【アートステージ】東郷青児【美術番組まとめ】

アート・ステージ

2020年6月13日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【東郷青児 昭和を代表する美人画家】の回をまとめました。

番組内容に沿ってそれでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

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イントロダクション

新宿のSOMPO美術館では、2020年7月10日㈮から9月4日㈮まで開館記念展「珠玉のコレクション—いのちの輝き・つくる喜び」が開催されています。


この展覧会のポスターにゴッホの名画《ひまわり》と並んで掲載されている女性の絵を描いたのが、東郷青児(とうごうせいじ、1897-1978)です。

夢見るように閉じた大きな目、どこかメランコリックな横顔。
甘い感傷に満ちた女性像は「青児美人」の愛称で親しまれ、幅広い層に愛されました。

SOMPO美術館」元々は「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」の名称で損害保険ジャパン本社ビル42階にありましたが、今回敷地内に移動し、名称も新たに生まれ変わりました。

元の美術館の名称にも東郷青児の名が使われており、この美術館とたいへんゆかりの深い画家なのがお分かり頂けると思います。

今回は東郷青児の生涯、そして彼の作品についてまとめていきます。

画家 東郷青児

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

東郷青児は昭和を代表する美人画家です。
1897(明治30)年鹿児島市に生まれました。

幼い頃に家族で東京に引っ越します。
そして中学に入ると、東郷は絵を描き始めます。


《黒船屋》1919年
竹久夢二
竹久夢二伊香保記念館蔵

思春期の多感な東郷を魅了したのは、”大正ロマン”の代名詞とも言える竹久夢二の美人画でした。
東郷竹久夢二が日本橋に開いた「港屋絵草紙店」に出入りし、やがて下絵描きなどを手伝うようになります。

画像出展元:wikipedia「Kōsaku Yamada」より

また当時ドイツから帰国したばかりの作曲家・山田耕筰との出会いもありました。
ヨーロッパ帰りの山田耕筰から、西洋の最新の美術であるキュビスムや表現主義を学び、瞬く間に自らのものにします。
さらに来日した「ロシア未来派」の画家たちとも東郷は交流をしています。

そして1916年、若干18歳にして二科展に初めて作品を出品します。
それが次の作品です。

《パラソルさせる女》


《パラソルさせる女》1916年
東郷青児
SOMPO美術館蔵

当時としてはかなり斬新な表現で描かれた作品です。
この《パラソルさせる女》により、東郷の名は一躍画壇に響き渡る事になります。

まるで万華鏡のように幻想的な色彩。
全体に幾何学的な構成になっていますが、よく見ると中央に女性の顔が見え、手にはパラソルをさしているのが分かります。

この当時は写実的な洋画が主流でした。
そこに彗星の如く現れた東郷の自由な色彩と斬新な画面は、大きな衝撃を与えこれ以降東郷は「未来派の画家」と呼ばれるようになります。

パラソルさせる女》は日本で最も早い前衛絵画の一枚だと言われています。

《超現実派の散歩》

東郷は《パラソルさせる女》を発表した6年後、24歳の時に芸術の都・パリへ留学します。
当時の芸術の中心地として、キュビスムダダシュルレアリスムなど様々な新しい芸術が溢れていました。
東郷は当時の最新の美術に触れ、またその表現者たちとも直に接しました。

そして1928年に7年間のフランス滞在を終え帰国するのです。


《超現実派の散歩》1929年
東郷青児
SOMPO美術館蔵

帰国して間もなく発表されたのが、《超現実派の散歩》です。

描かれているのは、月を仰いで宙に浮かぶ男の姿。
シンプルなフォルムと色彩で表現されていますが、それが幻想的な雰囲気を醸し出しています。

東郷の画風は「新傾向」と呼ばれ、大きな話題となりました。
持ち前の感性とフランスで身に着けた最先端のセンスがそこにはあったのです。

初期の頃はこのように前衛的な画風の作品を描きましたが、後期になると優雅で親しみやすいスタイルへと作風は変わっていきます。

《望郷》


《望郷》1959年
東郷青児
SOMPO美術館

青児美人」とうたわれた甘美な女性像。
そんな東郷青児の代表作とも言える《望郷》。
東郷が62歳の時に描かれました。

描かれているのはそっと頬に手を沿えた女性。
うつむいて目を閉じた表情。
故郷に思いをはせるその姿をロマンチックに描いています。

柔らかな曲線と穏やかな色彩で、甘くノスタルジックな雰囲気が漂います。

東郷はこの作品を1959年の日本国際美術展に出品し、大衆賞を受賞しました。
大衆賞とは展覧会を訪れた一般入場者から最も多くの票を集めた賞です。

この作品が当時いかに多くの人の心を捉えたかが分かります。

《バラ一輪》


《バラ一輪》1966年頃
東郷青児
SOMPO美術館蔵

さいごにもう一枚、晩年に描かれた作品をご紹介します。
こちらの《バラ一輪》は、代表作《望郷》から更に7年後に描かれました。

伏し目がちな大きな目。
バラの匂いを嗅ごうとしているのでしょうか。
その指はほっそりとしています。

美しい横顔はまさに「青児美人」そのものです。

SOMPO美術館について

SOMPO美術館の始まりは、1976年まで遡ります。
開館当初の美術館の名称は「東郷青児美術館」、東郷が78歳の時に開館しました。

元々の東郷青児と損保ジャパンの関係は、1930年代初めに顧客に配布するためのカレンダーに東郷の作品が掲載されたのがきっかけでした。

その名前の通り、東郷青児のコレクションを中心とした構成でしたが、次第にその他の画家の作品も増やしていきました。

 

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

1987年にはゴッホの《ひまわり》がコレクションに加わりました。
その当時の購入価格は約58億円と高額だった事もあり、たいへん話題になりました。

ゴッホはこの花瓶に生けた『ひまわり』を全部で7枚描いています。
ですが現存するのは6枚で、1枚は戦争による空襲で焼失してしまいました。

ゴッホの《ひまわり》については別の記事で詳しく解説しています。
よろしければこちらもあわせてご覧ください。
こちら☚から。

SOMPO美術館にはゴッホ以外にも西洋美術の巨匠の作品が収蔵されています。


《りんごとナプキン》1879-1880年
ポール・セザンヌ
SOMPO美術館蔵

こちらは「近代絵画の父」と呼ばれるポール・セザンヌの作品です。
他にもアルルでゴッホと共同生活をしたポール・ゴーギャンやフランス印象派のルノワールの作品などを見る事ができます。

今回の記事は以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございました。

「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」のこの回以外の記事もアップしています!
こちら☚から一覧をご覧いただけますので、是非ご覧ください(*^-^*)
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