2020年6月13日にテレビ東京にて放送された「新美の巨人たち」の【希望を与え続けてきた『ノートルダム大聖堂』復活への祈り】の回をまとめました。
こちらの記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧ください。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
ステンドグラスの秘密
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
こちらはパリ郊外にあるサン・ドニ大聖堂。
ステンドグラスをいち早く取り入れた教会として知られています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
内部は壮麗なゴシック建築になっており、日の光が溢れています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
ゴシック様式の前のロマネスク様式の建築は、小窓で壁が厚く、内部が薄暗いという特徴があります。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
一方ゴシック様式では、天井を高く取ることで大きな窓を設ける事が可能になり、教会内部が明るくなりました。
サン・ドニ大聖堂の建築を命じた修道院長シュジェールは「”神は光”である、光に満ち溢れた建築を造る」と書き残しています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
「神は光である」
それを体現するものこそが、まさに教会のステンドグラスだったのです。
以降サン・ドニ大聖堂を皮切りに、ステンドグラスが流行していきます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
聖書にも「神は光である(God is light)」の記述がたびたび登場しています。
ステンドグラスは、神の存在を表すために生み出されたものだったのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
13世紀にパリの中心部に建てられたサント・シャペル教会。
ここにパリで最も美しいといわれるステンドグラスがあります。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
その内部がこちらです。
精緻なステンドグラスが、教会の壁を埋め尽くしています。
これはすごい!綺麗ですね~
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
建設を命じたのは、フランス王ルイ9世(1214-1270)。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
その美しさから”聖なる宝石箱”とも呼ばれたサント・シャペル。
権力者が莫大な資金を費やして作り上げた神の光です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
一方、ノートルダム大聖堂のステンドグラスは、まったく違う魅力をたたえています。
解説の東京大学教授・加藤 耕一氏は次のように話します。
「暗くて、しかも巨大で背が高い空間の中に入ったときに、上のほうだとか、あるいはいちばん奥のほうから光が差し込んでくる。相当衝撃的ですので、当時の人からしたら”感動の空間”だったでしょう」
ステンドグラスの深い陰影が、神の存在を際立たせる効果になっていたのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
ノートルダム大聖堂には、3つのバラ窓のステンドグラスがあります。
北のバラ窓は、旧約聖書の世界を表しており、その中央には生まれたばかりのイエス・キリストの姿があります。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
その周りには古代の預言者たちが描かれています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
南のバラ窓に表されているのは、新約聖書の世界です。
こちらも中央にキリストの姿があります。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
中央のキリストの周りには、教えを広めるために選ばれた12人の使徒たちが表されています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
そして最後、西のバラ窓。
ここには他では見られない、パリのノートルダムならではの傑作が表されています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
その主題は、「12の美徳」と「12の悪徳」です。
いわば天国に行くか、地獄に行くかの判断基準が描かれているのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
それぞれの悪徳と美徳はセットになっており、一番外側に美徳、その内側に関連する悪徳が表されています。
例えば、”怒り”は「悪徳」ですが、そこで怒りに任せず”忍耐”することは「美徳」といったようにです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
ここでの悪徳は、”貪欲”です。
自分の欲しいままになんでも手に入れる事は良くない事だと言っているのです。
そして、その外側の美徳は”慈悲”です。
自分だけを豊かにするのではなく、周りの人に与える事が美徳と説いているのです。
英雄登場!破壊からの復活
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
ノートルダム大聖堂は18世紀には激動の歴史の中で激しく破壊されてしまいます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
1789年、フランス革命が勃発します。
「自由・平等・博愛」を掲げた民衆は権力に立ち向かいます。
攻撃の対象となった王権と長い間結びついていたカトリック教会は、その攻撃の矛先になります。
ノートルダム大聖堂も例外ではなく、見るも無残な姿になってしまいました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
パリにあるクリュニー中世美術館。
ここに当時破壊されたノートルダム大聖堂の彫像が残されています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
こちらに置かれた彫像群はどれも首がありません。
民衆からの攻撃によって、首が取られてしまったのです。
外壁にあったものだけではなく、教会内部にあったものも持ちだされ、壊されてしまったといいます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
フランス革命下では、ほとんどの教会が閉鎖を余儀なくされました。
ノートルダム大聖堂も修復されないまま、長い間放置されてしまいます。
しかしあの有名な英雄の登場で事態は一変します。
《皇帝ナポレオン一世と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》1807年
ジャック・ルイ・ダヴィッド
ルーヴル美術館蔵
それがあのナポレオンです。
このジャック・ルイ・ダヴィッドの作品では、フランス革命の混乱をおさめた英雄、ナポレオンが皇帝に就任した際の式典の様子が描かれています。
その式典の舞台となったのがノートルダム大聖堂でした。
では、なぜナポレオンは革命で荒れ果ててしまったノートルダムを大事な式典の場所として選んだのでしょう?
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
当時、フランス国民の大半がカトリック信者でした。
ナポレオンはカトリックの大聖堂であるノートルダムで戴冠式を行うことで、カトリック信者の味方であるという印象を与え、民衆の支持を得ようと考えたのです。
一方でノートルダム大聖堂側にとっても、これは幸運でした。
革命の影響で機能停止していたフランス中の教会堂が、ナポレオンの時代に、ノートルダムを中心として再び使われていくようになるのです。
「ナポレオンのおかげで、ノートルダム大聖堂は生き残った」(加藤 耕一氏)
破壊から再生…その秘密
フランス革命により、荒れ果てた姿になってしまったノートルダム大聖堂。
私たちが知る姿によみがえったのは、一冊の大ベストセラー小説がきっかけでした。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
それはフランスの詩人であり小説家のヴィクトル・ユゴーが1831年に発表した小説『ノートルダム・ド・パリ』です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
物語の主人公は、ノートルダムに暮らす鐘つき男のカジモド。
背中にコブがあり、その容姿から虐げられていたカジモドが、自分を助けた美しいジプシーに恋心を抱く悲しい愛の物語です。
この小説は、その後舞台や映画となり、世界中の人から愛される物語となったのです。
そしてこの小説がきっかけとなり、大聖堂の修復工事が始まります。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
ユゴーはカジモドの愛の物語とともに、市井の人々の生き生きとした暮らしぶりを描きました。
そしてそれが大きな共感を読んだのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
「荒廃したノートルダム大聖堂を元の姿に!」という声が高まり、フランス政府は大規模修復を決定するのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
かつて首を落とされた28体の彫像も、元の場所で美しくよみがえりました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
1908年には、修復された大聖堂を訪れた日本人がいました。
詩人で彫刻家の高村光太郎です。
明治時代の日本人にとって、パリは憧れの地でした。
なかでもノートルダムは別格の存在で、高村はノートルダム大聖堂に捧げる詩を残しています。
今回の記事はここまでになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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