モネ《睡蓮、柳の反映》
1921年に松方幸次郎がモネから2点の『睡蓮』を購入した事は記録に残されていました。
《睡蓮》1916年
クロード・モネ
国立西洋美術館(松方コレクション)
うち一点が、こちらの《睡蓮》。
基本的には外部の展覧会に貸し出しはされず、国立西洋美術館の常設展にいけばいつでも会える、まさに「国立西洋美術館の顔」ともいえる作品です。
《睡蓮、柳の反映》1916年
クロード・モネ
国立西洋美術館蔵
そしてもう一点の『睡蓮』は60年間行方不明とされていましたが、2016年にルーヴル美術館の一角から奇跡的に発見されたのです。
それがこちらの《睡蓮、柳の反映》です。
残念ながら上半分が欠損、下半分だけが残っているている状態です。
これは第二次世界大戦中、アボンダンという村の民家に作品を疎開させた際に、湿気や水の被害を受けたためだと考えられています。
また、1959年の仏政府との返還交渉の際にも、この作品はすでに破損したものとされ、リストからも外されていたのです。
晩年のモネ
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
モネは日本に強い憧れを持っており、また浮世絵の愛好家でもありました。
彼が終生の住処としたジヴェルニーの地では、日本風庭園を設け、絵画制作とガーデニングの日々を送っていました。
その時に没頭していたのが、睡蓮を浮かべた庭を描く事でした。
《睡蓮の池》1899年
クロード・モネ
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
初期の頃はこの作品のように引きの視点から、睡蓮の池にかかる太鼓橋など、池全体の風景を描いています。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
しかし晩年になるにつれ、モネの視点はどんどん水面に近づいていきます。
水面に映る空や木の陰に関心が移っていき、光の変化によって様々な表情を見せる池に魅了されたのです。
モネは約30年の間に、『睡蓮』を200点以上描いています。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
『睡蓮』を描くようになってから10年程経った頃、モネに1つのアイディアが浮かびます。
「1つの部屋を全て睡蓮の絵で埋め尽くそう」と。
こうして造られたのが、現在オランジュリー美術館にある「睡蓮の間」です。
これら全てをつなげると、全長90メートルにも及びます。
2016年に見つかった《睡蓮、柳の反映》もこのオランジュリーの大装飾画に関連する作品だと考えられています。
高さ2メートル弱、幅4メートル以上の大作です。
下半分だけが残ったこちらの作品には、幸いなことにモネのサインと制作年が残されていました。
モネが生前に売却した「睡蓮」で、これほど大画面の作品は他にありません。
モネがいかに松方を信頼していたかが、ここからも分かるのです。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
《睡蓮、柳の反映》はオランジュリー美術館の7枚の連作のうちの『睡蓮、木々の反映』という作品に活かされていると考えられています。
連作『睡蓮』は、モネのみならず、”印象派美学の集大成”といわれます。
その制作過程を知る上でも、《睡蓮、柳の反映》は貴重な発見だったのです。
今回の記事はここまでになります。
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