2022年8月2日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【宮永岳彦の油彩画】についてまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
*画像出展元:テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」より
女性の理想美を追求した画家 宮永岳彦
「眼をつぶっていても名前だけで作品が浮かんでくるような絵描きでありたい」
宮永岳彦(みやなが たけひこ、1919~1987)は、女性の理想美をただひたすら追求した画家である。
1919年、静岡県磐田郡の生まれ。
幼い頃から絵が得意で、名古屋市立工芸学校図案科を首席で卒業。
松坂屋百貨店に入社し、宣伝用の図案を手掛けるとたちまち頭角を現した。
確かなデッサン力と洗練された色彩。
明るくモダンな感覚が高く評価され、他の企業からも依頼が殺到。
街中には宮永のポスターがあふれた。
さらに雑誌の表紙絵やレコードジャケットなど幅広くこなしたが、とりわけ小説の挿絵の人気はすさまじく、
「時代物の岩田専太郎(いわた せんたろう)、現代物の宮永岳彦」と謳われた。
宮永は多い時で月に30本もの連載を抱えた。
一方、油絵にも真摯に取り組み、20~30代の頃は女性の風俗をみずみずしい色彩と大胆な構図で生き生きと描いた。
単なる美人画ではなく、敗戦を経て新たな時代に向かおうとする人々への共感であり、前向きな心象風景だったといえよう。
1960年代になると、当時流行した抽象画の影響を受けて画風は一変するが、一貫してこだわったのは”女性の美”をいかに表現するかであった。
51歳のとき、多岐にわたった活動を整理し油絵に専念。
ヨーロッパの民族衣装をテーマにした一連の作品を発表した。
「民族衣装はその民族が身に着けてこそ様になる」
理想の美を追い求めた宮永は各国大使館を訪ね歩き、モデル探しに奔走。
意に叶う人物に出会うまでは決して筆を取る事はなかった。
その後の鹿鳴館シリーズは光と影の使い方が実に印象的である。
宮永は若い頃学んだ水墨画の技法を用いて、女性の髪の毛や背景をぼかしてそれを表現したのであった。
まさに西洋と東洋の融合で宮永にしか描けない、まったく新たな美人画といえよう。
晩年は古典的な衣装をまとったエキゾチックな女性たちをモデルにした大作を次々と発表。
それらは経済成長を遂げ、豊かになった日本人の好みに合い、大人気を博したのであった。
改めて依頼品を見てみよう。
『煌(こう)』と題された宮永岳彦の30号の大作である。
ピンクのドレスをまとった女性が斜め横を向いて座っており、背景にはステンドグラスが描かれている。
金色の豪華な額は宮永縁と呼ばれ、本人が好んで用いたものだが…
果たして鑑定やいかに?
宮永岳彦の油絵 350万円!

350万!!
「宮永岳彦の作品、本物で間違いありません」と語るのは山村浩一氏。
「タイトルが『煌(こう)』。1980年に名古屋の松坂屋で開催された個展に出品された作品です」
「まさに宮永美人と称される宮永の代表的な構図ですね。椅子に腰かけている姿ですけれども、左手を首に添えてる仕草とか、少し目線をそらした表情っていう気品高く映る女性美ですね」
「私、これ500万円くらい評価してもいいと思っています。ただ今回は求めて頂きやすいように350万円という評価をさせていただきました」
今回の記事はここまでになります。