【CONTACT ART】《人生は戦いなり》クリムト【美術番組まとめ】

CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて~

2020年4月12日にwowowで放送された「CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて~」の【#7 クリムト/愛知県美術館】の回をまとめました。

番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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愛知県美術館

画像出展元:テレビ番組「CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて~」より

尾張徳川家のお膝元、愛知県名古屋市。

愛知県美術館は、文化芸術の複合施設である愛知芸術文化センターの8階と10階にあります。
この複合施設では演劇・音楽など様々なアートが楽しめる場所になっています。

画像出展元:テレビ番組「CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて~」より

《人生は戦いなり(黄金の騎士)》クリムト


《人生は戦いなり(黄金の騎士)》1903年
グスタフ・クリムト
愛知県美術館蔵

カッコイイ作品ですね~
これはかなり好きかも!

描かれているのは黒い馬と、それにまたがる黄金の甲冑を着た騎士
そして左下には茶色っぽいの姿も見えます。

行く手を阻むような蛇には目もくれず、歩みを進めようとする騎士からは力強さを感じられます。

力強く優美で、画面からエネルギーが伝わってくるような、そんな作品です。
クリムトの強い意志や気概も感じられます。

馬のたてがみと尻尾の毛並みの表現は、ウェーブのかかった繊細な表現をしています。
この馬の持つ柔らかな印象と、黄金の騎士の頑なで強い印象の対比が、画面に独特な緊張感をもたらしています。

この作品はアルブレヒト・デューラーの銅版画作品《騎士と死と悪魔》という作品から構図の着想を得ていると言われています。


《騎士と死と悪魔》1513年
アルブレヒト・デューラー

画家:グスタフ・クリムト


グスタフ・クリムト(Gustav Klimt、1862-1918)は19世紀末ウィーンを代表するオーストリアの画家です。

ウィーン工芸学校を卒業したクリムトは、当初は工芸家としての活動をしていました。
その後、装飾や工芸や建築などを一体化したアートを生み出していきます。

そして弟のエルンストと友人のフランツ・マッチュと共に芸術家商会(芸術家カンパニー)を設立します。

画像出展元:テレビ番組「CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて~」より

彼の華やかな色彩や正確な表現は、この時代に受け入れられました。
劇場装飾を主に手掛けた彼らの仕事は、順調に軌道に乗っていきます。

次第にクリムトにパトロンや注文主が付いてくるようになります。
そんな中ウィーン大学クリムトに”大講堂の壁画”の制作を依頼します。

それが大きなスキャンダルを呼びました。
クリムトはそれまでの伝統に則らず、独自の「学問」の解釈をそこに表現しました。


《ウィーン大学天井画「医学」》
グスタフ・クリムト
1945年に焼失
これは「医学」をモチーフに描かれた作品です。
大学が求めたものは医療が与える希望であったり、生きる事や生命の喜びといったものでした。
しかしクリムトはここで真逆の表現をしています。
生々しいほどの生の表現が画面を埋め尽くしています。
そして右上に骸骨の姿が。骸骨は一般に「」を連想します。
クリムトは「人生で避けられない命の側面」を表現したのです。
また作品全体からどこか官能性、エロティシズムが感じられるのも、大学側からの反発を買いました。

結果、ウィーン大学からは「不道徳で醜悪な芸術」と批判される事になります。

彼が生きた19世紀末は、時代が目まぐるしく変化している時代でした。
そんな中で絵画の世界では旧態依然としていたのです。
クリムトは自由な芸術を求め、仲間たちとウィーン分離派を結成するのです。

それは1897年の事でした。

今回の作品《人生は戦いなり(黄金の騎士)》はウィーン分離派の結成から6年後の1903年に描かれました。
この作品は、クリムトにとっては権威やアカデミズムに対する挑戦状であり、”新しい時代のために自分だけの作品を生み出していく”というマニフェストのような存在でもあるのです。

画像出展元:テレビ番組「CONTACT ART~原田マハと名画を訪ねて~」より

この作品では騎士は”クリムト”自身であり、蛇は”彼への反対勢力”という風に解釈ができます。

クリムトには相当な覚悟があったでしょう。
自分やウィーン分離派が認められるという保証もありません。
けれども、《人生は戦いなり(黄金の騎士)》ではその戦いに挑む姿を、血なまぐささ殺伐とした表現ではなく、凛々しく悠々とした姿で描いています。

黄金様式へ

そんな批判にも屈せず自身の芸術を探求し続けた結果、クリムトは唯一無二の『黄金様式』へと辿り着きます。

私たちがイメージするクリムトの誕生ですね!


《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》1907年
グスタフ・クリムト
ニューヨーク、ノイエ・ギャラリー蔵

彼のどの作品を見ても”強さ”と”美しさ”が表現されており、一目で「クリムトだ!」と分かる、これこそ彼が”唯一無二の存在”である証といえるでしょう。

「金」というのは、太古の昔から強さを持って変わることなく大切にされてきたものです。
クリムトはその色を作品に取り入れる事で、作品に”永遠性”とその”強さ”を表現したいと考えたのかもしれません。

masaya’s eye


「人生は戦いなり」という強いメッセージが込められたこの作品。
ここに描かれている騎士はクリムトの姿でもあり、現代の私たちの姿にも重ねられるように思います。

行く手には道を阻む蛇がいます。
もしかするとその先には急な坂道があるかもしれません。
いばらの道もあるかもしれません。

それでも騎士は凛として、馬は歩みを止める事なく進んでいくのでしょう。
「強く美しく一緒に立ち向かっていこう、人生は戦いなのだから」
そんな風に背中を押してくれるような作品だと僕は感じました。

今回の記事は以上になります。
最後までご覧頂きありがとうございました。

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