2019年12月14日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【知られざるハンガリー美術の魅力】の回を「ブダペスト展」の予習用メモとしてまとめました。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。
ブダペストについて
ブダペストはハンガリーの首都です。
実はドナウ川の両岸を占めるブダとペストという2つの街が合併してできた街なのです。
美しいその街並みは「ドナウの真珠」とも呼ばれています。
ハンガリーは音楽家のリストやバルトークなどの著名な作曲家を輩出してきました。
しかし、美術に関してはさほど有名ではないと言っての良いでしょう。
今回は国立新美術館で開催されている「ブダペスト展」の出品作品を中心に、知られざるハンガリー美術をまとめていきます。
《紫のドレスの婦人》シニェイ・メルシェ・パール
爽やかな田園風景の中に佇む、鮮やかなドレスを着た女性。
その美しさから、ハンガリーの《モナ・リザ》と呼ばれています。
一見するとフランス印象派の画家の作品にも見えますが、こちらを描いたのはハンガリー出身の画家、シニェイ・メルシェ・パール(1845~1920)の作品です。
モデルの女性は画家の妻のジョーフィア・プロプシュトネルでこの時は妊娠していました。
この作品で何よりも目を引くのは、鮮やかな紫色のドレスでしょう。
これは当時発明されたばかりの化学染料を用いて作られたもので、自然にはない新たな色彩はファッション界に新しい風を吹き込みました。
この作品の魅力は色彩だけではありません。
背景に見える田園風景。ここは画家夫妻の邸宅の庭先です。
大ぶりなタッチで対象を捉えたその描き方は、印象派絵画を彷彿とさせます。
この作品が描かれたのは1874年は、第一回印象派展が開かれた年でもあります。
「きっと印象派の影響を受けたのだろう」、と思われた方もいるかとは思いますが、
実は彼はパリには行った事がないのです。
つまり印象派の動き自体彼は知る由もなく、よって独自にこの画風を編み出したのです。
そしてフランス印象派が当初受け容れらなかったのと同様に、シニェイ・メルシェの作品も伝統的な絵画に反するという理由で酷評されます。
そしてこの作品を描いて数年後、彼は画家を辞めてしまうのです。
画家シニェイ・メルシェ・パールについて
*こちらの作品は「ブダペスト展」には出展されてません。
1845年、貴族の家に生まれたシニェイ・メルシェは、当初はアカデミックな美術教育を受けました。
そんな彼に転機が訪れたのが、1869年の事です。
当時滞在をしていたドイツのミュンヘンで展覧会(国際美術展)が開かれました。
そこでは各国から集められたおよそ3000点もの作品が展示され、クールベやマネ、バルビゾン派などの新しいフランス絵画に影響を受けました。
彼らはみな、印象派への道を切り開いた先駆者的存在です。
*こちらの作品は「ブダペスト展」には出展されてません。
美術界の新たな動きを感じ取ったシニェイ・メルシェは、これを機に美術学校を辞めてしまいます。
そして印象派の画家のように、屋外で絵画制作に打ち込みました。
その後もウィーン万博に出品するなど、順当に画家としてのキャリアを積んでいきました。
しかし、様々な事情が重なり絵画の世界から離れてしまいます。
けれども周囲の人たちがシニェイ・メルシェを放っておきませんでした。
彼の才能を惜しんだ人たちによって、画家を辞め10年以上立った1894年に回顧展が開かれます。
この展覧会で国王フランツ・ヨーゼフ一世が彼の作品を購入しました。
ハプスブルク展で肖像画がありましたね
これを機に、一躍脚光を浴びます。
ハンガリーを代表する画家となったシニェイ・メルシェは、晩年にはなんとハンガリー芸術大学の学長にまで上り詰めるのです。
一度は画家を辞めて、10年経って復帰し
学長まで上り詰めるなんてスゴイ!
彼は画家、そして教育者としてハンガリーの美術界に大きな貢献をしたのです。
そんな彼の功績を讃えて、《紫のドレスの婦人》は切手にもなっているのです。
画家ムンカーチ・ミハーイについて
続いてご紹介するのは、ハンガリーで最も偉大な画家と呼ばれる
ムンカーチ・ミハーイ(Mihály Munkácsy)です。
今回の「ブダペスト展」では音楽家《フランツ・リスト肖像》が出展されています。
この記事ではそれとは別の彼の代表作について見ていきます。
*こちらの作品は「ブダペスト展」には出展されてません。
彼の代表作の《死刑囚監房》。
なんとも恐ろしい名前の作品です。
画面右端には椅子に腰掛け、うなだれる男。
彼はハンガリー独立運動の政治犯として囚われています。
そして暗い室内に集まる人々と明暗の強いコントラスト。
ただ目の前の現実を見据える冷徹な視線が感じられます。
まるでフランス写実主義の画家ギュスターヴ・クールベ(1819~1877)の《画家のアトリエ》を彷彿とさせます。
《画家のアトリエ》
ギュスターヴ・クールベ
*こちらの作品は「ブダペスト展」には出展されてません。
苦学生だったムンカーチは23歳の時に奨学金を得て、憧れのパリへ向かいます。
そのパリでムンカーチはクールベに出会い、強い衝撃を受けます。
そして現実をありのままに描くリアリスティックな絵画を追求します。
1848年に起こったハンガリー独立運動、その時彼はまだ4歳でした。
当時彼の父は政治犯として投獄されてしまいます。
描かれている民衆の悲しみや苦しみは、自らが体験したものだったのです。
この作品に重厚な人間の尊厳が感じられる理由には、そのような背景があったのです。
この作品はパリのサロン展に出品をされ、金賞を受賞。
その名はフランス画壇に知れ渡ります。
丁度その頃はは、印象派が頭角を出してきた頃でもありました。
けれどもムンカーチは時代に流されることなく、自らの画風を貫いていったのです。
最後までご覧いただきありがとうございます。
いかがでしたでしょうか。
今回は二人の画家、シニェイ・メルシェ・パールとムンカーチ・ミハーイに焦点をあててご紹介しました。
おそらくこの2人の画家については初めて知った方が多いのではないでしょうか。
「ブダペスト展」ではこの2人の作品は勿論の事、その他にも初めて知るハンガリー人の画家の作品が沢山展示されています。是非足を運んで見てください♪
わたくしmasayaの感想レポートもあげてますので、よろしければご覧ください(^^♪
【美術展レポート】ブダペスト展・パート1@国立新美術館