2018年3月4日にNHKで放送された「日曜美術館」の【イレーヌ ルノワールの名画がたどった140年】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧頂けます。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
ウケなかった「イレーヌ嬢」
ルノワールが気合を込めて描いた《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》。
しかしイレーヌの両親はこの絵を気に入りませんでした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらはイレーヌの母親、ルイーズ・カーン・ダンヴェールの肖像画です。
作者のカロリュス・デュランは肖像画家の重鎮で、古典的な表現で人気を博しました。
まるで中世の王侯貴族のような佇まい。
これこそがカーン・ダンヴェール家の求めた肖像画だったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
『イレーヌの肖像』はカーン・ダンヴェール家の中で、人目に触れない場所にひっそりと置かれる事になりました。
《アリスとエリザベス・カーン・ダンヴェール》1881年
ピエール=オーギュスト・ルノワール
ブラジル、サンパウロ美術館蔵
こちらはイレーヌの二人の妹の肖像画です。
しかし単独ではなく、2人セットで描かれています。
元々は2人それぞれの肖像画のオファーでしたが、《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》が気に入ってもらえず、このようにセットで描かれる事になったのです。
こちらも作品も母親には気に入られず、使用人の部屋に飾られる運命でした。
その結果、ルノワールへの報酬も期待したほどのものではありませんでした。
「あの家族は本当にしみったれだ。私は金輪際、あの家族とは手を組まない」
ルノワールはカーン・ダンヴェール家に対して怒りを露にしました。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
「当時最先端の技術を持った印象派の画家たちに起こりがちな、『新しすぎて受け入れられない』という経験をルノワールもやっぱりしていたんですね。しかもこの作品で。」(井浦新氏)
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
2つの作品を並べてみると、まず人物の輪郭の描き方が違います。
母親の肖像画のように”くっきりとした輪郭”で描かれるのが、当時の理想でした。
母親の肖像画の完成イメージでいるところに、この『イレーヌの肖像』がくると、確かにびっくりするかもしれませんね!
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
もしかすると、当時の感覚では「こんなものは完成作ですらない、なんて雑な絵を描いてくるんだ」と思われたかもしれません。
「イレーヌ嬢」を襲った悲劇
『イレーヌ嬢』が描かれてから60年、この絵も時代の激動に飲み込まれていきます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
1939年、ナチスドイツがポーランドへ侵攻。第二次世界大戦が始まります。
翌年4月にはデンマーク、ノルウェーへ侵攻し、5月以降オランダ、ベルギー、そしてイレーヌの暮らすフランスへ攻め込みます。
フランスはナチスドイツに早々に降伏し、パリは占領下に置かれました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ヒトラーには2つの野望がありました。
1つはユダヤ人を滅ぼすこと。
そしてもう一つが「美術館の建設」でした。
ヒトラーはかつて画家を志していた時期がありました。
美術にも知識があり、特にフェルメールを好んでいたといいます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
権力の象徴として、ドイツ帝国を象徴する美術館の建設を夢見たのです。
その美術館に飾る作品のために、ナチスドイツはヨーロッパ中で美術品を略奪を行いました。
その数は数十万点といわれています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
特に芸術大国のフランスは最大の被害国でした。
パリの裕福なユダヤ人が持つ美術品は、「所有者なし」とされ、問答無用で強奪されました。
略奪された美術品は、セーヌ川沿いに建つジュ・ド・ポーム美術館に集められました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
このジュ・ド・ポーム美術館を度々訪れていたのが、ヒトラーに次ぐナチスのNo.2、ゲーリングでした。
ゲーリングは印象派の絵画を好み、気に入った絵を我が物にしていました。
そんな中、『イレーヌの肖像』もゲーリングに奪い去られ、その後行方が分からなくなってしまいます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
イレーヌは二度の結婚をし、三人の子どもをもうけていました。
この当時『イレーヌの肖像』は長女のベアトリスが所有していました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ベアトリスは同じユダヤ人と結婚し、パリで家庭を築いていました。
『イレーヌの肖像』を奪われた後、ベアトリスの一家は強制収容所に送られます。一家はそこで命を奪われました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
「美術品っていうものは時として、人を狂わせたりというそういう側面もあるんだなっていうのを改めて感じた」(井浦新氏)
今回の記事はここまでです。
パート3では『イレーヌの肖像』がどのようにイレーヌの元へ戻り、現在の所蔵先であるビュールレ・コレクションとなっていったのかをまとめます。
こちら☚からご覧いただけます。
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[…] 今回の記事はパート3になります。 前回のパート2はこちら☚からご覧頂けます。 […]