【日曜美術館】太子の夢・法隆寺の至宝②【美術番組まとめ】

日曜美術館

2021年5月30日にNHKで放送された「日曜美術館」の【太子の夢 法隆寺の至宝】の回をまとめました。

こちらの記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧ください。

番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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《聖徳太子立像(二歳像)》

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

聖徳太子が生まれたのは574年。
用明天皇の次男として生を受けました。

幼い頃から抜きんでた聡明さを持っていたといいます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

若干2歳にして、手を合わせて東を向き、「南無仏(なむぶつ)」と唱えたといいます。

重要文化財《聖徳太子坐像(伝七歳像)》

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

こちらは現存最古の太子彫像で、7歳の姿といわれています。

この頃、太子は百済から取り寄せた経論数百巻を読破したといいます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

太子は20歳になると叔母の推古天皇を助け、政治を行うようになります。
当時は至る所で、豪族同士の勢力争いが起こっていました。

重要文化財 十七条憲法板木

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

31歳の時に制定したのが、あの有名な「憲法十七条」。
国政に携わる役人たちへ、その心構えを説いたものです。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

その有名な第一条、「和を以て尊しとなす」。
意味は「人との和を大切にして、争わぬようにせよ」。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

第二条は「篤く三宝を敬え」。
「三宝」とは、”仏”と”教え”、そして”僧侶”の3つを指します。

太子は外国から来た仏教をいち早く理解し、国づくりの基礎としたのです。

国宝《薬師如来坐像 台座》

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

憲法十七条から3年後に創建されたのが法隆寺です。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

金堂に安置されている《薬師如来坐像》。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

その台座も国宝に指定されています
ここには当時の太子の志を探るヒントがあるといいます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

今はこのように黒ずんだ状態で何が描かれているの分かりません。
しかし、ここに赤外線を当てると…

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

仏の顔が見えてきました。

これらの情報を元に、台座の絵の想定復元作業が進められました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

そこに現れたのは、釈迦の弟子の一人である大迦葉(だいかしょう)です。
釈迦からの言いつけで、56億7000万年後にやってくるという弥勒如来に袈裟を渡すために待っている姿です。

台座には”仏の教えを守り抜く人の姿”が描かれていたのです。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

これについて、復元に携わった東京国立博物館の三田覚之さんは以下のように分析します。

太子より100年ほど前に、南朝に梁(りょう)と呼ばれる国があり、そこに”梁の武帝(ぶてい)”と呼ばれる人がいました。
たいへん仏教に熱心な人で、「皇帝菩薩」と呼ばれるほどでした。

中国では国を治める人間、すなわち皇帝が「菩薩であらなければならない」という考えがありました。
”菩薩の精神によって民を統治する”のが理想とされていたのです。

そして、その憧れが台座の絵に取り入れられたのです。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

山の形や、ひょろ長い木など非常に特徴的な台座の絵は、中国の6世紀の中頃に見られる特徴を表しています。

しかし台座の絵が描かれたのは、その時代から約100年後で、タイムラグが発生します。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

太子はあえて中国の古い、100年前の様式を取り入れて、それを良いものとしていたと推測することができるのです。

御物 法華義疏

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

読み方は「ぎょぶつ ほっけぎしょ」。
仏教の重要な経典の「法華経」について、太子が自ら記した、いわゆる”解説書”です。

難解な語句や内容についての注釈が記されています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

書いた文字をこすって消した箇所が見られます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

他にも一度書いた部分の上に別の紙を張り付けて、修正した痕跡もありました。

聖徳太子さんも書き間違いをするのですね!

太子の字の筆跡鑑定

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

森岡恒舟氏は、筆跡鑑定40年の専門家です。
古文書の分析から現代の筆跡鑑定まで手掛けます。

筆跡から太子の人柄を探りました

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

下の部分が極端に左に伸びた「」という文字。

左が長く突き出している度合いが、歴史上見ても、これだけ長い人は非常に少ないです」(森岡氏)

長い横線からは”意志が強く自身にあふれた人物”だと推測できるといいます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

さらにもう一つ「相」「国」「神」の字。
これらの字の角は極端に丸みを帯びています。

これについて森岡氏は、「鋭い部分、柔軟性のある部分、そのあり方に両者が際立っている。本当に並の人物ではない」と言います。

漫画家 池田理代子

三田覚之氏の解説

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

番組では『法華義疏』の精巧なレプリカを使って、東京国立博物館主任研究員の三田覚之氏が解説しました。

三田さんはこの『法華義疏』について、「筆跡は同じ人物ですが、部分部分で筆致や字の気分が微妙に異なる」といいます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

例えば冒頭部分は太い筆跡で素早く書かれています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

しかしその次のパートにいくと、急に文字が小さくなっています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

さらに次の部分になると、文字は若干大きくなりますが、冒頭ほど太くはなく、サラサラっと細めの文字になっています。

このように、書いた時々の気分というものが、この『法華義疏』にはすごく表れているのです。
これがもし仮に、お経などを書く専門の人であれば、もっと字の大きさや形が揃ってきます。

朝から晩まで『法華義疏』を書くのを仕事にしていたのではなく、自身の空いている時間に少しずつ書かれたものだとも推測できるのです。

今回の記事はここまでになります。
パート3へと続きます。
こちら☚からご覧頂けます。

コメント

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