2021年5月23日にNHKで放送された「日曜美術館」の【フランシス・ベーコンの秘密 バリー・ジュール・コレクション】の回をまとめました。
今回の記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☚からご覧ください。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
ジョージ・ダイアーとの出会い
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
1998年にイギリスで公開された映画『愛の悪魔~フランシス・ベイコンの歪んだ肖像~』。
同性愛者だったベーコンと、その恋人のジョージ・ダイアーとの出会い・別れを描いた映画です。
写真家のレスリー・キー氏は来日間もない頃にこの映画を見て、その意味をずっと考えていたと言います。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
映画の中には、ベーコンの絵画作品を彷彿とさせる場面も登場します。
このシーンでは、ベーコン作品によく見られる、人を囲う檻のような映像表現がされています。
ダイアーは酒に溺れて、ベーコンとの関係は次第に悪化していきます。そして1971年、ベーコンの個展開催の前日にホテルでダイアー亡くなっているのが見つかります。
死因は薬物の過剰摂取で、自殺でした。
「手に入ったら、逆に傷つけたい、壊したい人。そうする事で、生まれてきたものが、更に彼の中で美しいものの気がする」とレスリー氏は言います。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ベーコンはダイアーとの関係の中で見えてきたものを、いくつもの絵画に残しています。
ダイアーは最も有名なベーコンの作品群の題材となる男だったのです
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
「ベーコンは絵を描くために犠牲が必要だった。自分の愛する人、愛する気持ちを犠牲にする、それによって生まれてきた感性が彼の絵になるんじゃないですかね」(レスリー氏)
写真上のドローイング
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
バリー・ジュール・コレクションの展覧会、最後の展示室。
ベーコンによってペイントが加えられた写真の作品が展示されていました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
それらはまるでベーコンの秘密の部屋。
他人に見せない一面を覗き見るような、濃厚な匂いに満ちています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
チャップリンによる映画『殺人狂時代』、そのモデルとなったフランスのシリアルキラー、アンリ・ランドリュー。
この写真は裁判中、延々と無罪を主張する姿を写したものです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
レスリー氏はこれらの写真について、「肉体を表現するものが多い」と言います。
スポーツの写真だと、腕が見えたり、胸が見えたりと筋肉が強調されているものが多いのです。
「多分そこがすごく彼はある意味好きだね。恋する。片思い」(レスリー氏)
また、レスリー氏はベーコンの作品には、「愛」と「エロティック」が共存しており、そこに孤独や怒り、嫉妬、苦しみといった感情も包み隠さず描かれているといいます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
絵画を描いているフランシス・ベーコンは”画家”ですが、これら写真にペイントを加えているのは”一人の男”であり、さらに”男を愛する男”なのです。
ベーコンはこれら写真の男性との関係性を作りたいという思いから、このようにペイントを加えたのかもしれません。
晩年のベーコン
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ベーコンを取りまいた数々の男たち。
その中でもバリー・ジュールは亡くなるまでの14年間、最も近い距離でベーコンと接していました。
ジュールの見たベーコンは、”恐怖や孤独と向き合う偉大な画家”としてではなく、”どこにでもいる老人”であり、”ごく普通の人間”でした。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ジュールの元には、ベーコンの署名の入った手紙や公文書。
果ては食事のレシートまで、当時のものが残されています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
その中でも特に貴重なのが、ベーコンの許可の元録音された肉声テープ。
およそ160時間に及びます。
語られている内容は当時の画家(ピカソ)や美術運動(アンドレ・ブルトンやシュルレアリスム)など。
スイス出身の彫刻家ジャコメッティがベーコンのアトリエに訪れた事も語られています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
会話の様子からは、二人の親密な関係が伺えます。しかし二人の友情の日々はある時終わりを告げるのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ベーコンは当時ロンドンで働いていた若いスペイン人ホセ・カペッロと恋に落ちました。
二人は約2年間、秘密の恋愛関係を持っていました。これはほとんど知られていない事だとジュール氏は言います。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
しかし突如、ホセはベーコンに別れを告げます。
失意に沈むベーコン。彼はホセを忘れられず、なんとか関係を修復しようと試みます。
創作活動も思うようにいかず、また持病の心臓弁膜症も悪化していました。
そんな時もジュール氏はベーコンのそばで多くの時間を共にしたと言います。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
1992年4月、ベーコンはホセのいるマドリッドに行く事を決めます。
そしてこの時にベーコンからジュールに渡されたのが、今回のジュール・コレクションだったのです。
ドローイングでいっぱいになった車でジュールはベーコンを空港まで送りました。
そこで別れの挨拶と固い抱擁をし、見送ったのです。
そしてこれが結果的にベーコンとの最後の時間になりました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ジュールと別れて10日後の1992年4月28日。
マドリードで心臓発作で倒れ、付きそう人もないまま、ベーコンは帰らぬ人となりました。
83歳でした。
今回の記事はここまでになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント
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