【日曜美術館】第72回正倉院展③【美術番組まとめ】

日曜美術館

2020年11月1日にNHKで放送された「日曜美術館」の【至宝からひもとく天平の祈り〜第72回 正倉院展〜】の回をまとめました。

今回の記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☚からご覧頂けます。

番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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光明皇后が行った社会福祉事業

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

奈良県奈良市ににある法華寺(ほっけじ)光明皇后が745年(天平17年)に創建したお寺です。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

ここには「浴室」と書いて”からふろ”と読む施設があります。
”ふろ”とついていますが、湯舟はなく蒸気で体を温めるもので、今でいう”蒸し風呂”です。
(現在の”からふろ”は奈良時代のものではなく、江戸時代に再建されたものになります)

大きな窯で湯を沸かして、その蒸気を”からふろ”の床下から出して蒸し風呂状態にします。
奈良時代には、放出される汗と共に体にある悪いものも一緒に出ていくと考えられていました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

こちらは東大寺の創建にまつわる伝承が描かれた「東大寺縁起絵巻」です。
画面の一番左側、病人の世話をしているのが光明皇后です。

光明皇后の国や人々を想う姿勢は、後の世の人々も助けることになります。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

こちらの『雑物出入帳』には、光明皇后が亡くなって約50年後に病気の僧侶のために薬物が正倉院から取り出されたと残されています。

《大黄》北倉95

画像出展元:「宮内庁ホームページ」より

この時に正倉院から取り出された薬の一つが、今回の第72回展に出陳されています。
大黄(だいおう)》は、下剤として使われるタデ科の植物の根を乾燥させた生薬です。

主な薬効は、血の巡りの改善から鎮静・抗菌・抗炎症・免疫賦活などで、現在でも生薬として広く使われています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

正倉院に納められた当時の記録では221キロ分あったとされ、これは『種々薬帳』に記載された60種の薬で最も多い量であることから、当時から相当の需要があった事が想像できます。

現在残っている量はその七分の一の31キロ分になります。
これは光明皇后が正倉院に納めて以降、倉から持ち出されて、多くの病気の人に処方された事を示しています。

ちなみに近年の科学調査では、この《大黄》には今なお有効成分が残っている事が明らかになっています。

1300年も経っているのに!これはすごいです。

国を思い、人々のために行動した光明皇后の優しさが、後の時代まで多くの人を救う事になったのです。

正倉院宝物としての”薬”

「正倉院宝物」と聞くと、豪華で煌びやかな楽器や装飾品などをイメージするのがほとんどだと思います。
どうして””が宝物として正倉院に納められることになったのでしょう?

当時これらの薬は非常に上質かつ高価であり、聖武天皇をはじめとする天皇クラスの身分の人でしか手に入らないものでした。
とても庶民には手の届くものではなかったのです。

正倉院に納められた意図は、それらを大仏様に捧げることによって、実際の効果にプラスして仏教の力で薬効が大きくなるようにとの祈りが込められていたのです。
今日私たちは正倉院宝物の一環として正倉院に納められた薬を見ていますが、納められた当時は今でいう”宝物”のような感覚ではなかったと考えられます。

ちなみに正倉院に納められた薬は使われた度に記録が残されており、「いつ・誰が・どのような症状で使ったか」が今日でも分かるようになっています。
当初は療養する施設などで使われていたと考えられていますが、記録に残されているのはお坊さんや貴族などある程度の地位の人物になるといいます。

《金銅鈿荘大刀》中倉8

奈良時代、聖武天皇や貴族が重要視していた仏教の教えがあります。
それが「喜捨(きしゃ)」という考え方です。

喜捨」とは、自分の大事にしているものを手放して、徳を積むことをいいます。
正倉院には喜捨された品々が数多く収められました。

画像出展元:「宮内庁ホームページ」より

特に武器や武具が多く収められました。
こちらの《金銅鈿荘大刀(こんどうでんかざりのたち)》もその一つです。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

持ち手の部分には紫檀。
金銅で装飾が施され、金具の青い部分は濃い青色の瑠璃が埋め込まれています。

全長は75センチ。シンプルな姿をしていますが、貴重な材料でできています。
その美しい姿から儀礼用の太刀だと考えられています。

このような武器や武具を喜捨する事、すなわち放棄する事は、平和や安寧な世の中を願ったからだとも考えられています。

今回の記事はここまでです。
次のパート4で「第72回正倉院展」の特集はラストです。
こちら☚からご覧いただけます。

コメント

  1. […] 今回の記事はここまでです。 続くパート3では、光明皇后が取り組んだ具体的な社会福祉事業についてみてまいります。 こちら☚からご覧いただけます。 […]

  2. […] 今回の記事はパート4になります。 前回のパート3はこちら☚からご覧頂けます。 […]

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