2025年10月24日にNHKにて放送された【正倉院の扉】をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
(6)聖武天皇のオフタイム
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
聖武天皇の治世は地震や疫病など災難が続き、社会は疲弊しきっていました。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
そんな中でも聖武天皇が息抜きとして、楽しんだのが双六です。
正倉院宝物『木画紫檀双六局(もくがしたんのすごろくきょく)』は、日本最古の双六盤です。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
こちらのガラス製の『双六子(すごろくし)』を使って遊びます。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
遊び方はサイコロを降ってコマを動かします。
一見今と同じような遊び方に感じますが、実は今と違っていて、一対一の対戦型で駆け引きがあって難しいといいます。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
当時の双六は世界中で人気のゲームで、その発祥はエジプトです。
一方、宝物に見られるデザインはペルシャのものです。
文様は竹で表されていますが、その材料はアジア産です。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
この宝物は世界各地の流行を吸収して、正倉院にやって来たのです。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
双六と一緒に日本に伝わったものがあります。
それは賭け事、つまり賭博です。
当時は禁止令が出るほど流行したといいます。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
しかし当時の聖武天皇は多忙を極めていましたので、とても賭け事をしている暇はなかったといいます。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
そんな多忙な聖武天皇がくつろぐ際に使った宝物が、『紫地鳳形錦御軾(むらさきじおおとりがたにしきのおんしょく)』です。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
こちらは今でいうクッションで、大きさが80センチもあり、かなりゆったりと使うことができます。
ちなみに重さは4キロもあります
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
じつは同じようなクッションがもう一つあります。
先ほどの『紫地鳳形錦御軾』は聖武天皇が使用し、こちらの『長斑錦御軾(ちょうはんきんのおんしょく)』は光明皇后が使いました。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
これらの宝物は横から見ると、若干ゆがんでいるのが分かるといいます。
その事からこれらが実際に使われたものであると分かるのです。
(7)どうして宝物?
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
華麗な正倉院宝物の数々。
しかし中には「なんでこれが宝物?」というようなものもあります。
ここからはそんな一風変わった正倉院宝物を見ていきます。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
まずはこちら『白絁腕貫(しろあしぎぬのうでぬき)』
腕貫とは、腕に通して袖が汚れるのを防ぐための作業着のようなものです。
当時はお経を書き写すの写経所というものがあり、大勢の人がこの腕貫をして働いていました。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
紐を首にかけ、腕を通して使いました。
当時は筆に墨だったので、これがないと衣服がすぐに汚れてしまうのです。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
紐の部分にはこの腕貫の持ち主の名前が書かれており、高市老人(たけちの おゆひと)さんのものであった事が分かります。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
全体的に汚れが少ないことから、持ち主の高市さんは器用な人だったことが想像できます。
しかしどうして、個人の作業着(腕カバー)が正倉院宝物として残っているのでしょう?
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
じつは正倉院はもともと東大寺の倉としての役割がありました。
聖武天皇は国をあげて東大寺を作るために、大仏殿のすぐ近くに役所を設置しました。
その役所で使われた作業着や机、墨や筆なども正倉院に保管されることとなったのです。
また、物品だけでなく事務書類も残っています。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
こちらの宝物もまた一風変わったものです。
こちらは『椰子実(やしのみ)』という名称の正倉院宝物です。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
よく見ると目と鼻が書かれているのがわかります。
『椰子実』は鎌倉時代に正倉院宝物に加わったとされていますが、その用途については分かっていません。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
こちらもまた変わった宝物です。
『虹龍(こうりゅう)』と呼ばれる、人の目に触れると雨が降るという伝説がある龍です。
室町時代に将軍がこの『虹龍』を見て、実際に雨が降ったこともあったのだとか。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
なんとも不思議な宝物ですが、その正体は“テン”という動物のミイラであることが分かっています。
(8)遣唐使はつらいよ
正倉院宝物の多くは遣唐使によってもたらされました。
ここではそんな遣唐使にまつわる宝物を取り上げます。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
『金銀山水八卦背八角鏡(きんぎんさんすい はっけはいのはっかくきょう)』は遣唐使が唐でつくらせたと伝わる、直径40センチの大きな鏡です。
背面には楽器を演奏する人、飛び交う龍や鳥が表されています。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
デザインももちろん素敵ですが、注目すべきは外周に沿って書かれた文字です。
じつはここには漢詩が表されています。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
遣唐使が日本で待つ妻か恋人のために作った鏡といわれていて、以下のような内容の漢詩が書かれています。
「独りぼっちで異国に来て、孤独なまま何年経っただろう。
初めて鏡を作り、映すのに相応しいあの人のことを思い出してしまった。
鳳凰や龍が森や海に帰るように、私もこの鏡をしっかりしまって変える日を待ち、
再び出会えた時、愛しいあの人を映し出そう」
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
こちらの宝物は奈良時代の学者・吉備真備(きびのまきび、695-775)が作ったものと伝わっています。
吉備真備は二度も唐に渡り、たくさんの書物を日本に持ち帰り、当時の政治や文化に多大な影響を与えました。
奈良時代の日本にとって遣唐使の役目はとても重要で、当時最先端の唐の文化や技術を取り入れる唯一の手段でした。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
唐に渡るのは簡単なことではありません。
渡航はまさに命懸けで、到着できるのも奇跡的なことだったといいます。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
こちらの『刻彫梧桐金銀絵花形合子(こくちょうごとうきんぎんえのはながたごうす)』は、一本の木をくりぬいて作られた花形の入れ物です。
じつはこの宝物は唐からやってきた歴史上有名な人に関係するものです。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
それがあの鑑真(がんじん、688-763)です。
鑑真の来日の目的は、日本でお坊さんに資格を与える仕組みを作ることで、そのために招かれました。
しかし五度も渡航に失敗し、ついには失明してしまいます。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
『刻彫梧桐金銀絵花形合子』は、鑑真と一緒に唐からやってきた職人が作ったと言われています。
鑑真もこの宝物に触れて、故郷・唐のことを思い出したのかもしれません。
(9)乙女の部屋
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
法華寺の光月亭。
ここは光明皇后の住まいでした。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
『平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)』は光明皇后にまつわる宝物です。
豪華な装飾には世界各地で集められた素材が使われています。
白い花弁や葉は東南アジアの夜光貝、赤いのはミャンマーで採れた琥珀。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
隙間にびっしり埋められている青くて細かい石は、アフガニスタン産のラピスラズリと、イラン産のトルコ石。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
鳥の顔や羽の模様は、夜光貝の表面を削って描かれています。
光明皇后は聖武天皇が亡くなった後、ご自身のものも数多く大仏様に捧げました。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
『屏風花氈等帳』は東大寺献物帳の一つです。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
大きな花模様が素敵なこちらの宝物は『花氈(カセン)』と呼ばれるフェルトでできた敷物です。
中央アジアからシルクロードを経由して、奈良の都にたどり着きました。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
当時、同じようなフェルトの敷物が60枚も大仏様に捧げられました。
中には4メートル四方の大きなものもあるのだとか。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
次に紹介するのは『繡線鞋(ぬいのせんがい)』。
女性用の靴で、重さがわずか80グラムと非常に軽量です。
底の部分が紙でできていることから、外履きではなく室内履き。
今でいうスリッパのようなものだったと考えられています。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
つま先部には花の形の装飾が施されていて、可愛らしさもあるのが特徴です。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
こちらの『青斑鎮石(せいはんのちんせき)』という宝物は3キロもある石で、『屏風花氈等帳』に記載されています。
敷物や屏風を押さえるために使われていたと考えられています。

今でいうドアストッパーみたいなものなんだとか
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
しかし、なぜドアストッパーまで大仏様に納めたのでしょうか?
正倉院事務所前所長の西川明彦氏は「光明皇后と娘・孝謙天皇のお片づけではないか?」と言います。
「聖武天皇の残した品々の整理もひと段落ついたタイミングで、ついでに自分たちの部屋も片付けよう!」(西川明彦氏)
しかし、そのおかげで現代のわたしたちは平安時代の人々の暮らしを知ることができるわけです。
(10)国際都市 奈良
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
こちらの《伎楽面 酔胡王》は伎楽で使われたお面です。
伎楽とは、中国から朝鮮半島経由で伝わり、奈良時代に法要で盛んに演じられた楽舞のことです。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
「酔胡王」は”酔っ払った””ペルシャ”の”王”という意味です。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
伎楽とは仏教的教訓を織り交ぜられた仮面劇で、時にユーモアな仕草が盛り込まれたといわれ、大仏開眼会でも上演されたことがわかっています。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
この王様(酔胡王)は家来たちとお酒を飲みすぎて酔っ払ってしまうのです。
「偉い人でも酔っ払いは見苦しい」という教訓が込められているといいます。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
宝物の鼻にご注目!
胡(ペルシャ)の国の人であることを表すために、鼻がとても高く長く表現されています。また髭があるのも特徴です。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
こちらは酔胡王のお付きの人の面ですが、この方も鼻が長く高く、また髭も表現されています。

このお面の人を見ると当時の人は、「あ!ペルシャの人だ!」と分かったのでしょう
正倉院には14の役柄の、計171面もの伎楽面が伝えられているといいます。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
こちらの『伎楽面 崑崙(こんろん)』は、なんとセクハラする悪役キャラだといいます。
目が大きく、牙も表されています。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
布に墨で顔が描かれ、目の部分は穴が開けられています。
こちらもお面として、他の人になりきるために使われました。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
どういった用途のお面かというと、あごひげのところによく見ると穴があります。
ここから笛を通して演奏する、つまり笛を演奏するためのお面です。
画像出展元: テレビ番組「正倉院の扉」より
こちら《布作面》も先ほどの伎楽面と同じ、ペルシャの人を表したものだといいます。
当時の人はペルシャ人になりきって演奏しようとしたのでしょう。
今回の記事はここまでです。
木画紫檀双六局 – 正倉院
琥珀双六子 – 正倉院
双六頭 – 正倉院
紫地鳳形錦御軾 – 正倉院
長斑錦御軾 – 正倉院




















































