2020年3月7日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【ケルトの伝説 美術との知られざる深い関係】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
聖パトリックの祝日
皆さまは「聖パトリックの祝日」というのをご存知でしょうか。
3月17日がこの”聖パトリックの祝日”で、これはカトリックの祭日であり、アイルランド共和国の祝祭日になっています。
”聖パトリック”というのは、アイルランドにキリスト教を広めた聖人で、3月17日は彼の命日なのです。
”聖パトリック”はアイルランドの守護聖人にもなっています。
アイルランドではこの日に盛大なパレード等を行いますが、その際皆一様に緑色のものを身に着けます。
なぜ緑色のものかと言いますと、聖パトリックがキリスト教の三位一体の教えを説く際に、”三つ葉のクローバー”を使った事に由来します。
それにちなんで緑色が聖パトリックのシンボルカラーになったのです。
今回はその聖パトリックにゆかりの深い「ケルトの文化を題材にした美術」を見ていきます。
ケルトの文化
そんな『聖パトリックの祝日』発祥の地であるアイルランドと所縁が深いのが、『ケルトの文化』です。
古代ギリシャの神話や伝説は、美術の世界でも頻繁に取り上げられています。
しかし、もう一つ重要な古代の文化があります。
それが『ケルトの文化』なのです。
その歴史は古代ギリシャに匹敵するほど古くからありますが、あまり知られているとはいえません。
ケルト文化は、『聖パトリックの祝日』発祥の地であるアイルランドや、ウェールズ、スコットランドといったブリテン諸島を中心に古い歴史を培ってきました。
《オシアンの夢》ドミニク・アングル
《オシアンの夢》1813年
ドミニク・アングル
フランス、アングル美術館蔵
こちらの作品はフランス新古典主義の画家、アングルが描いた作品です。
高さ3メートル半もある彼の大作です。
”オシアン”とは、ケルトが生んだ叙事詩であり、またその叙事詩の主人公の名前です。
中央で竪琴にもたれかかって、眠っている赤いマントの男性がそのオシアンです。
オシアンは3世紀頃にアイルランドで活躍したとされる、盲目の詩人です。
オシアンの頭上に描かれているのは、叙事詩に登場する人物たちです。
オシアンは赤いマントを纏い、色彩を持って表現されていますが、彼の頭上の人物たちはモノトーン一色です。
この人物たちはタイトルの通り、オシアンの夢の情景、夢の中で見た英雄たちなのです。
このような灰色やセピア色で、まるで古代彫刻のような雰囲気を演出する表現技法は”グリザイユ”と呼ばれます。
こちらはアングルが《オシアンの夢》を描く約400年前にファン・エイク兄弟によって描かれた《ヘントの祭壇画》の一部です。
このようにグリザイユは元々、彫像などを絵画の中に表現するときに使われました。
アングルは夢の中の登場人物にグリザイユを使う事で、彼らが現実世界の人ではないことを一目で判別できるようにしたのです。
『オシアン』の時代背景
それではなぜ、フランスの画家のアングルは古代ギリシャや聖書の物語ではなく、北方ケルトの叙事詩をテーマに作品を描いたのでしょうか。
叙事詩『オシアン』は1765年にスコットランドの詩人であるジェイムズ・マクファーソンが翻訳し紹介され、大きな反響を呼びました。
急速に近代化が進んでいたこの時代、それとは逆に異文化や超自然的な世界への関心が高まっていました。
叙事詩『オシアン』は、ギリシャの古典にも匹敵する傑作として熱烈に迎え入れられました。
ドイツの詩人のゲーテは、自らドイツ語に翻訳しました。
音楽家のシューベルトやメンデルスゾーンは、『オシアン』をテーマにした曲を作曲しています。
あのフランス皇帝のナポレオン・ボナパルトも『オシアン』の大ファンでした。
彼は戦場に赴く際にも、『オシアン』の本を持って行ったといいます。
《オシアンの夢》は、そんなナポレオンがアングルに注文し描かせたものだったのです。
ナポレオンはこの作品を自身の寝室の天井画として飾り、眠りにつく際に眺めていたといいます。
《アーサー王最後の眠り》バーン=ジョーンズ
続いてもう一作品、ケルトの文化に基づく作品をご紹介します。
有名な『アーサー王と円卓の騎士』、この英雄伝説も由来はケルト文化にあります。
《アーサー王最後の眠り》1881-1898年
エドワード・バーン=ジョーンズ
プエルトリコ、ポンセ美術館蔵
ラファエル前派と所縁の深い画家、エドワード・バーン=ジョーンズが描いた作品です。
この作品では、アーサー王が亡くなる場面を描いています。
画面中央で横たわる男性がアーサー王です。
描かれている舞台はアーサー王最期の地である、魔法の島のアヴァロンです。
そこには春の情景が広がっています。
戦闘で傷を負った王は、周りの女性たちによってこの島に運ばれました。
偉大な英雄の最期を、豪華な画面の中に描いています。
バーン=ジョーンズはこの作品をとある貴族から注文を受けて制作しました。
注文主からのリクエストは、「アーサー王の物語を描いて欲しい」というものでしたが、この亡くなる場面を描くのを決めたのは、バーン=ジョーンズ本人でした。
1881年から17年の歳月を掛けて描かれ、また作品の大きさもバーン=ジョーンズ最大な点からも、まさにバーン=ジョーンズの大作と言える作品です。
そしてこの作品が完成した同年に、彼はこの世を去るのです。
今回は以上になります。
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