2020年3月14日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【円山応挙にはじまる「親しみやすい」日本美術の世界】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
イントロダクション
「日本美術」と聞くと、どこか敷居が高く、知識がないと難しそうだと思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
確かに難しい作品も中にはありますが、誰もが親しめる絵画もじつは沢山あるのです。
今回ご紹介する円山応挙と彼の弟子たちの作品は、一目見ただけで「いいな」と思う事でしょう。
それでは、そんな作品を早速見てみましょう。
《狗子図》円山応挙
![](https://masaya-artpress.com/wp-content/uploads/2020/04/img_5160.jpg)
《狗子図》
円山応挙
敦賀市立博物館蔵
どうでしょう。この愛くるしさ!
江戸時代に、こんな可愛い子犬の日本画が描かれていたなんて驚きです。
作品の読み方は「くしず」と読みます。
描かれているのは雪の中の3匹の子犬たち。
奥の茶色の子犬は首を傾げており、不揃いな後ろ足がなんとも可愛げです。
ふわふわの毛並みやまるっこいからだの表現は、墨のシンプルな線だけで表されています。
応挙は徹底した観察による写生を重視した絵師です。
それによりリアルな表現を可能にしました。
しかしここでは”リアルな犬”というよりは、どこかマスコット、キャラクターのように描かれています。
これもじつは観察による写生を重視したからこそ成せる技なのです。
実際に犬をよく観察していたからこそ、これだけ最小限の筆で子犬に生命感まで与える事ができたのです。
まさに『引き算の美学』ともいうべき、巨匠の技なのです。
現代の私たちも「可愛い」と感じるこの作品。
もちろん当時の人たちも、それまでの形式にとらわれない応挙の作品を好みました。
当時画壇を仕切っていた狩野派の絵師たちは、「応挙は大衆に媚びている」と揶揄して認めませんでした。
応挙はそんな声など気にも留めずに、自身の画風を追求していったのです。
画家:円山応挙
円山応挙(1733-1795)が活躍したのは江戸時代後期の頃。
18世紀後半の京都を舞台に活躍しました。
堅苦しい形式にはとらわれず、目に見える世界をそのまま描こうとしました。
![](https://masaya-artpress.com/wp-content/uploads/2020/04/雪松図1-300x128.jpg)
![](https://masaya-artpress.com/wp-content/uploads/2020/04/雪松図2-300x128.jpg)
国宝《雪松図屏風》1786年
円山応挙
三井記念美術館蔵
こちらは彼の代表作で、国宝にも指定されている《雪松図屏風》です。
応挙の写生を重視してて描かれた作品は、当時の人々からの人気を得るのみならず、その後の日本美術の流れにも大きな影響を与えました。
《雪松図屏風》のような風景画も《狗子図》のような動物画でも、応挙の筆はありのままの光景をとらえました。
そんな応挙の元にはその画風を慕って多くの弟子が集まりました。
当時は『京都中の絵が応挙風になった』と言われるほどでした。
そんな応挙の弟子たちによって「円山四条派」と呼ばれる新しい流派が生まれました。
また特に優れた弟子たち10人を指す名称として「応挙十哲(おうきょじってつ)」という言葉も生まれました。
画家:長沢芦雪
その「応挙十哲」の中で一人で、今日では”奇想の画家”としても知られるのが長沢蘆雪です。
そんな蘆雪も師匠に劣らない可愛らしい子犬の作品を残しています。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
師匠応挙と違うのは、子犬たちの上の紅葉が描かれています。
蘆雪の洗練された美意識が伝わってきます。
そんな蘆雪ですが、性格は自由奔放で、時に傲慢な面もあったといいます。
「師匠応挙に三回も破門された」という逸話が伝わるほどです。
その豪放磊落な性格が破格な作品を生み出し、のちに”奇想の画家”と呼ばれるようになるのです。
《老子図》長沢蘆雪
![](https://masaya-artpress.com/wp-content/uploads/2020/04/img_5162.jpg)
《老子図》
長沢蘆雪
敦賀市立博物館蔵
こちらはその長沢蘆雪が描いた人物画です。
老子とは、中国春秋時代の思想家であり哲学者です。
牛の背中に小さく座る老子。
その表情は何とも言えない味わい深さに溢れています。
牛の体、皮膚の色は墨の濃淡だけで表されています。
ここには”たらしこみ”という手法が使われています。
蘆雪の巧みな筆さばきをじっくりと感じられる一枚です。
老子は長いこと”周”という国にいましたが、国の衰えを悟って水牛に乗って他国へと向かいます。
この作品ではその場面を、哀感に満ちた表現で描いています。
老子が乗る水牛の背中にもどこか寂しさを感じます。
「応挙十哲」の一人、源琦
長沢蘆雪とは対照的に、応挙の画風を忠実に受け継いだ絵師がいます。
「応挙十哲」の一人にも数えられる、源琦(げんき)です。
応挙に倣った写実表現が堪能できる一枚をご紹介します。
![](https://masaya-artpress.com/wp-content/uploads/2020/04/img_5163.jpg)
《藍采和図》
源琦
敦賀市立博物館蔵
作品の読み方は「らんさいわず」です。
藍采和とは、中国の代表的な仙人である八仙人の一人です。
まさに”仙人”といった奇抜な装いで描かれています。
衣服は破れており、また片方の足は素足。
服から垂れ下がっているのは、穴あき銭に糸を通して繋げたものです。
源琦の筆は浮世離れした仙人の姿を、生き生きとした写実表現で描いています。
藍采和の子供のような柔らかい顔の表情も見どころです。
江戸時代の美術について
さいごに江戸時代の美術についてまとめていきます。
江戸時代にはそれまで続いてきた日本美術に、伝統にとらわれない新しい美術が入ってきて、バラエティーが豊かになっていきました。
それまで続いてきた美術の例としては、「やまと絵」が挙げられます。
「やまと絵」は平安時代に生まれ、やわらかな線とやわらかな色彩が特徴です。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
江戸時代には、やまと絵の流派の”土佐派”と室町時代から続く”狩野派”の二つの流派が栄えました。
それぞれ土佐派は貴族の間で、狩野派は武士の間で人気となりました。
今回の記事は以上になります。
最後までご覧頂きありがとうございました
『アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~』のこの他の記事はこちら☚からご覧いただけます。