2024年にNHKにて放送された「光る君へ」の【光る君へ紀行】をまとめました。
第十一回【京都市】一条戻橋・晴明神社
陰陽師の安倍晴明(あべの はるあきら)。
紫式部や藤原道長が生きた時代、朝廷に置かれた役所の一つである陰陽寮に所属していました。
道長が書き残した「御堂関白記」。
この書物にも晴明の名が度々記されています。
朝廷や貴族たちの相談役として、人々の信望を得ていたことが伺えます。
平安時代、洛中と洛外を分ける橋とされていた一条戻橋。
平安京の鬼門、あの世とこの世の境目とも呼ばれていたこの場所は、彼の伝説が語り継がれていることでも知られています。
一条戻橋の近くに立つ晴明神社は、最後に仕えた一条天皇によって創建されたと伝わっています。
祭神として祀られている本殿のそばには、天文を読み解くように空を見上げる像が建てられています。
平安の時代から千年の時を超え、今もなお人々の心を魅了し続けているのです。
第十二回【京都市】八坂庚申堂
まひろたちが夜通し眠らずに過ごした庚申(こうしん)の夜。
庚申とは十干と十二支を組み合わせた60種類で構成される干支の一つ、庚(かのえ)・申(さる)を意味します。
平安時代の貴族たちの日記です。
ここにも庚申の夜についての記述が残されています。
貴族たちはこの夜は外出をすることなく、普段よりも慎み深く過ごしながら、朝が来るのを待ったといいます。
京都市東山にある八坂庚申堂。
ここには庚申の日を特別な日と捉える風習が残っています。
現在も60日に一度巡ってくる庚申の日。
その日には本堂で護摩焚きや無病息災を願うこんにゃく焚きが行われています。
本尊・青面金剛像は、庚申の年(60年に一度)開帳される。
庚申の夜の風習はその後、武士たちの間で広まり、江戸時代には民衆にまで広がっていったと伝えられています。
第十三回【奈良市】春日大社
かつて都が置かれ、国の中心として発展した奈良。
御蓋山(みかさやま)の麓。
藤原氏によって創建された春日大社があります。
都の守護と人々の繁栄を祈る神社として、奈良時代に称徳天皇の命を受けて造営されました。
藤原兼家や道長は春日大社を篤く崇敬し、足しげく通いました。
摂政となった兼家は、一条天皇に春日大社への参詣を勧めます。
円融院の反対がありながらも、春日行幸を実現させました。
境内にある国宝殿。
藤原氏が奉納した宝物をはじめ、
当時の最高の技術を現代に伝える美術品が多く納められています。
藤原氏をはじめとする貴族たちに大切にされた春日大社。
彼らが守り、そしてつないだ信仰の形が今も残されているのです。
第十四回【京都府宇治市】宇治橋
藤原兼家は熾烈な権力争いの中で、藤原一族の栄華の礎を築いた一人として知られています。
兼家の妻の一人、藤原道綱母(ふじわら の みちつな の はは)によって書かれた「蜻蛉日記」。
「蜻蛉日記」からは若き日の兼家の姿を伺い知ることができます。
京都府宇治市を流れる宇治川。
「蜻蛉日記」には道綱母が長谷寺へ詣でた帰り道、都からわざわざ迎えに来た兼家と、現在の宇治橋付近で川を挟んで歌を詠み合ったことが記されています。
「蜻蛉日記」中盤に書かれている鵜飼(うかい)は、宇治川の夏の風物詩として今も行われています。
蜻蛉日記の中には一人の妻の目線から見た、兼家の様々な表情が残されているのです。
第十五回【滋賀県大津市】石山寺
京都からほど近い滋賀県大津市。
ここに観音信仰の聖地の一つ、石山寺があります。
大きな石の上に築かれたことからその名が付けられました。
観音信仰が流行した平安時代、貴族たちの間で石山詣が盛んに行われました。
特に女性からの信仰が篤く、「蜻蛉日記」で知られる藤原道綱母(ふじわら の みちつな の はは)もこの地を訪れました。
「蜻蛉日記」には、朝早く京を出立し、
逢坂の関を越えて近江に入り、
打出浜で船に乗って琵琶湖から瀬田川へ進み、
夕方頃に石山寺に入ったと記されています。
紫式部も石山寺を訪れたといいます。
琵琶湖に映った月を見て「源氏物語」の着想を得た、と寺に伝えられています。
平安貴族のたちの心を癒した石山寺。
今も多くの人々の祈りに寄り添い続けています。
第十六回【奈良市】興福寺
日本の長い歴史の中で欠かすことのできない文具の一つである”墨”。
平安時代に編纂された「延喜式」。
ここには図書寮(ずしょりょう)と呼ばれる役所などのほか、丹波や播磨など各地で墨作りが行われていたことが記されています。
主に公文書の作成や写経に使われた墨。
仮名文字が生まれ、文字が普及したことによって墨の需要が高まります。
こうして油煙墨(ゆえんぼく)が作られるようになりました。
藤原氏の氏寺である興福寺。
国産の油煙墨はこの地で初めて作られたといい、寺の周りに墨職人が多く集まりました。
奈良では今でも伝統的な墨作りが行われています。
木型で形を作り、三か月から半年以上乾燥させて完成します。
身近な墨にも長い歴史が秘められているのです。
今回の記事はここまでになります。