葛飾北斎『富嶽百景』【アートステージ、2020年12月放送分】

アート・ステージ

TOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」内のコーナー【葛飾北斎 富嶽百景コーナー】にて取り上げられた作品をまとめました。

今回の記事では2020年12月に取り上げられた3作品についてまとめていきます。

番組内容に沿ってそれでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

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葛飾北斎「富嶽百景 江戸の不二」

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

こちらは「江戸の不二」という作品です。

画面手前には大きなしゃちほこが、そして奥に富士の姿が見えます。
このしゃちほこ、頭は虎のように描かれ、また体を反らして尾を天に向けています。
北斎はしゃちほこの上に伸びる勢いと、富士山とを対比させているのです。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

しゃちほこの尾は富士より高く描かれ、その上に鳥が一羽とまっているのが見えます。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

じつはこのしゃちほこ、かつて実際に江戸城の天守閣にあったものなのです。
しかし1657年に起きた明暦の大火により、焼失してしまいます。

その後再建されたのは土台のみで、天守が以前の姿に戻る事はありませんでした
再建費用は庶民のために使われた、と言われています。

それからおよそ100年後に生まれた北斎は、しゃちほこのある天守を見た事はありません。
この作品はかつての天守閣のある江戸城に思いはせて、北斎が想像で描いた作品なのです。

葛飾北斎「富嶽百景 雪の旦の不二」

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

続いては「雪の旦(あした)の不二」という作品です。

(あした)」は見慣れない漢字ですが、”夜中に何かがあった翌朝”という意味があるそう。
つまりこの作品では、”夜中に降った雪”であることが表されています。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

この作品では実際の富士山は描かれていません
左側の男性が雪かきをして積み上げた雪が、この作品の中での”富士山”になっているのです。

男性が雪山を富士山に見立てたのは、当時流行した「富士講(ふじこう)」と呼ばれる、江戸時代に広まった富士山信仰の影響があります。
江戸の庶民は親しみを込め富士山を崇めました。

当時、富士山に登ることができない人々のために、富士山を模して造られてた人工の山や塚である”富士塚”が関東の至る所に造られたといいます。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

雪高く積まれた富士山を見に、通行人がやってきています。
男性はご近所の方々のために、この富士塚を造っているのかもしれませんね。

葛飾北斎「富嶽百景 隅田の不二」

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

最後の作品は「隅田の不二」という作品です。
この作品では画面いっぱいに桜が描かれています。

番組監修を務める藤ひさし先生は、この放送回が年内最後という事で、お正月・新春にちなんだ作品をチョイスされていました。


富士には雪が積もり、「冬来たりならば春遠からず」の図が表されています。
北斎は雪をかぶった富士を控えめに端の方に描いています。

隅田堤(すみだづつみ)は桜の名所として有名です。
隅田川の両岸に1000本近い桜が八代将軍の吉宗の命により植樹され、現在でも花見の名所として知られています。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

北斎のこの作品がどこからのアングルは分かっていませんが、富士が見える事から向島側だと考えられています。
この作品は細部まで非常に細かく描かれているのも特徴的です。

今回の記事は以上になります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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