【ぶら美】松方コレクション展④【松方とベネディット、ロダン作品】

ぶらぶら美術・博物館

2019年7月23日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#315 国立西洋美術館「松方コレクション展」~ゴッホ、モネ、ルノワール…歴史に翻弄された奇跡の名画が大集結!~】の回をまとめました。
今回の記事はパート4になります。
前回のパート3はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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松方幸次郎とロダンの関係

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

国立西洋美術館の前にはロダン作の《地獄の門》が置かれています。
こちらのブロンズ像は世界に8体しかありません。
しかし、そもそもなぜ国立西洋美術館にこの作品があるのでしょうか

そのキーパーソンとなったのがこちらの肖像画の人物です。


《レオンス・ベネディットの肖像》1923年
アメリ・ボーリー=ソレール
オルセー美術館蔵

松方幸次郎ロンドンでの購入アドバイザーブラングィンであったように、パリではこのレオンス・ベネディット松方の購入のアドバイザーとなったのです。

レオンス・ベネディット(Léonce Bénédite、1859-1925)は美術史家であり、パリにあるリュクサンブール美術館の館長を勤めていました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

1918年の8月に松方ベネディットはパリで会います。
この時ベネディットロダン美術館の開館の準備に追われていました。
ロダンは1917年の1月に亡くなっています)

この時ベネディットは美術館の資金繰りに困っていました。
そこで松方幸次郎が資金援助します。

松方は日本に自身のコレクションを展示する美術館を設立するにあたって、ロダンは外せない芸術家だと考えていました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そこで松方ベネディットに、ロダン作品の鋳造を発注します(1918年)。
前金で6万フランを支払い、資金難を援助しました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

さらに1920年には『地獄の門』のブロンズ像を発注します。
地獄の門』はロダンが生きている頃にはブロンズとしては制作されず、松方の注文が世界初の鋳造となりました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この展覧会では「地獄の門」の第三マケット(マケットとは、彫刻を作る際に試作される蝋や粘土でつくられた小型の模型、絵画でいう”下書き”のようなもの)が展示されていました。

松方は最終的には50点以上のロダン作品を発注しています

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

松方ベネディットは家族ぐるみでの付き合いをするほど親交を深めていました。
そういった信頼関係もあり、ロダン美術館松方コレクションを一時的に置かせてもらったりもしていました

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

その作品たちというのが、パート1でもご紹介したパリで保管された約400点の作品になるのです。

画家:アメリ・ボーリー=ソレール

画像出展元:wikipedia「Amélie Beaury-Saurel」より

レオンス・ベネディットの肖像》を描いたのは、アメリ・ボーリー=ソレール(Amélie Beaury-Saurel、1849-1924)という名の女性画家で、肖像画を数多く描いたことで知られます。

スペインのバルセロナに生まれ、その後フランスのコルシカ島で暮らしますが、最終的にはパリに落ち着きます。
そこで私立美術学校「アカデミー・ジュリアン」に通い、ジュール・ジョゼフ・ルフェーブルトニ・ロベール=フルーリーに師事します。

1874年にはパリのサロンにデビューし、1880年代にはサロンの重要な画家の一人として認められました。

私生活では1895年には塾の主催者で、画家のロドルフ・ジュリアンと結婚します。
1907年に彼が死去すると、これを引き継いで女性画家の教育に力を注ぎました。

松方幸次郎の極秘任務⁈

松方は1921年からベネディットのアドバイスの元、パリで美術作品を買い集めます。
しかし、この時松方がパリに赴いた理由は、単に「美術品を購入するため」だけではなかったといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

1921年というと、第一次世界大戦(1914~1918)終了直後のタイミングでした。
松方は日本の海軍から「ドイツの潜水艦のUボートの設計図を入手せよ!」という極秘任務を受けていたといいます。

スパイってことじゃないですか⁈

今となっては極秘任務のため確認しようがありませんが、そのように言われています。
なぜ松方がそんな極秘任務を受ける事になったのでしょう?

その理由は一つには、松方は民間人なので怪しまれないという事
さらに造船会社の社長という事で船舶に詳しかったのと、ヨーロッパにコネクションがあり熟知していたのが理由と考えられています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

当時の新聞の記事等によると、その任務は成功したと言われています。
その後実際に造船所の方でも、潜水艦を建造されたとも。

一説にはその極秘任務をカモフラージュするために、あえて派手に絵画を購入して、そちらに目を向けさせていたと言われています。
さらには海軍の機密費も出ていたとか・・・

と、今回の記事はここまでです。
続くパート5では、松方パリで購入した作品について見てまいります。
こちら☚からご覧いただけます。

コメント

  1. […] 今回の記事は以上になります。 パート4へと続きます。 こちら☚からご覧いただけます。 […]

  2. […] 2019年7月23日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#315 国立西洋美術館「松方コレクション展」~ゴッホ、モネ、ルノワール…歴史に翻弄された奇跡の名画が大集結!~】の回をまとめました。 今回の記事はパート5になります。 前回のパート4はこちら☚からご覧いただけます。 […]

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