2021年9月14日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【美術館の所蔵品とそっくり!尾形光琳・乾山合作の皿】と【デ・キリコのリトグラフ2枚】についてまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
美術史に燦然と輝く芸術家兄弟 尾形光琳・乾山

国宝《燕子花図屏風》。
緑青と群青のみで描き出された燕子花の鮮烈。
絵師の名は、尾形光琳(1658-1716)。



斬新な造形と華麗な絵付けで焼物に新風を吹き込んだ陶芸家・尾形乾山(1663-1743)。
この兄と弟は、ともに日本美術史にさん然と輝く巨人である。

徳川家康や淀君を顧客に持つ、高級呉服商雁金屋に生まれた2人。

幼い頃からきらびやかな衣装に囲まれて育ち、


また曾祖母(祖父または祖母の母)が本阿弥光悦の姉だったことから、書や蒔絵に親しむなど幅広い素養を身につけた。

光琳30歳、乾山25歳のとき、2人は父の莫大な遺産を受け継いだが、その後の生き方は対象的であった。
豪快で派手好きの光琳は、遊興にふけり、わずか数年で使い果たしてしまう。
挙げ句の果ては弟の乾山にも借金する有様であった。


しかし、40歳を過ぎた頃から本格的に絵を描き始めると、天賦の才が一気に花開く。
幼少の頃から培ってきた繊細で芳醇な美意識を発揮し、瞬く間に人気絵師となる。

ほどなく朝廷から法橋(ほっきょう)の称号を賜った。

光琳畢生の大作《燕子花図屏風》。
金地を背景に咲き誇る燕子花の群生。
そこには空も山も水も土も描かれていない。


しかも花の描写には型紙を使い、あえて繰り返し配置している。
そのバランスは絶妙で、単調さは微塵も感じさせない。
日本美術に初めて登場したリズムとデザインこそ、光琳にしか描けない”美の世界”であった。

一方、乾山は町を離れ、静かな地に居を構えると、詩や書を楽しむ隠とん生活を始めた。

更にかねてより憧れていた野々村仁清に弟子入りし、37歳にして京・鳴滝泉谷(なるたきいずみたに)に窯を開いた。

この窯が都の西北、すなわち乾(いぬい)の方角に位置することから、”乾山”と号するようになった。

乾山が目指したのは、静かな水墨の味わいを焼物で表現すること。

器に白土を化粧がけし、その上に鉄釉の濃淡だけで絵を描く。
「白地銹絵(しろじさびえ?)」と呼ばれる技法を我がものとした。


また色紙のように平らでゆがみのない角皿を好んで用いたが、これは単に絵を鑑賞することだけを目的としたのではなく、懐石道具の形式にのっとったものであった。

この乾山の焼物を更なる高みへと持ち上げたのが、天才的なデザイナーの兄・光琳であった。
既に当代随一と謳われた光琳の洒脱な絵に、乾山が得意の漢詩を沿える。
これぞまさしく兄弟合作、書画陶一体(しょがとういったい)の極みであった。


その後も乾山は光琳の意匠を巧みに生かした遊び心あふれる器を次々と世に送り出した。

やがてその名は京焼の一大ブランドとなったのであった。
美術館の所蔵品とそっくり!尾形光琳・乾山合作の皿

改めて依頼品を見てみよう。尾形光琳・乾山合作の六角皿である。
見込みには光琳の筆による、おおらかでユーモラスな寿老人。

裏には乾山の名が堂々と書かれている。

大倉集古館に依頼品とよく似た皿が収蔵されている。

確かにそっくりである。
ということはこれは何点か作ったうちの1つか?
果たして鑑定やいかに?
残念 複製品!


残念1000円!

「本物はね、18世紀の初頭に作られた重要文化財のお皿でね、この世に一点しかございません」

「本物と比べて何が違うかっていうとね。このリズミカルな筆運びの墨の濃淡というものが全くないんですよ」

「例えばその頭の部分。本物はね、筆でこういう風に2本で描いておでこの膨らみを表している」

「ところがこれを見ると、すっと描いてありますね。まったく平面ですよね」

「これね、使用に耐えるように作ってございます。お茶室でお使いになって、皆さんで和気あいあいと楽しんでください」
ジョルジュ・デ・キリコのリトグラフ2枚

お宝はジョルジュ・デ・キリコのリトグラフ2枚。

デ・キリコは20世紀初頭、形而上絵画を提唱。

実際に見る事のできないものを描き、のちのシュルレアリスムの大きな影響を与えた。

依頼品は11年前、亡き父が知り合いのイタリアのコーディネーターから160万円で購入したもの。
父はとても気に入り、リビングに飾って楽しんでいたが、家族は皆「なぜこんな絵を?」と思っていた。


なんと100万円!

「2点ともデ・キリコの版画で間違いありません」と語るのは「ヌカガファインアート」代表取締役の額賀大輔氏。

「どちらも1970年に制作されています」

「大きい方のタイトルが『Le Maschere』。”マスク達”という意味でトータル142枚」

「小さいのほうタイトルが『I Ballerini(ダンサー達)』。トータルで77枚刷られています」

デ・キリコの代名詞といえば1910年代の形而上絵画。

「この版画が制作された1970年っていうのはそれを発展させて、より明るいイメージの新形而上絵画っていうものに取り組んでいきます。この頃から安定的な収入を得るためか、版画を制作するようになるんですね」

「共に主役はマネキンで、お腹の部分とかに見えているのは、機械的な何か、もしくは建造物。
生命感のない非現実的な描き方っていうのは、形而上絵画の特徴であり、魅力であります」

「明るいイメージで描かれていますので、飾りやすいのではないかなとは(笑)」
今回の記事はここまでになります。

