【アート・ステージ】桜を描いた名画【美術番組まとめ】

アート・ステージ

2020年4月4日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【絵画でお花見 桜を描いた日本画の名品】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

今年はコロナウイルスの影響で、お花見に行けなかった方も多いかと思います😢
今回は「」を描いた日本画の名画の数々をご紹介していきます。
ぜひ最後までご覧になってください(*^^*)

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イントロダクション:桜

」といえば、”日本を象徴する花”と言ってもいいでしょう。
平安時代の頃から、その美しくもはかなく散る姿は和歌にも詠まれてきました。

それから現代に至るまで、多くの日本人の画家の心を捉えてきました。
先ずは近代日本画の巨匠、横山大観(1868-1958)作品から見ていきましょう。

《山桜》横山大観


《山桜》1934(昭和9)年
横山大観
山種美術館蔵

これはまた風情のある良い桜ですね~

この作品は大観が60代半ば、すでに日本画壇で確固たる地位を築いていた頃の作品です。

桜と言えば一般的に”ソメイヨシノ”を思い浮かべますが、大観はこの作品で”山桜”を描いています。
シンプルな背景の中にすっと伸びる山桜。
右から左へと流れる風が舞い散る花びらだけでなく、木のうねる向き、そして丘の柔らかな輪郭線からも感じられます。

濃淡で表現された幹からも力強さ、画面をはみ出さんとする勢いのある枝ぶりからは生命力を感じられます。


淡く繊細な色彩は、春のやわらかな空気も伝えます。
山桜はソメイヨシノと違い、花と同時に葉を茂らせる事で知られます。

その花と葉の見事な調和が山桜の魅力です。
大観もその美しさに魅了されました事でしょう。

《桜下美人図》菱田春草


《桜下美人図》1894年(明治27)年
菱田春草
山種美術館蔵

日本画において、桜は美女とセットで描かれる事がありました。

こちらは明治期の日本画家、菱田春草(ひしだ しゅんそう、1874-1911)が20歳の時に描いた”桜”の名画です。
彼は若い頃、先の横山大観と共に岡倉天心の下で学んでいました。

画面には満開の桜が描かれています。
春の香りが伝わってくるようなそんな表現です。

桜の下には3人の美女の姿が見えます。
そのたおやかな佇まいは、伝統的な美人画の姿です。


一番左の女性に注目して見てください。
この女性どこかで見た覚えがありませんか?


あの菱川師宣が描いた肉筆浮世絵の傑作《見返り美人図》と同じポーズをしています。
見返り美人図》は《桜下美人図》の約200年前に描かれた作品です。

菱田春草は明治期に日本画の革新に多大な貢献をした画家です。
しかし彼は新しいものだけを追うのではなく、この《見返り美人図》にような過去の傑作に対しても目を向けたいたことが分かります。

彼は1911(明治44)年に病に倒れ満37歳の誕生日を目前にしてこの世を去りました。
春草の死後、横山大観は自身が評価された際には「菱田春草の方がずっとうまい」と答えたといいます。

《児島高徳》橋本雅邦


《児島高徳》1899(明治32)年
橋本雅邦
山種美術館蔵

*読み方は作者が「はしもと がほう」、作品名が「こじまたかのり」です。

橋本雅邦(1835-1908)は明治期に活躍した、狩野派の流れをくむ日本画家です。

描かれている人物が作品名にもなっている児島高徳です。
彼は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍したとされる武将です。

南北朝時代、彼は後醍醐天皇に忠誠を尽くして南朝側で活躍しました。
1332年に隠岐島に流された後醍醐天皇を救おうとしますが、失敗してしまいます。

児島高徳はその時の無念の心境を桜の木に書きました。
画家・橋本雅邦はその場面を描いています。

作中で児島高徳は左手に筆箱を握っています。
胸に秘めた無念の想いが、彼の表情から伝わってきます。
彼の眼差しは天皇のいる方角に向けられているのです。


そんな児島高徳を見守るかのように咲き誇る頭上の桜。
橋本雅邦はこの劇的な場面を格調高く描いています。

児島高徳は『天は決して帝をお見捨てにはなりません』と桜の木に書きました。

彼は身の危険を冒してまで、天皇を救おうとしました。
しかしその甲斐もなく、不達に終わります。
頭上で舞い散る桜の花びらは、そんな児島高徳悔しさや悲しみとリンクするようです。

《吉野》奥村土牛


《吉野》1977(昭和52)年
奥村土牛
山種美術館蔵

*読み方は作者が「おくむら とぎゅう」、作品名が「よしの」です。

描かれているのは桜の名所として知られる奈良県の吉野山の風景です。
高い視点から見下ろした風景には、春の情景が広がっています。

一番手前に咲く桜ははっきりと描かれていますが、遠景に咲く何千本の桜は、まるで雲や霧のように表現されています。
奥村土牛は、この霞んだような表現を出すために、ごく薄い色を何度も重ねて表しています。

おぼろに咲く桜の色合いは幻想的な雰囲気です。

これは実際の吉野山の風景を見てみたくなりますね!

奥村土牛(1889-1990)は、現代日本画を代表する画家です。
この《吉野》は御年88歳の時の作品です。

すごい!の一言に尽きますね。

その後1990年に101歳でこの世を去ります。

富嶽百景《木花開耶姫命》葛飾北斎

画像出展元:「山口県立萩美術館・浦上記念館 作品検索システム」より

読み方は「このはなさくやひめのみこと」です。

富嶽百景」は「富嶽三十六景」が完結した翌年から描かれたものです。

この作品がどうして”桜”に関連する作品なの?

じつはタイトルにもある「木花(このはな)」の”木に咲く花”というのは「桜」の事なのです。
描かれている女性は日本神話に登場する女神です。
手に持つ鏡は、高貴な女性の象徴と言われています。

女神の名前である「このはなさくやひめ」の「さくや」の部分が”桜”の語源になったという説もあるほど、桜とは縁の深い女神なのです。

富嶽三十六景《東海道品川御殿山ノ不二》葛飾北斎

桜の下で宴会をする「花見」は古来から行われてきた風物詩でした。
しかし、元々は上流階級の人たちが嗜むものでした。
花見が庶民にも広まったのは、江戸時代の八代将軍・吉宗の頃と言われています。

最後の作品は葛飾北斎の「富嶽三十六景」の《東海道品川御殿山ノ不二(とうかいどうしながわごてんやまのふじ)》です。
富嶽三十六景」の中で唯一桜が描かれた作品です。

色の深みがすごいなぁ!

今回はここまでです。
最後までご覧頂きありがとうございました。

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