったのです。
今回の記事はここまでになります。
この続き、東京タワーについての記事はこちらからご覧ください☟☟
【新美の巨人たち】東京タワー【美術番組まとめ】