2020年4月7日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#343 世界初!奇跡の大規模展「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」後編〜古典から印象派の誕生へ、ゴッホ「ひまわり」日本初公開!〜】の回をまとめました。
今回の記事はパート12です。
前回までのロンドン・ナショナル・ギャラリー展の特集記事一覧は、こちら☚からご覧ください。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
*開幕日及び会期が変更となっております(2020年6月6日現在)
詳細は展覧会公式HPをご確認ください。
ロンドン・ナショナル・ギャラリー展公式HP:リンク
《ウェリントン公爵》ゴヤ
《ウェリントン公爵》1812-14年
フランシスコ・デ・ゴヤ
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
描かれているのはイギリスの軍人で「初代ウェリントン公爵」のアーサー・ウェルズリー(1769-1852)です。
彼はスペイン独立戦争(半島戦争)で活躍した人物です。
特に1815年のワーテルローの戦いではナポレオン軍を打ち負かし、ナポレオン戦争に終止符を打った事でも知られています。
作者のフランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco Goya、1746-1828)は18世紀後半から19世紀に初頭にかけて、3代のスペイン国王に仕えた宮廷画家でした。
《裸のマハ》や《着衣のマハ》が彼の代表作として知られています。
この《ウェリントン公爵》はゴヤ60代後半の頃の作品です。
1812年の8月、ウェリントン公爵率いる連合軍がサラマンカの戦いでフランス軍を破ります。
そして首都マドリードを占領した直後に同地で描かれました。
この肖像画は軍人の肖像画ですので、その人物がどれほど偉く立派であるかを描く事が求められました。
それがこの作品では、胸元や首から下げた勲章で表されています。
しかしその代わりに表情がいまいちパッとしていません。
疲れているような、ボーっとしているような表情をしています。
ここがゴヤの近代的な感性なのです。
すなわちその人物が、”どんなに偉い人物か”や”素晴らしい肩書きか”で人物を見るのではなく、人間そのものを見ているのです。
ウェリントン公爵という栄光に包まれた人物ではありますが、そこには長きにわたる戦いを終え、どれだけの苦労を経てその栄光に至ったか、をゴヤは表しているのです。
まさに「19世紀の新しい肖像画」です。
しかし当のウェリントン公爵は、ゴヤの描いたこの作品を気に入ってはいなかったと思われます。
祖国イギリスに持ち帰ると、すぐに義理の妹のウェルズリー侯爵夫人にあげてしまいます。
盗難事件
この《ウェリントン公爵》という作品は1961年にナショナル・ギャラリーに展示されます。
しかしなんとその19日後に盗まれてしまいます。
じつはこれが有名な盗難事件なのです。
この作品は元々アメリカ実業家であるチャールズ・ビエラー・ライツマンが購入し、アメリカに持っていかれる事になっていました。
そこでイギリス政府はライツマンの購入金額と同額(140,000ポンド(390,000ドル))で買い戻したのです。
いわば鳴り物入りで展示されていた作品ですが、展示から19日後にこの作品1点だけが盗まれるのです。
映画「007」に登場
盗難の翌年に公開された映画『007/ドクター・ノオ』(007シリーズの劇場公開作品1作目)の1シーンにこの《ウェリントン公爵》の肖像画が登場します。
この時はまだ絵画は盗まれたままで、所在不明でした。
主人公ジェームズ・ボンドの敵であるドクター・ノオの部屋にこの作品が登場します。
つまりこれはドクター・ノオがこの作品を盗んだという設定で、現実の事件と絡めた英国ジョークだったのです。
盗難事件の結末
盗難事件から4年後の1965年に犯人が名乗り出る事で、事件は急展開を見せます。
犯人はケンプトン・バントン(Kempton Bunton、1904-1976)、年金暮らしのバスの運転手でした。
画像出展元:ホームページ「Another Nickel In The Machine」より
バントンはロンドン・ナショナル・ギャラリーの警備員との会話から情報を聞き出していたのです。
そこで朝の掃除の時間は清掃を行うために、赤外線センサーとアラームのセキュリティシステムがオフにされるという情報を手に入れるのです。
犯行当日はトイレの窓から館内に侵入し、作品を盗み出しました。
バントンの犯行の動機は、「イギリスのテレビ受信料に抗議するため」でした。
今でいう「NHKから国民を守る党」みたいな感じですね。
イギリスがアメリカに渡ってしまいそうになっていた『ウェリントン公爵の肖像』を買い戻したというニュースをバントンが見て、「こんな値段で絵を買い戻すくらいなら、そのお金でテレビ受信料を無料にするべき」と思ったのが動機でした。
バントンが返却の条件に挙げたのは、絵画の購入額と同額(140万ポンド)を貧しい人々のテレビ受信料に充てる事と、自分を無罪にする事でした。
結局イギリスはその要求には応じなかったものの、バントンには興味深い判決が下ります。
それは絵画作品を盗難したのではなく、絵の額縁を盗んだ罪で起訴されたのです。
(絵は返されたものの、額縁は返されなかったので)
そうする事でバントンの罪を軽くしてあげたのです。
結果バントンには懲役3カ月の刑が言い渡され、事件から15年後の1976年にこの世を去ります。
しかし実際の実行犯はバントンではなかったのです。
1996年に発表されたナショナル・ギャラリーの資料によると、別の人物が実際に作品を盗難した可能性があると発表しました。
また2012年には国立公文書館が、機密ファイルを公表。
その中でバントンの息子のジョンが1969年にこの盗難事件について自白をしていた事が明らかにされました。
(しかし証拠が不十分のため、当時はそれ以上の措置は取られなかったのです)
いかがでしたでしょうか。
今回の記事は以上になります。
続くパート13では、クロード・ロランとターナーの風景画についてまとめていきます。
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