2019年1月8日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#294 感じる!読み解く!ロシア美術「ロマンティック・ロシア」展~ロシアの“モナ・リザ”《忘れえぬ女》謎多き名画が来日!~】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
イントロダクション
今回は2018年11月から2019年1月にかけてBunkamura ザ・ミュージアムで開催されました「ロマンティック・ロシア」展についてまとめていきます。
この展覧会ではロシアの国立トレチャコフ美術館が所蔵する、珠玉のロシア美術を堪能することができました。
「ロマンティック・ロシア」というタイトルが付けられていますが、美術史における”ロマン主義”とは関係なく、シンプルに”ロマンティックに感じるロシア美術”が展示されていました。
ロシアの美術が日本で有名ではない理由
”ロシアの美術”と聞いて、パッと作品が思い浮かぶ方は少ない事と思います。
ロシアの美術がそこまで知られていない理由の一つは69年間のソ連時代、他国に美術作品を貸し出すという事があまりされなかったのが大きな理由の一つです。
一方で、その他のロシアの文化は日本でもよく知られています。
例えば文学ではドストエフスキーやトルストイ、音楽ではチャイコフスキーやストラヴィンスキーなどなど。
この理由について解説の中野京子さんは、「音楽は楽譜さえあればどこでも演奏する事ができる、本も翻訳されればどこでも読める。しかし美術は本物が来ないと楽しめいないから(そこまで知れ渡っていない」と述べています。
それでは早速、その〈ロマンティック〉なロシアの美術を見てまいりましょう。
《田園風景》アレクセイ・サヴラーソフ
《田園風景》1867年
アレクセイ・サヴラーソフ
トレチャコフ美術館蔵
今回の展覧会ではロシアの四季にまつわる作品をまず紹介していました。
こちらは春の風景を描いた作品です。
この《田園風景》という作品、一見すると桜の木に見えますが実はこちらリンゴの木です。
どの辺がロマンティックなの?
と思われる方もいるかもしれません。
ロシアの人にとって、長い長い冬が終わって、春になり花が咲くのはすごく喜ばしい事だといいます。
それだけ春の訪れというのは北国の人にとって”待ちに待った”出来事なのです。
円筒がたくさん並ぶその前には、人が描かれています。
この人は養蜂家で、円筒のものは蜂の巣箱なのです。
この養蜂家に育てられているミツバチは、咲き誇るリンゴの花の蜜を吸っているのだと考えられます。
画家:アレクセイ・サヴラーソフ
画像出展元:wikipedia「アレクセイ・サヴラソフ」より
この作品を描いたアレクセイ・コンドラーチエヴィチ・サヴラーソフ(Alexey Kondratevich Savrasov、1830-1897)は25年に渡り、モスクワの美術学校で風景画を教えていました。
自然を愛したサヴラーソフは教え子たちにも自然を愛して欲しいという思いから、クラス全体で風景を描きに出かけたりもしていました。
そんなサヴラーソフはロシアの風景画の創始者と言われています。
しかし描かれた1867年というと、日本では大政奉還があり、フランスでは印象派が始まろうとしている頃です。
このタイミングで「風景画の創始者」というのはどういう事なのでしょう?
じつはこれ以前はロシアでは絵画自体あまり描かれていなかったのです。
その理由として挙げられるのが、ロシア正教の存在です。
ロシア正教は偶像崇拝を否定していたので、宗教美術はイコンくらいしか描かれなかったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
イコンはこのように平面的な絵でしたので、この《田園風景》のような写実的な絵画が発展してこなかったのです。
そんなロシアで絵画が発展した背景には、ドイツからやってきた女帝・エカテリーナ2世の存在もあります。
彼女がヨーロッパ諸国から収集した数多くの美術作品が、ロシア美術の発展につながったのです。
移動派
この頃「移動派」と呼ばれる画家のグループが形成されます。
「移動派」はロシア国内を移動しながら、各地で展覧会を開催するという活動をしていました。
この時のロシアはロマノフ王朝時代で、激しい貧富の差が国内にはありました。
画家たちは各地を巡る事で、人々を啓蒙したいと考えたのです。
その中でも風景画は人気のジャンルでした。
移動派は正式名称を『移動展覧会協会』といいますが、彼らがロシアにおける反アカデミズムの集団でした。
そんな彼らが第一回移動派展を開催したのが1871年。
その3年後(1874年)にフランスのおける反アカデミズムのグループの印象派が第一回印象派展を開催した事を考えると、反アカデミズムの動きはロシアの方が早かったと言えます。
ただ「移動派」の画風自体は印象派のように新しいものではなく、クラシックなものでした。
《春、大水》イサーク・レヴィタン
《春、大水》1897年
イサーク・レヴィタン
トレチャコフ美術館蔵
作者のイサーク・レヴィタンは先の《田園風景》を描いたサヴラーソフに師事した画家です。
レヴィタンは師匠について「サヴラーソフによって風景画に抒情性が生まれ、母国の大地に対する果てしない愛が生まれた。彼のこの功績は、ロシア美術界において決して忘れ去ることはない」と書き記し、師匠から多大な影響を受けた事が伺えます。
これは…春?なんですか?
冬な感じがするような…
この作品では春になり雪が解けて、水が溢れている情景を描いています。
奥の家は水に浸かってしまっていますが…大丈夫なのでしょうか?!
手前に小舟が描かれているので、それを使って移動しているのでしょうか。
哀愁を感じる作品ですが、哀愁もロマンティックに含まれているのです。
”春の訪れ”という事自体がロシアの人にとってはロマンティックな事なのかもしれません。
今回は以上になります。
続くパート2ではロシアの「夏」を描いた作品をご紹介していきます。
こちら☚からご覧頂けます
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