2017年7月8日にテレビ東京にて放送された「美の巨人たち」の【エカテリーナ2世「エルミタージュ美術館」】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧頂けます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
今回の記事では先ず、エルミタージュ美術館に収蔵されている巨匠たちの作品を見てまいりましょう。
《放蕩息子の帰宅》レンブラント
エルミタージュ美術館には、およそ100点に及ぶ17世紀のオランダ絵画を展示した”オランダ絵画室”があります。
《放蕩息子の帰宅》16666-68年
レンブラント・ファン・レイン
エルミタージュ美術館蔵
こちらのレンブラントの作品はパリの画商を通じて、エルミタージュにもたらされました。
タイトルにある「放蕩」とは、自分の思うままに過ごしてやるべきことをやらずに、酒や女遊びに走る事をいいます。
この作品では”放蕩”して没落し戻ってきた我が子を、何も言わず黙って抱きしめる父親の姿が描かれています。
父親の表情はなんとも言えない表情です。
我が子の存在を確かめるように抱き寄せる両手。
そこにはこの親子のドラマが集約され、威厳と深い愛情が表現されています。
この”放蕩息子の帰宅”という主題は新約聖書の「ルカによる福音書」におさめられています。
レンブラントはこの作品を最晩年、63歳の時に描きました。
一説にはレンブラントの自画像とも言われています。
エカテリーナ2世はこの《放蕩息子の帰宅》をたいへんに気に入っていたといいます。
《聖家族》ラファエロ
1772年にはエルミタージュ美術館にとって最大の成果がもたらされます。
パリの名門貴族であるクロザ家から約500点の絵画がエルミタージュにやってきたのです。
こちらのラファエロの作品はそのクロザ家からもたらされたコレクションにありました。
《聖家族》1505年頃
ラファエロ・サンティ
エルミタージュ美術館蔵
この作品はラファエロがフィレンツェで巨匠たちの影響を受けながら、”聖母子の画家”として画風を変えていく時期に描かれたものです。
優雅で調和に満ちたラファエロの世界が存分に表された一枚です。
エルミタージュ美術館のコレクションの始まり
皇帝に就いた頃のエカテリーナは、特に芸術が好きという訳ではなかったといいます。
そもそものコレクションの始まりは、戦争の副産物としてもたらされたものでした。
ベルリンの画商ヨハン・エルンスト・ゴツコフスキー(Johann Ernst Gotzkowsky)がプロイセン王のフリードリヒ2世のために絵画収集を任されていました。
しかし戦争で大打撃を受けたせいで、フリードリヒ2世に絵を買い取ってもらえなくなります。
その一方ロシアとのある取引に失敗してしまい、ゴツコフスキーは借金を抱えてしまします。
そこでその返済を工面するために、収集した絵画をエカテリーナに引き取ってもらおうとしたのです。
これを機にエカテリーナはコレクションを絵画拡大していきますが、彼女は自分自身で作品を選びませんでした。
彼女は自分に「鑑識眼がある訳ではない」というのを自覚し、ちゃんと目のある人や専門家に選ばせて絵画を収集していったのです。
それによりエルミタージュ美術館の質の高いコレクションが作られていったのです。
小エルミタージュの建築
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
1775年、エカテリーナ2世は買い集めた絵画を飾る場所として、元々あった冬宮(とうきゅう)の隣に小さな離宮を建てました。
それが「小エルミタージュ」です。
一番最初に”エルミタージュ”と呼ばれた場所がここになります。
エルミタージュ(ermitage)はフランス語で”隠れ家”という意味です。
当時フランス貴族の間で流行していた「個人的な離宮」の事をそう呼んでいたのです。
その「隠れ家」でエカテリーナと愛人のドラマが繰り広げられていたのです。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
エカテリーナは小エルミタージュの2階の北側に自分の部屋を、南側に愛人の部屋を設けました。
そしてその2つの間を絵画を飾った廊下でつないだのです。
女帝の愛と芸術が込められたこの”小エルミタージュ”がエルミタージュの始まりだったのです。
かつては小エルミタージュの入り口に通じる扉は1つしかなく、それもエカテリーナの部屋を通らなければ中には入れない造りになっていました。
彼女は自分が信頼できる人間しかこの小エルミタージュには入れないようにしたのです。
エカテリーナ2世と愛人との関係
エカテリーナ2世の元にはその財力や権力を求めて、多くの男性が寄ってきました。
彼女はその中から見繕い、愛人を次々に取替えていきました。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
その中でも一番の愛人が、軍人のグリゴーリ・ポチョムキンでした。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
現在でもそのポチョムキンがエカテリーナに贈った豪華なからくり時計がエルミタージュにあります。
この「黄金の孔雀のからくり時計」は、ポチョムキンがロンドンの職人に作らせました。
250年近く経った今でも問題なく動かす事ができます。
エカテリーナの元に寄ってくる男たちの目当ては「富と権力」でした。
宮廷争いは果てることなく繰り広げられていきます。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
エカテリーナ2世は自身の回想録でロシアとロシア人についてこう記しています。
「疑り深く、恩知らずで密告に走り、私利私欲を求める者が数知れぬほどいる」と。
一見すると地位も名誉のあり、男性にも不自由しなかったエカテリーナ2世ですが、その心は孤独だったのかもしれません。
そしてその孤独をエルミタージュの名画たちが埋めていったのでしょう。
エルミタージュの拡張
その後も絵画コレクションは増え続け、それに伴い建物も拡張されていきます。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
1787年には、小エルミタージュの隣に「旧エルミタージュ」が完成します。
豪華な装飾の館内には、イタリア絵画が展示されています。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
コレクションは主に15世紀から18世紀に至るまで、時代そして国を超えた作品で形成されました。
またエカテリーナは当初は鑑識眼がなく、絵画収集を目利きの人間に任せていましたが、晩年は彼女自身もかなりの目利きになっていたといいます。
エルミタージュ美術館 新館
そんなエカテリーナの意志を継いで、2014年に新館が誕生しています。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
エカテリーナ2世のコレクションの精神は、後の皇帝たちにも引き継がれていきます。
そしてエカテリーナ亡き後の時代の名画の数々も集められていきました。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
こちらの新館には印象派のルノワールやモネ、ポスト印象派のゴッホやゴーギャン、そして20世紀フォーヴィスムの巨匠マティスまで、名画の数々が展示されています。
エカテリーナ2世の功績
プロイセンからやってきた女帝はロシアの国土を拡大し、近代化を進め、ヨーロッパの列強と肩を並べる文化国家へ発展させました。
そんな女帝は1796年、67歳でこの世を去り異国の土へと還っていくのです。
今回の記事はここまでになります。
最後までご覧頂きありがとうございました。
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