2021年11月23日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【孤高の洋画家 鴨居玲】についてまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
孤高の洋画家 鴨居玲
何も語らない肖像が手にしているのは、はぎとった自分の顔。
望むのは生か死か。
鴨居玲(1928~1985)は死への恐怖と向き合い続けた画家である。
1928年、金沢の生まれ。
実際はその前年に誕生していたが、出生届が遅れたことにより徴兵を免れた。
戦後、金沢美術工芸専門学校に入学。宮本三郎に師事する。
宮本三郎から「なぜ描くのか、何を描くのか。常におのれに問いかけよ」と叩き込まれた。
《観音像》は出征したまま戦後3年経っても行方知れずの兄を思って描いた作品である。
はっきりと描かれた右半身とおぼろげにとけていく左半身。
祈りと諦めの相克が織りなす傑作だが、発表から程なく兄の戦死通知が届いた。
その後は思うような評価を得られず、
またそれ以上に何を描きたいのかわからぬ焦燥感にさいなまれた。
37歳のとき日本脱出を決意。
ブラジルに渡り、更にパリ、ローマと2年あまりを海外で過ごす。
特別な出来事はなかったが、あえて言えば「自分が描くのは人だ」と気づいたことであろう。
帰国後発表したのが《静止した刻》である。
サイコロ遊びに興じる人々の赤裸々な姿。
独特な緊張感を見事に捉えたこの作品で第12回安井賞を受賞する。
1971年、スペイン・バルデペーニャスに移住。
鴨居は親しみを込めて「私の村」と呼び、
そこに住む人たちをひたすら描いた。
鴨居はこのような言葉を残している。
貧しい老婆。
両腕を失った兵士。
踊る酔っ払い。
人間に潜む醜さや弱さ、それを跳ね返して生きる強さ。
鴨居の描く人物は、すべて他人の顔をした鴨居自身であった。
自己の芸術世界を築き上げ、更なる高みへ歩みながらも、奈落へと落ちていく。
つきまとう蛾は、言葉の虚しさである。
何を語っても誰とも分かり合う事はできない。
いつしか酒と睡眠薬が手放せなくなり、狭心症で心臓発作を起こすたび「ミスターXが来た!」と知人に電話をかけた。
正装した鴨居が胸につけているのは、酒瓶の蓋。
富も栄誉も酒ほどの意味はない、とばかりに。
ついには自分の顔さえ剥ぎ取り、残ったのはいつしか揶揄したのっぺらぼうな人間だった。
1985年9月7日、神戸のアトリエで自ら命を絶つ。
イーゼルには鮮烈な赤の自画像が残されていた。
改めて依頼品を見てみよう。
鴨居玲の女性像2点で、サインからするとそれぞれ鴨居が39歳と41歳のとき。
ブラジルから帰国し、安井賞を受賞した頃の作である。
詳しく調べたところ、モデルは当時恋人とウワサされていた中西美代子という女性のようだ。
憂いを帯びた表情。
鋭く軽やかにループする線描は、いかにも鴨居らしいが…
果たして鑑定やいかに?
リベンジ成功!本物 270万円

270万!
「まずよく見つけてくださったな、と思って」
「鴨居っていう人間は究極の二面性を持ち合わせていた人物だったんですね」
「自分の周りにいる知人とか、学校の生徒さんとかを結構こういうふうに描いているんですよ。ですからそういう意味ではこれは鴨居の明の部分」
「髪の毛の描写、少しループするような線を描き重ねていくっていうのは、鴨居の表現の特徴なんですよね」
「表情を暗くして、背景にガッシュっていう絵の具のシルバーホワイト系を明るく置く事によって、人物が浮き出たような演出もなされているし、表情も非常に優しげですし」
「左手の指先まで丁寧に描ききっている」
「それからデッサンのほうですけれども、これはおそらくその場で即興で描いたんでしょう」
「鼻から口元にかけての特徴っていうのも、うまく捉えていると思います」
「ホントに両方とも貴重な作品ですし、よく拾って頂けたと思うので、是非これからも大切にしてください」
今回の記事はここまでになります。