2017年11月18日にテレビ東京にて放送された「美の巨人たち」の【同じなのに違う!ミレー『種をまく人』の謎、2枚のあとさき】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧ください。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
バルビゾンで農民画家誕生
パリから南へ、車で50分のところにミレー一家が移り住んだ場所があります。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
バルビゾン、緑豊かな農地に囲まれた村です。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
美しい田園風景が広がる田舎町です。
ミレーはこの地で日々まじめに働く農民の姿を見て、永住する事を決めたといいます。
ミレーの作品の中で、最も有名なものと言ってもいいでしょう。
《落ち穂拾い》です。
ここに描かれているのは、バルビゾンの初夏の風景。
刈り入れを終えた畑に残った麦の穂を拾い集める女性たちの姿です。
こちらも有名な《晩鐘》という作品。
一日の労働を終えた夫婦が、遠くから聞こえる鐘の音に合わせて祈りを捧げています。
バルビゾンには、日々の作業に汗を流し、信仰心の篤い農民の姿がありました。
パリで悲惨な生活を過ごしていたミレーにとって、この土地は静謐ながらも、刺激に富んだものだったのです。
そんな数あるミレーの作品の中でも、《種をまく人》は最も初期に描かれたものです。
ミレーはバルビゾンに赴いたその年に描いています。
それではなぜ、ミレーは数ある農作業の中から、「種まき」を最初のテーマに選んだのでしょう?
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
それは『種をまく人』が聖書に書かれているからだと考えられます。
聖書には神の言葉を種に例えて、そのまかれた種が色々な場所で実を結ぶと書かれています。
そしてこの『種をまく人』が画家の運命を変えたのです。
二枚ある世界的名画
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
じつはミレーの《種をまく人》は、ほとんど同じ構図、同じ大きさで描かれたものがもう一枚が存在します。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
もう一枚の《種をまく人》は、アメリカのボストン美術館にあります。
ミレーの作品があるのは、ヨーロッパ美術を展示する「ギャラリー251」という展示室です。
《種をまく人》1850年
ジャン=フランソワ・ミレー
ボストン美術館蔵
こちらがボストン版の《種をまく人》です。
2枚とも同じ1850年に描かれました。
ミレーはなぜほとんど変わらない2枚の絵を描いたのでしょうか。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
そして2枚のうち、どちらが論争を巻き起こしたサロン出品作なのでしょうか?
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
その手掛かりとなるのが、ミレーの親友で、作品の販売も手伝っていたアルフレッド・サンスィエが残したミレーの伝記です。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
ここには次のように書かれています。
「一枚目の『種をまく人』を描いたミレーは、双子を生むかのようにもう一枚『種をまく人』を描き、それをサロンに出品した」
この文章によると、後から描かれた方がサロンに出品された作品という事になります。
では、それはどちらなのか?
その答えはX線写真から分かるといいます。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
こちらは山梨版のX線写真です。
浮かび上がった下絵からは、足の位置や背景の斜面の角度などがボストン版に極めて近いのが分かります。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
この事から最初に描かれたのがボストン版で、次に描かれたのが山梨版。
そしてサロンに出品されたのは、山梨版だと推測できるのです。
では、そもそもどうしてミレーは《種をまく人》を2枚も描いたのでしょう?
「種をまく人」二枚の違い
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
改めて見比べて見ると、絵のタッチに微妙に違いがあります。
右側のボストン版は輪郭がきっちり描かれています。
一方の山梨版は輪郭がはっきりせず、ぼかし気味に描かれています。
さらにその違いがより鮮明にみられるのが右手の部分です。
ボストン版の方は手にした種がはっきりと見えているのに対して、
山梨版はぼやけていて、種なのか何なのかよく分かりません。
どうしてミレーは2枚の《種をまく人》で絵のタッチを変えたのでしょう?
最初にミレーはボストン版を描きましたが、その出来栄えに満足しなかったのです。
その理由は「あまりにも古典絵画のように、かっちりと描きすぎたから」と考えられています。
ミレーすぐに2枚目の《種をまく人》に取り掛かり、荒くぼかしたように描いたのです。
あえて絵のタッチを荒くすることで、農夫の姿をよりダイナミックで、躍動感溢れるものにしようとしたのです。
山梨版の種をまく右手は荒いタッチにすることで、より”種を今まさにまいている感”を演出しているのです。
バルビゾンの風景じゃない!?
パリからバルビゾンに移住し、そこで暮らす人々を描いたミレー。
ですが、この《種をまく人》はバルビゾンの風景ではない、といいます。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
その理由は絵の背景にありました。
傾斜のある農地が描かれていますが、じつはバルビゾンは平地のため、このような場所は存在しなかったのです。
故郷の斜面に込めた想い
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
フランス、ノルマンディーの小村グリュシー。
斜面が多いこの土地がミレーの生まれ故郷です。
農家の第二子、八人兄弟の長男として生まれたミレーは、野良仕事を手伝いながら、空いている時間には農作業の様子を描いていたといいます。
じつは《種をまく人》には、このグリュシー村の伝統的な農作業の様子が描かれていました。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
海が近いこの村では海岸の斜面に農地がありました。
種まきは一日の作業の最後、夕方に行なわれます。
鳥に種を取られないようにするためです。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
《種をまく人》にも夕暮れ時に巣に帰る鳥の姿が描かれています。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
グリュシー村にはミレーの生家が残っており、現在は記念館になっています。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
村に伝わる伝統的な農具と、それが描かれたミレーの作品が並べて展示されています。
ミレーの心の中にはいつも、子ども時代に故郷で目にした風景がありました。
彼はバルビゾンの風景を通して、故郷グリュシーへの想いを作品にしていたのです。
《種をまく人》は労働者階級を称えるものでも、象徴するものでもなかったのです。
ここで描かれている男は、故郷で暮らしたミレーの父や祖父の姿なのかもしれません。
今回の記事はここまでになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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