2021年1月16日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【ミケランジェロ 「神のごとき男」の多彩な世界】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
イントロダクション
ミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564)は、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロと共にルネサンス三大巨匠に数えられる一人です。
彼は絵画だけでなく、彫刻や建築、詩も残しています。
かの文豪ゲーテは次のような言葉を残しています。
「ミケランジェロを見たあとでは、自然さえも味わいを持たない」
幅広い分野で活躍したミケランジェロですが、「自分は画家ではなく、彫刻家である」と言っていました。
しかしその存命中から、画家としても高い評価を得ていました。
《聖家族》ミケランジェロ
《聖家族》1505-1506年
ミケランジェロ・ブオナローティ
ウフィツィ美術館蔵
こちらはミケランジェロ30代前半の頃の作品です。
画面中央に見えるのは、幼子イエス、聖母マリア、聖ヨセフの三人です。
イエスは聖母マリアの肩の上に乗っていますが、これは非常に珍しい聖母子の構図です。
三人の人物は一体化して、まるで一つの塊のように描かれています。
肉体は筋骨隆々とし、力強い表現になっています。
肌の質感もどこか彫刻のような質感で表されているようです。
彫刻家としても活躍したミケランジェロならではの表現といえるでしょう。
芸術ジャンルの優位を巡る論争
《聖家族》が描かれた頃は絵画が優れているか、彫刻が優れているかの論争が盛んでした。
当時はレオナルド・ダ・ヴィンチの影響もあり、絵画の方が上位であると考えられていました。
レオナルドは「絵画こそ最高の芸術である」という言葉を残しています。
彼は絵画には情報を次々と足していく事ができる点で、絵画の方が優位だと考えていました。
事実、誰もが知る名画《モナ・リザ》はレオナルドが亡くなる直前まで、筆を入れ続けられました。
それに対しミケランジェロは、「彫刻の方が絵画よりも優れている」と考えていました。
彼の言い分は「彫刻は360度、立体で表現することができる」というものでした。
それに対してレオナルド・ダ・ヴィンチは「確かに君の彫刻は素晴らしいが、空気を彫ることができるか?私は空気を描く事ができる」と言ったといいます。
実際にレオナルドは空気遠近法という技法で、空気を表現することができました。
このレオナルドの言葉を聞いたミケランジェロは激怒したとか。
そりゃそうですね(笑)
ミケランジェロの生涯
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
レオナルド・ダ・ヴィンチの23歳年下のミケランジェロ。
彼は1475年、フィレンツェ近郊にある町、カプレーゼで生まれました。
生後間もなく里子に出されますが、これが彼の人生に決定的な影響を与えます。
彼の里親が石工だったのです。
幼い頃から職人が石を加工する光景を見てきたミケランジェロ。
彫刻や建築に才能を発揮した彼のルーツがここにあったのです。
その後13歳の時にフィレンツェの人気画家だったドメニコ・ギルランダイオに弟子入りし、画家の道を歩み始めます。
その驚くべきミケランジェロの才能は、師に”嫉妬心さえ起こさせる”ほどのものだったといいます。
わずか一年で師匠から一人前の画家として認められたミケランジェロに、間もなく大きなチャンスがやってきます。
当時のフィレンツェの支配者であるロレンツォ・デ・メディチの目に留まったのです。
ミケランジェロの才能を見抜いたロレンツォは、自らの邸宅で自分の子ども達と共に教育する機会を与えるのです。
ロレンツォが所有する膨大な数の美術品のコレクションに触れ、ミケランジェロは更なる知識と技術を習得します。
システィーナ礼拝堂の大壁画
1508年、ミケランジェロ33歳の時にローマ教皇ユリウス2世から作品の制作を命じられます。
それは西洋美術史上、最も壮大なものでした。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
システィーナ礼拝堂の天井画です。
『旧約聖書・創世記』をテーマにした作品で、ミケランジェロは4年の歳月をかけてこれを完成させました。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
この天井画の制作に取り掛かった時期は雨期であったために、フレスコの画面にカビが発生してしまったといいます。
また天井画という慣れない作業のストレスも相まって、友人に宛てた手紙には「この壁画と自分の名声を救ってくれ。自分はその器じゃないし、まして画家じゃないんだ!」と書かれています。
制作中の4年間はひたすら上を向いての作業であったため、ミケランジェロの首は曲がってしまったといいます。
教皇から制作を命じられた当初、「自分は彫刻家であって画家ではない」と言って断ろうとしました。
しかし教皇の答えは「NO!」。
芸術の目利きでもあった教皇は、ミケランジェロの才能と力量をよく理解していたのです。
今私たちがミケランジェロの作品を見られるのは、
教皇がこのとき『NO!』と言ったおかげなんですね。
ミケランジェロは生涯に2度、システィーナ礼拝堂の大壁画を手掛けています。
天井画を描いてから約20年後の1536年、時の教皇クレメンス7世から再び大壁画の制作を命じられます。
『最後の審判』です。
縦14.4メートルの高さは、4階建てのビルの高さに相当します。
この壁面には、約400人の人物が所狭しと描かれています。
世界の終わりの光景が壮大なビジョンが表されているのです。
この時ミケランジェロは60歳を超えていました。
壁画の中のこの人物は、ミケランジェロの自画像といわれています。
その姿は皮だけの状態で、まるで「精も根も尽きました」と言わんばかりです。
この作品には人間のありとあらゆる感情、そして動きやポーズが表されているといいます。
完成したのはミケランジェロが66歳の時でした。
66歳の人に頼む仕事量じゃないですよね…
大聖堂という建築物の構造を活用して描き上げた《最後の審判》。
建築についても長けていたミケランジェロだからこその傑作といえるでしょう。
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