【ぶらぶら美術・博物館】小村雪岱スタイル①【三井記念美術館】

ぶらぶら美術・博物館

2021年3月9日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#372 三井記念美術館「小村雪岱スタイル 江戸の粋から東京モダンへ」〜歴史に埋もれた“和モダン”の天才が今、復活!山下裕二先生の徹底解説で〜】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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イントロダクション

今回の記事では2021年2月6日から4月18日まで三井記念美術館で開催の展覧会『小村雪岱スタイル 江戸の粋から東京モダンへ』についてまとめます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

小村雪岱(1887-1940)は、大正から昭和にかけて活躍しました。
画家でありながら、本の装幀挿絵グラフィックデザイン舞台美術など様々な仕事を手掛けました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

現在でも資生堂で使われている「資生堂書体」を制作したのも小村雪岱です。

商業美術の世界で偉大な足跡を残し、日本のグラフィックデザイナーの元祖といわれます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

それだけの功績を残しながらも、つい最近まで雪岱の名はそれほど知られていませんでした。

その理由を展覧会監修の山下裕二先生は次のように述べています。
そういう商業美術的な世界に身を置いた人は、本流の画壇からずれているという事で、今までアカデミックな研究がなされていなかった。
今後は『(雪岱のような)商業美術家の逆襲が始まって欲しい!』」

さらに山田五郎さんは「そうやって商業美術を一段下にしてしまったのが、逆にアートを人々から遠ざけてしまった」と言います。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

今回の展覧会では、雪岱が手掛けた装幀本をはじめ、肉筆画など貴重な作品が展示されています。

泉鏡花『日本橋』 装幀:小村雪岱

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらは小村雪岱の装幀家、そしてグラフィックデザイナーとしてのデビュー作『日本橋』です
デビュー作にして雪岱の代表作ともいえる作品です。

明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家・泉鏡花日本橋』という作品の装幀です。
山田五郎さん曰く「僕ら古書好きは、小村雪岱を最初に知ったのがこれ」だそう。

”日本橋”にある三井記念美術館で、『日本橋』の装幀を見るっていうのがいいですね♪

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

現在こちらの雪岱が装幀を手掛けた『日本橋』は74万8千円の値が付くといいます。
(ちなみに山田五郎さんが高校生の時でも既に10万円くらいしたとか)

非常にかわいいポップなデザインですよね!

日本橋の両脇に土蔵が立ち並び、そこに船が行き交い、蝶が飛んでいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そして本を開くと、雪岱が描いた挿絵が現れます。
こちらは春と夏の情景です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そして秋・冬となります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

非常に洗練された、いわゆる「和モダン」なデザインになっています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

山田五郎さん竹久夢二(1884-1934)もモダンといわれますが、雪岱夢二では”テイストが違う”といいます。
夢二の方が「アール・ヌーヴォー」で、雪岱が「アール・デコ」になるのだとか。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

デビュー作にして代表作になるような『日本橋』を描けたのも、雪岱にしっかりとした日本画家の基礎があったからなのです。

雪岱は10代半ばで画家を志し、東京美術学校(現東京藝大)に入学、日本画の基礎を学びます。

卒業後は美術雑誌「國花(こっか)」を発行する國花社に勤務し、図版制作に携わります。
古典の模写を経験し、さらに絵巻物・琳派・浮世絵についての知識を深めていくのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

泉鏡花は当時すでに売れっ子作家で、雪岱鏡花に非常に憧れていたといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

20代の頃に二人は出会い、雪岱は自身の卒業制作のテーマも鏡花の小説「春昼」を取り上げています。

さらに「雪岱」という号の名付け親も鏡花で、雪岱の妻・八重も鏡花からの紹介でした。

まさに「鏡花なくして雪岱なし」といった感じですね。

鏡花雪岱が、自分の作品世界をたいへんよく理解しているという信頼感があったので、装幀家としての実績のない雪岱に、「日本橋」の装幀を任せたのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

雪岱の描いた装幀はたちまち評判となり、以後の鏡花作品の装幀も雪岱が担当するようになるのです。

泉鏡花『鏡花選集』 装幀:小村雪岱

日本橋』の装幀で鮮烈なデビューを飾った小村雪岱
その後に手掛けた鏡花作品の一つがこちらです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの『鏡花選集』はたいへん良く売れた為、非常に版が多く、今でも初版でなければ数万円で手に入れることができるといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

このような文庫本くらいのサイズは袖珍本(しゅうちんぼん)といい、当時非常に人気がありました。
袖珍本というのは和服の袖の中に閉まっておけるサイズの本の事を指します。

今でいうポケットに入る文庫本、みたいな感じですね。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらの見返しの絵が非常に面白い情景を描いています。
うなぎ屋の店(青い暖簾の店)の横に、うどん屋が屋台を出しています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

これはどういうシチュエーションかというと、うなぎのにおいに釣られてうなぎ屋を訪れた客で、値段が高く諦めた人をうどん屋が狙っているという状況なのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

『日本橋』の装幀を手掛けて以降、鏡花作品の装幀は雪岱の独占状態になりますが、それ以前に装幀を手掛けていたのが、近代日本画の巨匠・鏑木清方でした。

清方雪岱よりも9歳年上の先輩です。
鏡花作品の装幀も数多く手掛けていましたが、『日本橋』や袖珍本のヒットにより、それ以降ほとんどの装幀を雪岱が担当する事になったのです。

それじゃあ二人はライバルみたいな関係だったのかな?

と思われますが、じつはそうではなく、二人の関係は良好で、現に清方雪岱の技量を高く評価していたといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

清方は自身のエッセイの中でこのように述べているほど、雪岱の事を高く評価していました。

鏡花作品の装幀を清方から引き継いだ雪岱ですが、『鏡花全集』の装幀については、「鏡花さんと付き合いが長い、清方さんが装幀するべきです」と言い、雪岱清方に譲りました

雪岱清方はお互いに「あなたがやるべきだ」「いや、あなたがやるべきだ」と譲り合うような間柄だったのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

泉鏡花は昭和14年に65歳で亡くなります。
その後わずか1年後、まるで鏡花の後を追うかのように雪岱も53歳で亡くなるのです。

二人の間には何か”切っても切れない縁”のようなものがある気がしてなりません。

今回の記事はここまでです。
この続きはパート2にて!
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コメント

  1. […] 今回の記事はパート2になります。 前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。 […]

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