2018年7月1日にNHKで放送された「日曜美術館」の【熱烈!傑作ダンギ アンリ・ルソー】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧ください。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
《子供の肖像》
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ルソーが描いた風景画は、当時の画壇から「子どもが描いたような絵だ、稚拙だ」などと酷評にさらされます。
けれどもルソーはめげません。
それどころか、新しいジャンルを開拓します。
《子供の肖像》1892年
アンリ・ルソー
オランジュリー美術館蔵
それが肖像画でした。
しかし、ここでもルソーの独特な世界観が全開です。
子供の表情には”愛らしさ”や”あどけなさ”は全くありません。
それどころか良い年の中年のようにすら見えてきます。
子供が抱えている人形も、かわいらしさとは無縁のものです。
足元に目をやると椅子に座っているわけでもないのに膝を曲げ、足先は草の中に埋もれています。
ルソーには5人の子どもがいましたが、その内4人を病気などで早くに亡くしています。
この《子供の肖像》は、亡くなった子供たちへの追悼だったという説もありますが、真意は謎のままです。
《フリュマンス・ヴィッシュの肖像》
《フリュマンス・ヴィッシュの肖像》1893年頃
アンリ・ルソー
世田谷美術館蔵
ルソー作品を4点所蔵する世田谷美術館。
その内の一点がこの《フリュマンス・ヴィッシュの肖像》です。
こちらも不思議さに溢れた一枚です。
広大な背景を背に立つ人物は、まるで浮遊するように描かれています。
《私自身、肖像=風景》
《私自身、肖像=風景》1890年
アンリ・ルソー
プラハ国立美術館蔵
《フリュマンス・ヴィッシュの肖像》と同じような構図で描かれたのが、ルソーの肖像画作品の代表作の自画像です。
ルソーの人物画の描き方は、まずその中心となる人物を描きます。
その次に人物に関連するモチーフを描き加えていくという方式なのです。
なので、この作品で何より重要なのは「自分自身は”画家”である」と表明していることなのです。
当時ルソーは作品を展覧会に出しても、周りから非難や物笑いの種にされてきましたが、それでも彼はこの《私自身、肖像=風景》で「自分自身は画家である」というのを高らかに宣言しているのです。
それにしても遠近感がおかしいというか、ルソーが大きすぎませんか?
…そんな違和感を持たれた方もいるかもしれません。
確かに手前のルソーのサイズ感と、川岸を行く人や橋との遠近感が合っていないように見えます。
それについて番組ゲストの遠藤望さん(世田谷美術館学芸員)は、「肖像画という”自分”がまずあって、その次に書割(かきわり)的に背景がある」と言います。
書割というのは、芝居の大道具で建物や風景などの舞台の背景を描いたものの事です。
なるほど。実際の風景じゃなく、作られた背景。それを聞くと遠近感がおかしいのも納得ですね。
また、遠藤さんは「ルソーの心の内がのぞける作品だ」と言います。
ルソーはこの絵を亡くなるまで手元に置き、ことある毎に手を加えました。
それが一番よく分かるのが手元のパレットです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ここにはこの絵を描き始める2年前に亡くした最初の妻クレマンス。
そして、その横には再婚するもやはり早くに亡くなった2番目の妻であるジョゼフィーヌの名が書き加えられています。
そして胸元に付けられた丸い勲章。
これは街の人々に絵を教える教授に任命された際に授与されたものです。
よほど嬉しかったのでしょう。ルソーは後に誇らしげにこの勲章を描き加えました。
背景に描かれているのはセーヌ川の船着き場です。
船には万国旗が飾られ、その向こうにはルソーが何度も自身の作品に描いたエッフェル塔が見えます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
空には不思議な形をした雲があります。
じつはこの形は日本の本州を参考にしたという説があります。
確かに!本州に見えますね。
当時のフランスでは、日本趣味、ジャポニスムが席巻していました。
ですので、ルソーも日本の地図を太陽と一緒に描いたという可能性は十分あるのです。
自らを描いたこの肖像画には、ルソーの様々な思いが込められているのです。
《ヘビ使いの女》
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ルソーは22年間務めた税関の仕事を、49歳で早期退職。
本格的に画家で食べていこうと決意します。
そして60代になると、「密林」をテーマに作品を描いていきます。
《ヘビ使いの女》1907年
アンリ・ルソー
オルセー美術館蔵
こちらはオルセー美術館に所蔵されるルソーの代表作《ヘビ使いの女》。
女の笛の音に誘われたのでしょうか。体にはヘビがまとわりつき、足元や木の上にもヘビがはい出してきています。
暗闇の中でシルエットだけが描かれた蛇使い。目だけがあやしく光ります。
密林のシリーズもまた、ルソー独特の世界観にあふれているのです。
《馬を襲うジャガー》
《馬を襲うジャガー》1910年
アンリ・ルソー
プーシキン美術館蔵
こちらは2018年のプーシキン美術館展でも来日した作品。
最晩年、66歳の時に描かれた作品です。
密林の中、白馬がジャガーに襲われるその一瞬を描いています。
草食動物が肉食動物に襲われる、その劇的な場面にもかかわらず、画面からはどこか静かな雰囲気さえ漂っています。
作家の原田マハさんは、密林のシリーズについて、「独学で絵を描き続けてきた、ルソーの真骨頂がある」と言います。
「密林の中にそもそも白馬がいるっていう不思議さと、それにアジの干物のような毛皮だけのジャガーが襲いかかるっていう、考えてみたらあまりありえないような構図なんだけれども、周囲を囲んでいるジャングルの鬱蒼とした雰囲気と相まって、何とも言えないシュールな画面ができてしまってるっていう」(原田マハ氏)
ルソーは生涯、フランスから国外に出た事はなかったといいます。
ですので、もちろんジャガーも実物を見た事はありませんでした。
そこで参考にしたのが、毛皮の敷物でした。
なるほど!だから毛皮を貼り付けたような感じになっているのですね。
また当時のフランスには、できたばかりの植物園がありました。
ルソーはそこで熱帯の植物を熱心に観察し、自分独自の架空の密林を描き出したのです。
ルソーは緑の色彩にこだわりました。密林の奥深さを表現するために、20種類以上の緑を使い分けています。
「晩年に近づけば近づくほど、どんどんルソーの作品は良くなって進化していく」と原田マハさんは言います。
晩年、ルソーは次のような言葉を残しています。
「幻想的な主題を描いていたある日、私は窓を開けなければならなかった。恐怖に駆られたのである」
この言葉について、番組ゲストの遠藤さんは次のように語ります。
「多分パリの近郊を描いていた時は、割に写実的に、自分が見たようにそれを描いていたと思うんですけど。この密林シリーズを描いていくと、だんだん自分もその中に入り込んでしまって、だからやっぱり窓を開けたくなるというか、熱くなってしまったんじゃないかなって感じですよね」
ルソーはまさに”諦めない人”でした。
若い頃から抱いていた画家の夢を諦めずに、40歳から独学で絵を描き始めました。
画家になったらなったで、発表する作品は展覧会で馬鹿にされますが、それでも描く事をやめませんでした。
晩年になって昔よりは認められるようになりますが、それでも色々と失敗をします。でもやはり最後まで諦めませんでした。
何があっても諦めなかったルソー、その作品には彼の強さが込められているのです。
今回の記事はここまでです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント
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