2025年4月22日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【ル・コルビュジエのリトグラフ/狩野山雪の六曲一双屏風/葛飾北斎の掛軸】についてまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
*画像出展元:テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」より
ル・コルビュジエのリトグラフ
依頼品はル・コルビュジエのリトグラフ。
コルビュジエは20世紀を代表する偉大な建築家です。
『サヴォア邸』はコルビュジエの代表作で非常にモダンな建物です。
また東京・上野にある国立西洋美術館はコルビュジエの設計です。

20万円!
「ル・コルビュジエが亡くなられた後、没後に刷られた複製の作品なんですね」
「オリジナルが製作されたのは最晩年の1965年。『ユニテ』というタイトルで、エッチングの20枚のシリーズがあって、そのうちの1枚」
「依頼品に使われている紙が、”アルシュ”というフランスの老舗メーカーの紙でして」
「透かしが隅に入ってるんですけれども、これが1975年以降に使われていた字体」
「建築思想と美術的研究が融合した作品というのを、大きなコンセプトとして制作したもの。オリジナルが130部ずつそれぞれ刷られてるんですけれども」
「右下に直筆でコルビジェのサイン、左下にはエディション130分の○○というのが入っている。それだったら100万円以上する」
日本美術史上最大の絵師集団 狩野派
狩野派は長きにわたり時の権力者に仕えた、日本美術史上最大の絵師集団である。
狩野派は室町時代、初代・狩野正信により京の都で誕生した。
四代・狩野永徳が信長・秀吉に仕え、一気に狩野派は勢力を拡大していく。
しかし江戸に幕府を開いた家康が、永徳の孫の狩野探幽を御用絵師に抜擢すると、これを機に本家筋は拠点を江戸に移すことになった。
探幽に始まる江戸狩野は、永徳とは趣を異にする淡麗にして瀟洒な画風を確立。
その地位は不動のものとなった。
一方、かねてより秀吉の庇護を受けていた永徳の門人筋の山楽らはあえて京に留まった。
山楽らは永徳の豪壮華麗な画風を継承。
寺社や公家たちに腕を振るったが、単なる職業絵師という不遇な立場に甘んじることとなった。
山楽の一派を京狩野という。
狩野山雪はその中でひときわ異彩を放った絵師である。
京狩野の奇才 狩野山雪
1590年、肥前国の生まれ。
生来の画才が見込まれ、16歳で山楽に入門。
するとたちまち頭角を現し、山楽の娘婿となり家督を継いだ。
しかし孤独癖が強かったため、俗世との交わりは好まなかった。
探幽率いる江戸狩野の隆盛に鬱屈した思いを抱きながら、ひたすら画業に励んだ。
おそらく強烈な対抗意識があったのであろう。
探幽の作は実にすっきりとしているが、
山雪はどこか癖のある作品を残している。
世俗を離れて生きた風狂の僧、寒山拾得(かんざんじっとく)も山雪の手にかかればこのように。
薄気味悪い笑みを浮かべており、まるで妖怪さながら。
その独創的なスタイルは、京の町に後に現れる奇想の絵師・伊藤若冲や曽我蕭白らに多大な影響を与えたとされている。
山雪の真骨頂は奇抜な形態感覚と、斬新な幾何学的構図にあるといえよう。
例えばこの《梅花遊禽図襖》。
右隅から伸びた梅の枝が垂直に急上昇したのち、下降と上昇を繰り返す。
ヤマドリの尾は岩や幹の斜線と並行に一直線に伸びている。
まさに縦横無尽の一言。
躍動感に満ちた美の世界を生み出している。
あるいは、こちらの《猿猴図(えんこうず)》。
これは猿が水面に映った月を取ろうとして溺れ死んだという故事が由来で、その愛らしい表情に目を奪われる。
しかしここにも緻密な仕掛けが込められている。
頭と膝、さらに水面の渦巻きを同じ楕円形にし縦に並べることで、装飾的な効果を生み出している。
《老梅図襖》は山雪畢生の大作である。
老いた梅の木は真っ直ぐ伸びることを拒むように、きらびやかな金地の中をのたうち回る。造形への執念の凄まじさを感じられる。
もともと《老梅図》の裏には同じく山雪による《群仙図》が描かれていた。
現在《群仙図》はアメリカのミネアポリス美術館に所蔵されている。
一方《老梅図》はメトロポリタン美術館に収蔵されている。
狩野山雪の六曲一双屏風
改めて依頼品を見てみよう。
狩野山雪の六曲一双屏風である。
伊勢物語の東下りに材をとったもので、
在原業平をモデルにしたとされる主人公が京を離れ、東国に向かう道中。
駿河国で初めて目にした富士山に感動し、和歌を詠むという場面が描かれている。
山雪にしてはオーソドックスな構図だが、富士山を見上げる一行の表情は一人一人丁寧に描き分けられており、実に生き生きとしている。
果して鑑定やいかに?
残念!偽物

20万円!微妙な鑑定額ですね…
「山雪の絵ではないです」
「顔料の時代が全く合っていないですね。古く見積もっても江戸時代中期。山雪の偽物を作ろうとして作ったものではなくて」
「既存の屏風に山雪の名前を入れたものではなかろうかなと」
「山雪は狩野派の中でも独創的な絵を描いております。これはまったく普通の狩野派の絵」
「特に右側の松なんかはもう普通すぎるというか」
「富士山を描いた山雪の作品。本物はやはり非常に雄大で美しい。それとは違うということです」
「もし本物でしたら2000万はくだらないと思いますね」
葛飾北斎の掛軸
依頼品は葛飾北斎の掛軸。

3000円。残念!
「北斎ではないです」
「まず龍の絵としてですねほとんど成り立ってない。胴体がこう雲で隠れてますけども、自然なこの体の動き、つながりがこうあるというふうには見えない。いきなり顔があって爪が出て、胴体がある」
「それから鱗。非常に優しい筆致である。北斎のはもう甲冑みたいにですね、しっかりと描いて表現する」
「もし本物でしたら5000万円以上するんじゃないかなと思います」
今回の記事はここまでになります。