2026年3月24日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【洛中洛外図/曾我蕭白の屏風/ダイヤモンド エメラルド タンザナイト ジュエリー3点】についてまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
*画像出展元:テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」より
絢爛豪華な美 洛中洛外図屏風

『洛中洛外図』とは京の市中と郊外を俯瞰的に描いたもの。
室町時代末期から江戸時代にかけて主に屏風として制作された。
特筆すべきはこの屏風が絢爛豪華な絵画としての美を誇っているだけでなく、何より時代を克明に映す鏡のような存在であったことであろう。

もっとも有名なのが、織田信長から上杉謙信に贈られたこの屏風。
作者は狩野永徳で、この《洛中洛外図屏風(上杉本)》国宝に指定されている。

右隻には主に京の東側の景観が描かれている。

右上に清水寺や八坂神社などが並び、

鴨川に架かる橋を渡っているのは、祇園祭の神輿や山鉾。

左端の大きな建物は、天皇の住居の内裏である。

一方で左隻は主に京の西側の風景が描かれる。

上部に金閣寺や北野天満宮。

中央に当時実権を握っていた細川氏の邸宅。

そして下部に足利将軍の御所がひときわ大きく描かれている。

左隻に将軍御所、右隻に内裏というふうに、左右に権力の象徴を配するのが『洛中洛外図屏風』の大きな特徴である。

また右隻には春と夏、左隻には秋と冬の風物が盛り込まれており、四季を表した屏風でもあった。

ちなみに現在の地図を照らし合わせると、緑の線を境に向かい合わせるように描かれており、京の町をぐるりを一望できるようになっている。

江戸時代になると、左隻に徳川家康が建てた二条城、右隻に豊臣秀吉建てた方広寺の大仏殿が登場する。

また二条城の前には行列が描かれることが多くなった。

その行列が右方向、すなわち内裏に向かっているのは以下の場面のいずれかである。
①1603年に家康が将軍宣下の謝意を表するため参内する場面
②1620年に二代将軍・秀忠の娘の和子が後水尾天皇に入内する場面。

反対に左方向、二条城に向かっているのは1626年に後水尾天皇が三代将軍・家光の招きに応じた、いわゆる「寛永行幸」の場面である。

この時に二条城が大規模な増改築を行ったため、寛永行幸の前と後では二条城の天守の位置が異なっている。
このように初期の『洛中洛外図屏風』は、政治権力の所在が強く意識された構図になっている。

しかしその後、政治の中心が江戸に移ると徐々に簡略化され、名所絵としての要素が強くなっていった。
アメリカから里帰りした 洛中洛外図屏風

改めて依頼品を見てみよう。
六曲一双の『洛中洛外図屏風』である。

まず目を引くのが左隻の二条城。
天守が左側にあることからすると、1626年の寛永行幸以降に描かれたもののようだ。

しかし、その前の通りには7台の立派な牛車が右を向いて行列を作っている。
この場合考えらるのは、”家康の参内”もしくは秀忠の娘の”和子の入内”と考えられるが、これらは寛永行幸以前の出来事であり、絵描かれた天守の時代と合致しない。
これはいったいどういうことか。

またこの『洛中洛外図屏風』には、おびただしい人々が描かれており、番組で数えたところ、その数2014人であったとのこと。
果して鑑定やいかに?
江戸前期の大名品 2500万円!


出た!2,500万!

「江戸時代に描かれた洛中洛外図、本物でございます」

「寛文頃に作られたもので、京都の町絵師工房による作品だと思います」

「何と言っても目立つのはその二条城なんですね。行列というのが一つ問題。天守の位置から考えますと寛永の行幸」

「一番前の2頭の牛がひいている牛車が葵の紋がついている。それを考えますと、後水尾天皇の行幸の前に徳川の秀忠と家光がお招きに上がるんですが、その行列ではなかろうかと」
「それともう一つ考えられるのは、天皇と一緒に滞在する和子さまの帰りの行列。この行列を描いたものっていうのは、他に見ないのでとても珍しい」

「地方の大名とか裕福な商人の嫁入り道具としてつくられたものだと思います」

「京の風俗が随所に散りばめられていて、日々の生活とかそういったものがまあ丁寧に描かれております。とても素晴らしいです」
奇想の絵師 曽我蕭白

その男、大の酒好きでいつも飲んだくれていたが、ひとたび興が乗り筆をとるや一気呵成。
見事な出来栄えで人々を驚かせた。

画家の名は曽我蕭白(1730-1781)。
江戸時代中期に活躍した”奇想の絵師”である。

1730年、京の商家に生まれる。
若くして両親が亡くなり、17歳で天涯孤独となった。

なぜ絵師になり、誰に学んだかは不明だが、室町時代の絵師である曽我蛇足(そがじゃそく、生没年不詳)の直系を自称。

いつしか「曽我蕭白」と名乗るようになった。
日々酒に溺れながらも蕭白は世の不条理を冷徹に見つめ、こんな絵を描いた。

戦乱から抜け出した女が飢えに苦しみ、ついに我が子を捨て去る姿。
女が鬼となった刹那の絶望と残酷。

蕭白は定住を好まず各地を放浪。
遺された作品から30歳前後と35歳前後には伊勢国にいたことがわかっている。

その二度目。
松阪の朝田寺(ちょうでんじ)に滞在中、酒にしたたかに酔って描いたのが縦横2メートル余りもあるこの大作。

2匹の唐獅子が阿吽の形で配された双福で、今にも絵から飛び出さんばかりの大迫力である。

また、隣町の豪農・永島家ではおびただしい数の襖絵を手掛けた。

その一つ《松鷹図》。

緻密に描かれた鷹と、豪快な筆致の松の対比が面白い。

伝統的な画題である《竹林七賢図》は、賢人たちが静かに語り合う場面を描くのが定番。

しかし蕭白の手にかかると、賢人たちは酒を片手に大口を開けていたり、だらしなく横座りしていたり。

両手を口に当ててこちらを見つめていたりと、どこか飄逸(ひょういつ)である。
蕭白からすると、この世に聖と俗の違いはないということであろう。
墨一色でこれだけの表現をする男に、有り余る色を与えたらどうなるのか?

《群仙図屏風》は蕭白の代表作である。
禍々しいまでの強烈な色彩の乱舞に、思わず圧倒されるだろう。
不老不死の象徴である仙人や元気な唐子たち。
さらに鶴や鯉などが描かれていることから、誰かの注文による縁起物であったと思われるが…
いずれも奇怪な姿で風情も情緒もまったくない。

しかしその迫力たるや空前絶後。
奇想の絵師の真骨頂である。
曽我蕭白の屏風

改めて依頼品を見てみよう。

曽我蕭白の六曲一双屏風である。

屏風の面を数える言葉を”扇(せん)”というが、一扇に人物が一人ずつ独立した構図で描かれている。
このような形式を押絵貼屏風(おしえばりびょうぶ)という。

大胆な筆使いの衣文線や豊かな表情は、いかにも蕭白らしい。

落款には右隻に曽我暉雄(てるお)。

左隻に藤原暉雄とある。
これは一体どういうことか?
果して鑑定やいかに?
本物 1800万円!


出た!1800万円!

「曽我蕭白の作品に間違いありません」

「生涯に少なくとも2度、伊勢方面へ訪れて作品を制作しています」

「印章を見ると、30歳頃のおそらく蕭白が1度目に伊勢を訪れている時代に描いた作品だという可能性は非常に高いと」

「ちょっと気にされておられた署名ですね。暉雄(てるお)というのは蕭白の名前。曽我というものも勝手に自分でつけた名字なんですが、藤原というのは自分をちょっと権威づけするために名乗っている名前です」

「いずれも中国の仙人、もしくは故事にまつわる人物が描かれている」

「よく知られている図柄でいいますと、老子は牛を引いた姿で描かれています」

「それから瓢箪をこう掲げているおじいさん。日本のことわざで“瓢箪から駒”、それの語源の一つとなった張果老」

「それからその左、中国・唐時代に寒山寺というお寺に住んでいた2人のお坊さん。左が寒山。右が拾得」

「蕭白の本分というのは水墨画。パッと見ただけですと乱雑に描かれているようにも感じられるんですが、墨の濃淡、刷毛と筆の効果の差というのをうまく使ってですね、衣服ですとか背景なんかの表現はすごく上手いと」

「蕭白ゆかりのですね松阪に残されていたっていうのは、すごく意義深いことだとは思います。素晴らしい作品、拝見させていただきました」
緑の宝石 エメラルド

依頼品はそれぞれ異なる宝石が付いた指輪と帯留めである。
詳しく見てみよう。

先ずはひときわ目を引くエメラルド。

エメラルドは「ベリル」という鉱物の一種である。

純粋なベリルは無色透明である。

しかし、微量のクロムを含むと鮮やかな緑色を呈し、エメラルドとなる

大きな特徴が内部に細かい傷があったり、

別の物質を含んでいたりと、いわゆるインクルージョン(内包物)が多いこと。
これは他の宝石では欠点とされるが、エメラルドでは魅力のひとつとされる。

古代エジプトの女王クレオパトラが愛したことでも知られる。

宝石のカット技術が発達するまでは、ダイヤモンドより価値の高い宝石であった。

依頼品は33.39カラットのエメラルドの指輪である。

カラットは宝石の重さの単位のことで、1カラットは0.2グラム。
すなわち依頼品は6.678グラムである。

緑色を発色させる元素クロムは大きな結晶になりにくい特性があるため、これほど大きなエメラルドは極めて珍しい。

また特徴であるインクルージョンも見て取れる。
永遠の輝き ダイヤモンド

続いてダイヤモンド。

ダイヤモンドは炭素のみからなる鉱物で、天然に存在する物質の中で最も硬い。

”永遠の輝き”と称されるように、その美しさがかすむことなく輝き続けることが最大の魅力である。

原石は16億年以上前、地下150kmほどの場所で誕生。

その後、火山の噴火によってマグマと共に地表に上がってきたものを人々が手にするようになった。

かつて宝石は色の美しさが重視された。

しかし14世紀ごろ、巧みにカットされた透明なダイヤモンドが登場したことで、”輝き”という新たな美しさが人々を魅了したのである。

ダイヤモンドが最も美しく見える代表的な形が”ラウンドブリリアントカット”である。

この形にすると、真上から当たる光のほとんどが反射されるため、より輝いて見えるのである。

依頼品は4.135カラットのダイヤモンドの指輪で、その形はラウンドブリリアントカットである。
希少な宝石 タンザナイト

そしてタンザナイト。

タンザナイトは「ゾイサイト」という鉱物の一種で、紫色を帯びた青い輝きを放ち、見る角度によって色が異なって見える性質を持つ宝石である。

緑やピンクのゾイサイトは200年ほど前から知られていた。

しかし1967年、タンザニアのメレラニ鉱山。

この地で澄んだ青色のゾイサイトが発見された。
当初は「ブルーゾイサイト」と呼ばれた。

その翌年の1968年、アメリカのジュエリーブランドのティファニーが、その色がまるでタンザニアの夕暮れの空のようであることから、「タンザナイト」と命名。

これによりその名は瞬く間に世界に広がり、現在青い宝石としてはサファイアに勝るとも劣らない人気を誇っている。

またメレラニ鉱山でしか採掘されないため、その希少性はダイヤモンドに1,000倍とも言われている。

依頼品は13.14カラットのタンザナイトをあしらった帯留である。

さらに3点とも中石の周りには小さなダイヤモンドが数多く配されているが…
果して鑑定やいかに?
衝撃の3500万円!


なんと!3,500万円!

「素晴らしいコレクションですね、ビックリしました」

「まずエメラルドですが、博物館に展示されるクラスの指輪ですね」

「色がたいへんに美しい、素晴らしいですね。(鑑定額は)2000万円」

「コロンビア産のエメラルド。コロンビアの石というのは最も色が鮮やかで有名なんですね、色々な方向から動かしてみましたけども、色のむらがない。それから透明度も素晴らしい。流通しているコロンビアのエメラルドとしては、最大級の大きさだと思います」

「次にダイヤモンドです。これも石が大きいですね。なかなかないですね」

「中に黒い点があるっていうふうに気にされてましたけども、ダイヤモンドは屈折が高いので、よく煌めくので、黒っぽく見えちゃうんですよ。それは実際には真っ黒じゃないんですね」

「ダイオプサイドっていう石ですね。実はいろんな種類が入っています」

「ガーネット、ダイヤモンドの中にダイヤモンドの結晶が入っています」

「インクルージョンが真ん中にありませんので、ダイヤモンドが輝く妨げにはなりません」

「それから最後にタンザナイトですね。これも素晴らしいですね」

「この大きさでクリーンに見えるタンザナイトは、そうあるものではありませんので、非常にこれも貴重な石ですね。今後産出がどんどん減っていくと思います。だから値段はどんどん上がっていくと思います」

「それぞれ脇石と地金を含めて、合計で3,500万」
今回の記事は以上になります。

