2020年1月18日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【葛飾応為 北斎も認めた幻の天才女性絵師】の回をまとめました。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。
葛飾応為とは
画像出展:Japaaanより
葛飾応為(かつしかおうい)は御存知でしょうか?
あの葛飾北斎の娘(三女)で、父親同様に絵師として活躍しました。
北斎の最高の弟子であった事から「女北斎」とも呼ばれます。
応為は結婚していましたが、ある事情で離縁されてしまいます。
出戻ってからは北斎と寝食を共にし、作品の制作助手を務めるだけではなく、北斎の肉筆美人画の代作もしたと言われています。
「応為」という名は画号であり、本名は「栄(えい)」と言いました。
そこから親しみを込めて「お栄さん(おえいさん)」と呼ばれることもあります。
彼女の現存する作品はおよそ10点のみと言われており、大変貴重です。
《吉原格子先之図》
《吉原格子先之図》
葛飾応為
太田記念美術館蔵
読み方は「よしわらこうしさきのず」。
こちらは葛飾応為の代表作です。
遊郭に賑わいとその裏側を、大胆な光と影のコントラストで描いた作品です。
舞台は吉原の妓楼(ぎろう)の和泉屋(いずみや)です。
ぼんやりと浮かび上がる提灯の光が、遊郭の賑わいを幻想的に表現しています。
手前の路地は暗く、室内は明るく描かれています。
遊女たちの姿は見えますが、顔は格子で隠れて見えないようになっており、鑑賞者の想像を誘導します。
葛飾応為の作品は署名が書かれていないことが多く、それ故に彼女の作だと断定するのが難しいのです。
しかし、この《吉原格子先之図》では珍しく署名が書かれています。
かな~り分かりにくいですが、描かれている三つの提灯に文字が書かれています。
一番右側から提灯の上部に「応」「為」「栄」と書かれています。
「応為」は画号で、「栄」は本名をそれぞれ意味しています。
ただ署名を書くのではなく、作品の中にさりげなく忍ばせるという粋な演出です。
夜の吉原という怪しくも美しい世界、それを明暗の対比で印象深く描いています。
そこには父親・北斎にも負けない、非凡な才能が見て取れます。
明と暗のコントラスト
《聖マタイの召命》1599年-1600年
カラヴァッジョ
ローマ、 サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会蔵
西洋の画家たちは光と闇の表現を探求して、作品をより魅力的に、ドラマティックに描きました。
カラヴァッジョは特に有名で、優れた明暗表現は多くの画家に影響を与えました。
けれどもこのような明暗の表現は、実は浮世絵の世界ではあまり見られません。
あのゴッホが日本、そして浮世絵に魅了された理由も「影が描かれていない」からとも言われています。
影がなく、画面全体が光に満ちたその世界にゴッホは憧れたのでしょう。
それを考えると、従来の浮世絵にはない明暗の表現に挑んだ葛飾応為は革新的だったと言えます。
そんな応為はゴッホとは逆に西洋絵画から影響を受けた可能性も考えられます。
一体どういうことでしょうか。
実は葛飾北斎はドイツ人医師のシーボルトと交流があり、彼から西洋の版画などを見せてもらう事ができました。
そこから遠近法や陰影のつけ方などを技法を学んでいたのです。
父のそばにいた応為も、そのような西洋風の描き方に影響を受けていた可能性は大いにあるのです。
《三曲合奏図》
画像出展:Japaaanより
こちらはアメリカのボストン美術館が所蔵する作品です。
読み方は「さんきょくがっそうず」。
こちらも応為の代表作と言われています。
描かれている楽器は三味線・胡弓・琴。
楽器を演奏する指先まで非常に繊細に描かれています。
女性たちはそれぞれ違う身分の人たちが描かれています。
三味線を弾く女性は芸者です。
胡弓(こきゅう)を奏でるのは町娘です。目を細めて首をかしげる表情は、音の音色を確かめているのでしょうか。
さいごにこちらに背を向けて琴を演奏しているのは、遊女です。
他の二人に比べてひときわ豪華な着物や髪飾りをしています。
応為は身分の異なる江戸美人を、それぞれ見事に描き分けているのです。
父・北斎の美人画も大変な人気を博しました。
北斎が描いた女性は「宗理美人(そうりびじん)」と呼ばれていました。
(「宗理」は北斎の30代の頃の画号です)
そんな北斎でさえも応為の美人画については、
「美人画を描かせたら応為には敵わない」
と言っていたそうです。
《月下砧打美人図》
画像出展:Japaaanより
東京・上野の東京国立博物館が所蔵する作品です。
読み方は「げっかきぬたうちびじんず」。
応為の作品だと言われるおよそ10点の作品の中でも、早い時期に描かれた作品だと言われています。
この作品は中国の詩人の白居易(はくきょい)の詩をテーマにして描いた作品です。
空高く満月が浮かび、その光のもとで女性が一心に木づちを振りかざしています。
彼女は布を柔らかくするための作業をしています。
丁寧かつ緻密に描かれた着物の柄が見事です。
女性の仕草も躍動感たっぷりに表現されており、台を抑える手元や振り上げた腕の動きから、鳴り響く砧を打つ音が聞こえてくるかのようです。
北斎亡き後
北斎が1849年に没した後は、応為は江戸から姿を消したと言われています。
その後の消息は謎に包まれています。
まだ世に出ていない彼女の作品もきっとある事でしょう。
葛飾北斎が生涯で約3万点の作品を残すことができたのは、応為が手伝っていたからではないか、という説もあります。
そんな彼女のまだ知られていない作品が日の目を浴びて、日本美術史が塗り替わる日が来るかもしれません。
肉筆浮世絵名品展
東京の太田記念美術館で開催中の「開館40周年記念 肉筆浮世絵名品展ー歌麿・北斎・応為」にて、彼女の代表作の《吉原格子先之図》を見る事ができます。
太田記念美術館は浮世絵を専門とする美術館で1980年(昭和55年)の1月にオープンしました。
所蔵作品数はおよそ1万4000点です。
この展覧会は開館40周年を記念して開かれます。
肉筆浮世絵の「肉筆」とは、版画でなく絵師が筆で描く貴重な作品です。
普段私たちが見ている浮世絵は、彫師(ほりし)が彫った線と、摺師(すりし)が摺った色の作品を見ているわけです。
しかし肉筆画の場合は、絵師が全ての工程を手掛ける事で、例えば出したいグラデーションや細かな線など、絵師の思い描いた通りの表現ができるという特徴があります。
絵師の意図が版画に比べて、よく反映されるのです。
《美人読玉章図》1789~1801年頃
喜多川歌麿
太田記念美術館蔵
こちらは美人画で名を馳せた喜多川歌麿の作品です。
作品の読みは「びじんたまずさをよむず」。
豪華な着物を身に纏う吉原の遊女が描かれています。
着物の足元には、金糸のいちょうと銀糸のかえでの装飾が施され、
帯には鶴と雲の模様が縫い付けられています。
《遊女物思いの図》1688~1704年頃
菱川師宣
太田記念美術館蔵
《見返り美人図》で知られる菱川師宣(ひしかわもろのぶ)は、「浮世絵の祖」とも呼ばれます。
肉筆ならではの柔らかな線が、女性らしさをよく表現しています。
(右から)
《日光山華厳ノ滝》
《日光山霧降ノ滝》
《日光山裏見ノ滝》
1849~51年頃
歌川広重
太田記念美術館蔵
こちらは歌川広重が描いた名所風景です。
天童藩からの依頼を受けて、栃木県日光市の名所を描きました。
それぞれの滝の特徴が見事に表現されており、面白い作品です。
《雨中の虎》1849年
葛飾北斎
太田記念美術館蔵
こちらは葛飾北斎が没年に描いた肉筆画の傑作です。
森美術館で開かれた「新北斎展」
で展示されていましたね!
この時数え年で90歳。
最後の最後まで渾身の作に挑んだ、北斎の気迫を感じられます。