2020年7月26日にNHKで放送された「日曜美術館」の【自然児、棟方志功〜師・柳宗悦との交流〜】の回をまとめました。
今回の記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
《二菩薩釈迦十大弟子》
数々の仏教的な作品を作り上げていく棟方志功。
そんな中、東京国立博物館である仏像と出会います。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
奈良・興福寺の須菩提像(すぼだいぞう)です。
須菩提は釈迦十大弟子の一人です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
この時棟方は伝教大師の像を制作していましたが、須菩提像を見て自分の至らなさに気づき涙したといいます。
手紙で柳にその胸を伝えると、柳は落ち込む棟方を励ましました。
1939年(昭和14年)、棟方は伝教大師像を更に発展させて、あの傑作を作り上げます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
それが《二菩薩釈迦十大弟子》です。
須菩提を含む釈迦の10人の弟子に、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)と普賢菩薩(ふげんぼさつ)を加えた12図です。
《観音経曼荼羅》に取り入れた「裏彩色(うらざいしき)」は使われず、白と黒の世界で表わされています。
棟方はこの作品を制作する際、下絵も描かず板木にぶっつけ本番で筆を下ろしたといいます。
丁度一週間で完成し、柳に見せた所、その出来栄えにたいへん喜んだといいます。
「下絵も描かずに板木に向かった」と棟方は言っていますが、「それにはそれまでの積み重ねがあったからだ」と話すのは棟方研究の第一人者、石井頼子さんです。
棟方は柳から「十大弟子」の資料を借りており、それぞれの弟子の話をちゃんと学び、その上で何百枚もの下絵を描いて、自分の体の中にそれを染み込ませました。
つまり「十大弟子」という画題についてはその領域まで達した上で、忘れないうちにものすごいスピードで彫り上げていったのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
棟方のこの線の素晴らしさは、そのスピード感があって初めて表されるものだと石井さんは言います。
戦時中の棟方と柳
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
1945年(昭和20年)、棟方は戦火の東京を離れて富山県福光町(ふくみつまち)に疎開します。
敗戦が迫る7月、棟方の疎開先に柳がやって来ます。
柳の滞在は二晩でしたが、その間ひたすら語り合い、絵や書を見せ合って離れがたいようだったと棟方の妻のチヤはその様子を残しています。
《鐘渓頌》
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
この《鐘渓頌(しょうけいしょう)》は、棟方が戦後まもなく疎開先の福光で仕上げた作品です。
24図から構成されています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
体が黒い人物には赤色の裏彩色が、白い人物には青色の裏彩色が使われています。
こちらの作品は日本民藝館が所蔵するものですが、柳の発案により絵の色に合わせて茶と青の市松模様の表装が施されています。
まさに棟方と柳のコラボレーションとも言える作品に仕上がっています。
棟方はこの時期「これからは裸婦を描いていこう」と決意したといいます。
この《鐘渓頌》でもおよそ半数の図が裸婦像です。
柳は棟方の作品について、「美しいとか醜いとかの範疇から一歩でおり、それが強みだ」と述べています。
そこには”美しくなければいけない”という窮屈さはなく、棟方独自の”自在さ”があるのです。
《大蔵経板画柵 》
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらの《大蔵経板画柵 (だいぞうきょうはんがさく)》では仏教の聖典の主な6つの経を、それぞれ6人の裸婦で表現しました。
棟方は多くの女性像を彫り上げた中でも、特にこの作品を好みました。
《茶韻十二ヶ月板画柵》
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらは茶室に掛けるために制作された12点のシリーズです。
それぞれ四季の風景、鳥や魚や花、更には釈迦やキリストなどバラエティーに富んだ図像が表現されています。
《基督の柵》
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」
その中でも柳が最も気に入ったのは、こちらの《基督の柵(きりすとのさく)》でした。
柳は「今までの棟方の作品から一枚選べと言われたら、この一図を推したい」とまで称えました。
柳は心を込めて彫られた衣服のひだや、模様化された顔の表現に感銘を受けています。
特に目の表現は「イエスの鋭く聡明な性格を迫るように示している」と絶賛しました。
後光がさしているかのような表装は柳の発案によるものです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
このキリスト像には他にも異なる表装を作っており、こちらは十字架を思わせるデザインになっています。
《心偈頌》
昭和30年から翌31年にかけて、棟方は一躍世界の脚光を浴びます。
戦前に制作した《二菩薩釈迦十大弟子》などが、相次いで世界の美術祭で高い評価を得たのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
「世界のムナカタ」と呼ばれるようになり、頻繁に海外に出かけるようになりました。
その一方柳は病気がちになっていきます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
そんな柳を励ますため棟方は72図から成る《心偈頌(こころうたしょう)》という作品を作りました。
柳が自らの心境を書き留め「心偈(こころうた)」と名付けた短い句に棟方が絵を加えた作品群です。
「今見ヨ イツ見ルモ」
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
柳は「どうしたら美しいものが見えるようになるか」と頻繁に尋ねられたといいます。
その答えとして「別に秘密はなく、初めて『今見る』想いで見る事、うぶな心で受け取る事が大事である。そうすると物は鮮やかに目の鏡に映る」と答えています。
柳はこの《心偈頌》を棟方から送られてたいへん喜んだといいます。
《再誕の柵》
柳宗悦は昭和36年、72歳でこの世を去ります。
棟方志功との最初の出会いから実に25年の歳月が流れていました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
この《再誕の柵》を棟方は柳の七回忌の霊前に捧げました。
そこには長年追求し続けてきた黒い体に白い輪郭線で表現された様々な裸婦が表されています。
画面下部にはその7人の裸婦に取り囲まれるように、赤子が横たわっています。
棟方はこの作品で柳の再生の思いを込めたのかもしれません。
今回の記事は以上になります。
最後までご覧頂きありがとうございました。
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