2021年11月14日にNHKで放送された「日曜美術館」の【ルーブル美術館・美の殿堂の500年 〜革命とナポレオンのルーブル】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
ナポレオンとエジプト
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
パリの象徴である凱旋門、正式名称は”エトワール凱旋門”といいます。
戦争での勝利を記念して1806年に着工、1836年に完成しました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
その戦勝の立役者であるナポレオンの肖像が刻まれています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
そんなナポレオンが憧れた場所がありました。
過去偉大な者だけが征服し得たエジプトです。
「ヨーロッパは小さい。エジプトでこそ真の栄光得られる」
そう考えたナポレオンは1789年、29歳の時にエジプトへ、5万の兵と学者170人を率いて遠征します。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらの『神殿』はルーヴル1階にあるエジプト美術のギャラリーです。
4000年もの昔、神々を祀った巨大な神殿の遺構です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
柱には国王であるファラオの命で刻まれたヒエログリフが見られます。
聖なる文字であるヒエログリフには、人間の祈りを神に届ける力があると信じられていました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
紀元前14世紀、黄金期のエジプトを治めたアメンヘテプ3世。
あの有名なツタンカーメンの祖父にあたるファラオです。
ファラオは肉体がなくなった後も、その栄光が永遠に続くことを願いました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
古代エジプトの神秘に触れたナポレオン。
彼はその魅力の虜になります。
ナポレオンの言葉です。
「私はいわば、未知なる世界の入り口に立っていた」
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
特に美しい装飾をまとったミイラは驚くべき”死の芸術”であり、そしてそのミイラを治める棺も美しく作られました。
こちらの棺は紀元前11世紀頃の歌姫タヌテレレ。
神に祈りの歌を捧げた女性です。
顔は死者の理想の姿で表されています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
胸元にはスカラベという、古代エジプトで復活の象徴とされた昆虫の装飾が見られます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
その下で大きな翼を広げるのがヌウト、闇から太陽を生むとされた女神です。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
死者であるタヌテレレの目の前には、冥界の神であるオシリスが鎮座しています。
ここではその神に永遠の命を祈っているのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
足元ににはヒエログリフで
「神よ、死者のために翼を広げて、闇を追い払ってください。そして死者が永遠に朽ちることのない星になれますように」と書かれています。
《皇帝ナポレオンと皇后ジョゼフィーヌの戴冠式》
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
エジプトで永遠の命に触れたナポレオンは1803年、「共和国美術館」を「ナポレオン美術館」に名を改めます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ルーヴル2階にある「赤の間」。
ここにナポレオンが自身の主席画家に描かせた大作があります。
《皇帝ナポレオンと皇后ジョゼフィーヌの戴冠式》1806-1807年
ジャック=ルイ・ダヴィッド
ルーヴル美術館蔵
ジャック=ルイ・ダヴィッド作、《皇帝ナポレオンと皇后ジョゼフィーヌの戴冠式》です。
1804年にフランス皇帝に即位したナポレオンは、パリのノートルダム大聖堂で戴冠式を行いました。
その時の様子が高さ6メートル、幅9メートルの大画面に描かれています。
2万人が参列した荘厳な戴冠式。
人物はほぼ等身大です。
作者のジャック=ルイ・ダヴィッド(1748-1825)はフランス新古典主義の画家で、古代ローマの英雄などを描く歴史画を得意としていました。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
膝まづく皇后に冠を授けようとしているのがナポレオンです。
ナポレオンは自らが歴史の一部となることを望みました。
身に着ける豪華な衣装も過去のフランス王家に倣ったものです。
白い毛皮に裏打ちされたマントは太陽王ルイ14世に。
腰にある剣はフランス王家伝来の宝石で飾り立てられています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
頭上の月桂冠は古代ローマ皇帝を意識してのものです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
皇后が身につける深紅のマントは、その柔らかな風合いまで見事に表現されています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ナポレオンの背後にひっそりと描かれているのは、カトリックの最高権威であるローマ教皇・ピウス7世。
ナポレオンは教皇以上の権力を持つ皇帝として、民衆に自らを認めさせようとしたのです。
この戴冠式の絵が公開されると、彼を支持する市民がルーヴルに押し寄せたといいます。
今回の記事はここまでになります。
パート3へと続きます。