【新美の巨人たち】国宝《燕子花図屏風》【美術番組まとめ】

新美の巨人たち

2019年5月4日にテレビ東京にて放送された「新美の巨人たち」の【尾形光琳「燕子花図屏風」】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

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《燕子花図屏風》と根津美術館

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

水辺に咲くカキツバタの花。
4月下旬から5月上旬、ちょうどゴールデンウィークの時期が見頃です。

毎年この時期に、そのカキツバタを描いた尾形光琳の国宝が公開されます。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

その国宝は東京・南青山の根津美術館に所蔵されています。
2009年に建築家・隈研吾氏の設計でリニューアルオープンしました。

主に日本・東洋の古美術を収蔵し、そのコレクション数は7000点を超えています。
その中には国宝7件、重要文化財87件、重要美術品94件が含まれています(平成28年3月末の時点)。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

カキツバタが咲く時期に合わせて、年に約一か月だけ公開される国宝燕子花図屛風》。

初めて見る人はその意外にも大きいサイズに驚くでしょう。
金地を背景に描かれているのは、”カキツバタ”ただそれだけです。
土も水もなく、まして人の姿もありません。

この作品のように一つの屏風に面が6面あり、それがペアになっている屏風を「六曲一双」といいます。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

使われている色は花の部分の群青。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

そして葉の緑青、その2色だけです。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

岩絵具はその粒が細かくなるほど白っぽくなります。
その違いを生かして、花びらの一枚一枚を違う濃淡で描いています。


どこかデザイン的にも見える作品です。

じつはこれには尾形光琳の生まれ育った環境に関係がありました

尾形光琳について

画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より

尾形光琳(1658~1716)は江戸時代中期に活躍した絵師です。
京都の出身で、雁金屋という高級呉服商の家の次男として生まれます。
幼いころから彼の周りには、洗練されたデザインの着物があったのです。

また家庭も非常に裕福で、嗜みとして能を習ったり、狩野派から絵の手ほどきを受けるなど優雅な暮らしをしていました。
また大の遊び好きで、大の女性好きでもあったそうです。

しかし光琳の父親が亡くなると、雁金屋は次第に傾き始めます。
そんな状況下でも光琳の遊び癖は直らず、父親の莫大な遺産は使い果たし、挙げ句借金もたまるようになっていきました。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

そんな光琳を叱咤した人物がいました。
のちに陶芸家として大成する弟・尾形乾山(おがたけんざん)です。

生き方を変えなくては兄上のためになりません
この時光琳は40歳。彼は心を入れ替えて、絵師として生きる事を決めたのです。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

こちらはキャリア初期の作品です。
おおらかで自由な筆さばきは、とても40歳から絵を始めた人のものには見えません。

絵師としての才能があったのだと感じさせられます。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

そして40代半ばの頃に描かれたのが《燕子花図屛風》です。

根津美術館学芸員の野口剛さんは次のように述べています。
一見、平面的なデザイン画のように見えるんですけど、
そこにはカキツバタの息吹が濃厚に感じられる。
この屏風の制作の背景には、①自然を見る豊かな感性②それを絵に描くための文化的な背景③強力なパトロン、これらが合わさっています

カキツバタ、どこから見ている?

この《燕子花図屏風》はどこからの視点で描かれたものでしょうか?
じつは右隻と左隻では微妙に視点が違うのです。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

左隻の方は咲いている花に対して、真横ではなくやや上からのアングルで描かれているのが分かります。

一方の右隻は左隻に比べると、下から見ているような、花とほぼ水平の位置からの視点のように感じられます。
また色合いも右隻の方が明るく描かれています。

その違いから、屏風の左側に立つと、右側が遠くの景色にように見えるようになっているのです。

美しき国宝に描かれたもの

光琳はこの《燕子花図屛風》で、ただカキツバタの花を描きたかった、という訳ではありません。
じつはここにもっと別の題材があるのです。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

それは平安時代に成立した『伊勢物語』の第九段の「東下り(あずまくだり)」だと言われています。
主人公で歌人の在原業平(ありわらのなりひら)は理由あって京にいられなくなり、お供と東国へ向かう途中に三河国八橋(現在の愛知県知立市)に立ち寄ります。
この八橋はカキツバタの名所だったのです。

業平はそこで、都の残してきた妻を思って次の詩を詠いました。

ろ衣
つつなれにし
ましあれば
るばるきぬる
びをしぞ思ふ

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

じつはこの詩、各句の上の一文字を取ると、「かきつばた」となるのです。
この技法は「折句(おりく)」と呼ばれ、平安時代の高貴な嗜みでした。


《八橋図屏風》18世紀
尾形光琳
メトロポリタン美術館蔵

後に光琳はその八橋そのものの情景も描いています。
アメリカ・メトロポリタン美術館に収蔵されている《八橋図屏風》では、《燕子花図屛風》と同じ花々にプラスして、八橋が描かれています。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

つまりこの《燕子花図屛風》では、「鑑賞者は描かれていない八橋の上から、このカキツバタを見ている」とも考えることができるのです。

美しき国宝の謎に迫る

国宝《燕子花図屏風》には光琳斬新なアイデアが取り入れられています。
一見、カキツバタの花はアトランダムに描かれているように見えますが、右隻と左隻で同じパターンの繰り返しで描かれている所があります。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

右隻は四角で囲ったこちらの部分。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

左隻はこちらです。
この同じ模様の繰り返しは、”型紙”を用いて作られたと考えられています。


国宝《八橋蒔絵螺鈿硯箱》18世紀
尾形光琳
東京国立博物館蔵

光琳は絵画だけでなく、蒔絵の制作も手掛けています。
絵師でありながら、デザイナーとしての顔も持ち合わせていたのです。

天才デザイナー 尾形光琳

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

こちらの『円形図案集』は光琳が発案した、今でいう所の”デザインブック”です。
単純化したモチーフを絶妙なセンスで組み合わせるという、彼の非凡さがよく表されています。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

やがてこれらのデザインは、本人の筆を離れて「光琳模様」として人々に愛され、広まっていくのです。

共立女子大学の長崎巌教授は光琳模様について、次のように述べています。
光琳模様はおそらく江戸時代の流行模様のナンバーワンだと思います。光琳模様の流行は100年あるいは50年おきに復活しており、明治以降にも一度流行し、また戦後にも流行しているのです

そこには時代を超えた斬新さ、そしてデザインの面白さがあり、それ故に何年経っても人々に愛されたのです。

リズムを刻む、デザインの巧み

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

一見すると非常に平面的に見える作品ですが、見る位置を変えていくと、花がこちらに飛び出てくるような立体感があるといいます。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

その秘密は燕子花の配置にありました。
ジグザクと上下しながら、リズミカルに配されているのです。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

さらに屏風の折り目の部分に注目すると、ジグザグの頂点が折り目と重なるようになっているのです。

画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より

そうする事で折り曲げた際、奥行き感がより強調されて見えるのです。

光琳は屏風という支持体を巧みに利用して、より立体的な風景、三次元の燕子花を表現したのです。

いかがでしたでしょうか。
今回の記事はここまでになります。

最後までご覧頂きありがとうございました。

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