2025年10月27日にNHKにて放送された「木村多江の、いまさらですが…」の【蔦重と写楽が描いた歌舞伎の魂】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
写楽 第1期の作品
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
ここからは写楽第1期の作品について見ていきます。
第1期の作品は1794(寛政6)年に28作品発表されました。
現代に残るものも多く(=流通も多い)、第1期は特に他の期よりも多いことから、当時から人気があったことが伺えます。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
この頃、歌舞伎は3つの芝居小屋で行われていました。
写楽はこれら控櫓三座それぞれの芝居の作品を描いています。
演目『恋女房染分手綱』から
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
写楽の作品で最も有名な《三代目大谷鬼次の江戸兵衛(さんだいめおおたにおにじ えどべえ)》。
こちらの作品は河原崎座(かわらさきざ)の「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」という演目の1シーンを表しています。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》は《市川男女蔵の奴一平(いちかわおめぞう やっこいっぺい)》という作品と対になっています。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
どういったストーリーかというと、奴一平の主君の若殿が少しヤンチャで、芸妓さんを身請けしようというので、託された300両を持っていました(奴一平が)。
そこにそのお金を奪おうと江戸兵衛が現れるのです。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
一見すると刀を持っている一平の方が有利に見えますが、ここでの勝負は江戸兵衛が勝ちます。
その後、その300両を元に色々なお家騒動のストーリーが発展していくのです。
写楽は控櫓三座すべてを事前に取材をして作品を描きました。
ということは、写楽は実際の芝居を見ずに描いているということになります。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
こちらの『市川鰕蔵の竹村定之進 (いちかわえびぞう たけむらさだのしん)』も写楽の有名な作品です。
モデルの市川鰕蔵は当時の千両役者ですが、実際の舞台でどういう場面を演じたのかよく分かっていません。
画像出展元: 「大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」日曜夜8時」公式Xより
演目『敵討乗合話』から
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
次に控櫓三座の一つ、桐座の『敵討乗合話(かたきうちのりあいはなし)』の作品を見ていきます。
恋女房染分手綱と同じく敵討ち物です。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
右側の三代目市川高麗蔵はニヒルな悪役で人気があった歌舞伎役者で、その後松本幸四郎を襲名します。
さてまずこちらの2人ですが、どちらが勝ったでしょう。
右側の市川高麗蔵が勝ち、左側の尾上松助がやられてしまいます。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
その後色々とあり、最終的に二人の姉妹が市川高麗蔵に仇を討ちます。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
そしてこの姉妹を助けてくれる、後見になっていたのが四代目松本幸四郎が演じた肴屋五郎兵衛でした。
画像出展元: 「大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」日曜夜8時」公式Xより
第1期の絵の特徴
写楽の魅力はどんなところにあるのでしょうか?
ここからその魅力について深堀りしていきます。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
例えば、こちらの女形の作品。
当時の女形は美しくない姿で描かれることはあまりありませんでした。
(逆にいうと当時は多少盛ったり、美化して描いていた)
現在の我々は人間性とかその役の内面等を尊重します。
それが現代に生きる僕らにとってはアートに感じる部分なのかもしれません。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
同時代の狂歌師・太田南畝(※大河ドラマでは桐谷健太が演じた)は写楽の絵について「あまりにも役者の顔をリアルに描いたので、役者のファンからは評判が悪かった」と残しています。
蔦重は写楽をどこで見つけた?
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
美術史家で大分県立美術館館長の田沢裕賀氏によると、江戸の文化人サークルで役者の似顔描いており、そこで見つけた人物を蔦重は絵師として育てたのでは?と言います。
写楽 第2期の作品
写楽の活動期間はわずか10か月で、その活動は全4期に分けられます。
ここからは第2期を見ていきます。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
第2期も第1期と同じく江戸三座の興行が描かれ、38作品が確認されています。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
その中に珍しいものがあります。
《篠塚浦右衛門の都座口上図(しのづかうらえもん みやこざこうじょうず)》です。
興行で口上を述べたとされる都座楽屋の頭取です。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
手に持つ紙には、文字が透けて見えます。
そこには「写楽の2番目の役者絵をご覧あれ」といった、序文のようなものが記されており、そこから写楽の意気込みが感じられます。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
第2期は全身図で役者絵が描かれているのが特徴です。
第1期ではすべてが大首絵でしたが、第2期では全身図が多く描かれました。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
こちらは第1期でも描かれていた松本幸四郎ですが、このように第2期では全身図で表されています。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
こちらも第1期で描かれた役者が全身図で描かれています。
実は右側の鬼次の絵は、”印象派の父”と呼ばれるエドゥアール・マネのある作品に影響を与えたといわれています。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
その作品がこちらの《笛を吹く少年》です。
背景が一色で、また床と壁の境目も分からないこの描き方は写楽の作品からの影響と考えられており、実際にパリの宝石商のアンリ・ヴェヴェール(印象派とも交流が深かった)がこの写楽の作品を所蔵していました。
写楽 第3・4期の作品
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
続く写楽第3期。
ここでは歌舞伎興行の目玉である「顔見世」の舞台が描かれています。
第3期は、全4期の中で一番多い作品数(58作品)になっています。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
第3期の特徴はこれまでの絵とは異なり、背景の描写があります。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
この描写は役者絵を得意とした勝川派のものに寄せていると考えられています。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
また一部の作品では落款から「東洲斎」の文字が消え、作品の質もバラつきが出てくるようになります。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
そして年が明けて寛政7(1795)年、第4期が展開されます。
当初の写楽の持ち味はすっかり影を潜め、説明的な背景となり、さらに迫力に欠ける役者の描写になっていきます。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
研究者の中には、写楽はどこかで筆を折り、その後は影武者が描いていたのでは?と考える研究者もいます。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
また第3期と第4期は現存数が多くありません。
そのことからも当時からあまり人気がなかったと考えられます。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
途中から影武者になったのか、その真偽は分かりません。
結局写楽はわずか10か月の活動のみで、その後出版界から忽然と姿を消してしまうのです。
画像出展元: テレビ番組「木村多江の、いまさらですが…」より
全く新しい役者絵で鮮烈デビューをした写楽。
しかしその存在は、その後長らく忘れられた存在となっていました。
再び脚光を浴びるのはなんと約100年後。
1910年、明治期に入りドイツの研究家ユリウス・クルトが「SHARAKU」を著したのを機に、再評価され、今日まで続く写楽の知名度・人気につながっていったのです。
今回の記事はここまでになります。
































