2021年11月16日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#391 ゴッホが“巨匠”になるまでの全て!東京都美術館「ゴッホ展」〜世界最大のゴッホコレクター珠玉の名画が一堂に!傑作〈糸杉〉も!〜】の回をまとめました。
今回の記事はパート4になります。
前回のパート3はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
《レストランの内部》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
オランダでは農民の姿を数多く描いたゴッホですが、結局彼らから疎まれてしまい、弟テオを頼りにパリへと向かいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
テオはパリで画商として働いており、彼の元で同居を始めます。
当時パリで流行していた浮世絵や印象派。
そしてスーラやシニャックの新印象主義と出会い、それらを吸収したゴッホはその色彩表現が一気に開花していきます。
《レストランの内部》1887年夏
フィンセント・ファン・ゴッホ
クレラー=ミュラー美術館蔵
パリに着いたゴッホは、それまでの自分の絵がいかに時代遅れだったかを実感します。
こちらの作品では、新印象主義の点描技法を取り入れられています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
新印象主義を代表する傑作、スーラの《グランド・ジャット島の日曜日の午後》。
この作品が第8回印象派展に出品されたのが1886年(ゴッホがパリに来た年)です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
パリに来てわずか一年の間で、ゴッホは新たな技法を自分のものにしたことになります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
パリに拠点を移したゴッホは、色も技法も描く対象も変っていきました。
《レストランの内部》はゴッホの画風の移り変わりを感じられる一枚です。
《黄色い家(通り)》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ゴッホがパリで出会ったのが、日本の”浮世絵”でした。
その鮮やかな色彩に心奪われたゴッホは、浮世絵のような明るい光を求めて、南フランス・アルルに向かいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そこでゴッホが借りたのが、あの有名な”黄色い家”でした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ここでゴッホは有名な《アルルの寝室》を描き、ゴーギャンと共同生活をし、最後は「耳切り事件」を起こすのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
今回の展覧会の出展作品の多くはクレラー=ミュラー美術館のヘレーネ・コレクションですが、4点のみ、特別にファン・ゴッホ美術館からも作品が来日しています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ファン・ゴッホ美術館は、ゴッホが亡くなった後に弟テオをはじめとする遺族に引き継がれた作品を収蔵しています。
ゴッホは生前に売れた絵が一枚だけ(諸説あります)といわれるように、ほとんど絵が売れなかったこともあり、その多くが遺族の元に残ることになったのです。
《黄色い家(通り)》1888年9月
フィンセント・ファン・ゴッホ
ファン・ゴッホ美術館蔵
今回ファン・ゴッホ美術館から来日している4点の中でも、絶対に押さえておきたいのがこちらの《黄色い家(通り)》という作品です。
来日は16年ぶりになります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
真ん中の2階建ての建物がゴッホの借りた家になります。
ちなみにこの時お金を出したのは弟のテオでした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
あの有名なゴッホの《ひまわり》はこの黄色い家の食堂の壁を飾るために描かれたものでした。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
遠方には汽車が見えます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
じつは駅がすぐ近くにあり、画面左側に道を真っすぐ行くと、駅があるといいます。
駅近物件なんですね!
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ガードを超えた向かう側には、アルルで唯一といってもいい、ゴッホに親切にしてくれた郵便係のルーランさんの家があります。
この家自体は残念ながら、第二次世界大戦の空襲で焼失してしまいます。
通りは未舗装のように黄色で描かれ、家も黄色で、南フランスのカラッとした空気を感じさせます。
その黄色と空の青色が互いに引き立て合う効果を出しており、見る人に強い印象を与えているのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ゴッホはこの家で画家仲間を集め、芸術家集団によるユートピアを作ることを夢見ていました。
しかし、ゴッホの呼びかけもむなしく、当初誰もアルルにはやって来ませんでした。
そこで弟のテオが色んな人に声を掛けます。
ただお願いしても誰も聞いてくれないと考えたテオは、「お金は全部出します。描いた作品も全部買い取ります」という好条件を提示したのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
結果、その条件に惹かれたゴーギャンだけがアルルにやってきたのです。
しかし個性の強い二人の共同生活は2カ月で破綻、ゴッホは有名な「耳切り事件」を起こすのです。
この作品が描かれたのが1888年の9月で、ゴーギャンがやってくるのが翌10月なので、この頃のゴッホはゴーギャンの到着をワクワクしながら待っているような状態です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
相当楽しみだったのか、ゴーギャンのために椅子を準備し、それを作品に残しています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ゴッホの部屋は向かって左側。
ゴーギャンの部屋は右側です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
現在ファン・ゴッホ美術館に収蔵されているこの作品は、ゴッホの手元に残っていた作品という事になります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
兄の死をきっかけに段々と弱っていったテオは、オランダへ戻り、兄の死からわずか半年後に亡くなります。
その際、ゴッホの作品もオランダに移る事になります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
テオの元にあったゴッホ作品はその後、テオの妻であるヨーとその息子フィンセント・ウィレムに引き継がれました。
ヨーはゴッホの展覧会を開催し、またゴッホの手紙を整理して出版したりと、ゴッホ作品を広く世に知らせようと奔走するのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
作品の制作月まで分かるのは、ゴッホの手紙が残されていたおかげなのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
そしてそのヨーがオランダで開催した展覧会を見に来たのが、ヘレーネにゴッホを教えたブレマーだったのです。
今回の記事はここまでになります。
パート5へと続きます。
【2021ゴッホ展⑤】種まく人/療養院の庭/悲しむ老人【ぶら美】
コメント
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