2020年11月3日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#360 東京国立博物館「工藝2020」「桃山 天下人の100年」〜伝統と革新!世界に誇るニッポンの工芸と、狩野永徳、長谷川等伯…桃山時代のお宝美術が大集合!〜】の回をまとめました。
今回の記事はパート4になります。
前回のパート3はこちら☚からご覧頂けます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
《一の谷馬藺兜》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
読み方は「いちのたにばりんのかぶと」です。
この時代の武将の兜はどこか”俺様感”が漂います。
こちらの兜は豊臣秀吉が愛用したものと伝わっています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この兜の頭上のような、急な崖のようになっている形状を”一の谷”といい、当時武将たちの間で流行したデザインでした。
元々”一の谷”というのは、源義経の”一ノ谷の戦い”からきています。
一ノ谷の戦いで義経は、降りられそうもない急な崖から平氏を強襲し、戦に打ち勝っています(鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし)。
これは武将にとってはたいへん縁起の良いモチーフ(義経が平家を打ち破ったので)でした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
名前に入っている「馬藺(ばりん)」とは植物の名称で、兜についている飾りがその植物を模したデザインになっています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
しかし向かって左側の一番下の飾りは取れてしまっています。
おそらく木か竹でできているため、無くなってしまったものと考えられます。
また今は黒色になっていますが、こちらの兜は元々は銀色でした。
現在は銀が酸化して、黒色になっています。
この形でギンギラギンはド派手ですね~
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この時代の兜は、このような変わり兜が多かったといいます。
そこには武将の”他の人より目立ちたい”という気持ちが表れているのです。
おぎやはぎの矢作さんは「センスが暴走族に似ている」といいます。
もしかすると、戦国武将もそういう気質の人が多かったのかもしれません。
そんな「俺様の時代」が終わり、世は「泰平の時代」に変わっていきます。
《松鷹図襖・壁貼付》狩野山楽
《松鷹図襖・壁貼付》(部分)1626年
重要文化財
狩野山楽
京都市(元離宮二条城事務所)
こちらは京都の二条城にある作品です。
この作品はつい最近まで、狩野探幽によるものだと考えられていましたが、近年では狩野山楽の作であると変更されています。
描き方が他の狩野探幽の作のものと比べて、ずいぶん異なっており、むしろ狩野山楽の方が近いというのが変更された理由です。
永徳の孫にあたる狩野探幽は江戸狩野として江戸を舞台に活躍していました。
二条城は京都にこそありますが、江戸幕府と関係が深かったので、江戸狩野の探幽が手掛けたと考えられていたのです。
一方永徳の画風を継ぐ山楽、その婿養子の山雪は京狩野として京都舞台に活躍します。
山楽は亡くなった永徳の代わりに東福寺法堂の天井画を完成させています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この木の幹の太さや、枝の伸び方も永徳の画風を踏襲しています。
この作品はすでに江戸時代に入ってからのものですが、まだ桃山時代の名残が残っているのが分かります。
しかしインパクトさはありますが、乱暴な感じはなく静かな雰囲気になっています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
描かれえている鷹もおとなしく描かれていますが、迫力はあります。
これは江戸幕府が成立し、戦いの終わった時代=睨みを利かせれば黙る時代になった事を暗に示しているのかもしれません。
桃山とは変わってきたな、というのがよく分かります。
《籬に草花図襖》狩野山雪
《籬に草花図襖》1631年
重要文化財
狩野山雪
京都・天球院
狩野山雪は先の狩野山楽の婿養子にあたる人物です。
作品の読み方は「まがきにそうかずふすま」です。
山楽の作品《松鷹図襖・壁貼付》から見ても、だいぶ雰囲気が変わったのが分かります。
力強さはなく、優美さや装飾性が際立って綺麗な画面になっています。
イメージする「狩野派」とはだいぶ違いますね!
先代の狩野山楽は狩野永徳の画風を最もよく受け継いだ絵師で、二条城の作品描く際にもそれがいかんなく発揮されています。
そして次の狩野山雪で、この《籬に草花図襖》のように繊細な画風へと変わっていったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
竹の描き方も非常に細かく、細部にまで神経を使っているのが分かります。
ここにはかつての狩野派の、いわゆる乱暴な力はありません。
技法的なものは受け継ぎながら、同じ流派の中でもこのように変わっていったのです。
いかがでしたでしょうか。
『桃山ー天下人の100年』の特集記事は以上になります。
最後までご覧頂きありがとうございました。