2019年4月27日にテレビ東京にて放送された「新美の巨人たち」の【弘法大師・空海「立体曼荼羅」】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧ください。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
東寺に秘められた謎
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
「東の寺」と書いて”東寺”。
しかし東寺が建っているのは、平安京の南側です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
平安京は東西4.5キロ、南北5.2キロの広さがありました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
最も北に、天皇の住まいのあった大内裏(だいだいり)があり、そこの朱雀門から朱雀大路(すざくおおじ)が平安京の入り口まで一直線に伸びていました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
朱雀大路の終着点、南端の正門として設けられたのが羅城門です。
そしてその羅城門を挟んで東側に「東寺」、西側に「西寺」が建てられたのです。
だから南にあるのに、「東寺」なんですね!
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
かつて羅城門があった場所は、現在は公園になっています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
西寺も今はなくなっており、こちらも現在は公園になっています。
ではなぜ西寺はなくなり、東寺だけが残ったのでしょう?
真言宗の執事長、砂原秀輝さんは次のように話します。
「東寺はお大師さん(空海)が頂いたから、お大師様の教えで残ったと思います」
空海の故郷を訪ねて
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
空海とは一体どのような人物だったのでしょう。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
香川県の善通寺(ぜんつうじ)。空海とたいへん所縁の深いお寺です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
善通寺の中にある御影堂、ここは空海が生まれた屋敷跡に建てられたお堂です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
この御影堂の奥、黒い大扉の奥殿。
ここは空海の母親の玉寄御前の部屋があった場所で、空海もここで誕生したといいます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
御影堂の南側には、産湯の井戸があります。
空海とは一体何者か!
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
空海は平安遷都から遡ること20年前、774年に讃岐の豪族の家に生まれます。
18歳の時に官僚になるために大学へと進みます。
しかし突如、仏の道に目覚めて山林修行に身を投じます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
804年、31歳の時に遣唐使として中国・唐へと渡ります。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
長安にある青龍寺という寺で、高僧の恵果(けいか)に弟子入りします。
そこで当時最先端の仏教である密教のすべてを伝授され、正当な継承者となります。
こうして帰国した空海は、日本では”仏教界のスーパースター”的な存在となったのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
823年に嵯峨天皇から東寺を下賜された際に、空海が真っ先に取りかかったのが、講堂の建設でした。
そして、そこに『立体曼荼羅』を作り上げることこそ、空海の使命だったのです。
造形と配置の秘密
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
794年に都が平安京に移されますが、じつはその100年前から数えて6度の遷都が行われています。
なぜこれほど頻繁に都が変えられたのでしょう?
その理由の一つが『怨霊』の存在でした。
この時代、天変地異や疫病、はたまた朝廷内の権力闘争まで、これら都で起こる良くない事は全て”怨霊の仕業”だと考えられており、当時の人はその対策を真剣に考えていたのです。
空海に課せられた使命は、その怨霊の脅威を制することだったのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
空海の『立体曼荼羅』は、怨霊を封じ込め、都を守るための巨大装置だったのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
『立体曼荼羅』の中の「五大明王」。
こちらは空海によって初めて日本にもたらされました。
恐ろしい表情、そして武器を手にした明王たち。
空海は、はびこる恐ろしい怨霊に対抗するために、怨霊に負けない、圧倒的な迫力をもつ仏像を作ったのです。
当時、立体曼荼羅の仏像群を見た人は、「これならば怨霊に勝てるな」と思ったのかもしれません。
「(怨霊に対して)非常に効果的な対策を立てたのが、空海という人だった可能性は十分あると思います」(正木氏)
『立体曼荼羅』には空海の力と美学が凝縮されているのです。
空海 もう一つの遺産
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
日本最大の溜池である満濃池(まんのういけ)。
香川県の山あいにあるこの溜池も、空海の残した遺産です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
香川県は雨が少なく、水不足に頻繁に陥る事から、至る所に溜池があるといいます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
平安時代に満濃池が決壊し、たいへんな被害をもたらしました。
その後、3年がかりで改修工事を行いましたが、上手くいきません。
そこで朝廷から派遣されてきたのが、空海だったのです。
空海には唐で学んだ、最先端の土木技術の知識があったのです。
空海の登場により、およそ3カ月で満濃池の改修は完了したと伝えられています。
3年経ってもダメだったのに、それを3カ月で。
すごい人なんですね!
空海という人物がいかに優れた人であったか。
立体曼荼羅と共に、彼の凄さを今に伝える遺産なのです。
今回の記事はここまでになります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント
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