【ぶらぶら美術・博物館】与謝蕪村展②【美術番組まとめ】

ぶらぶら美術・博物館

2021年4月20日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#376 府中市美術館「与謝蕪村展“ぎこちない”を芸術にした画家」~江戸三大俳人・蕪村の趣ある絵画 ヘタウマの元祖、ここにあり!?~】の回をまとめました。

今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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蕪村と応挙と若冲

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

蕪村が京都にいた頃、同じ京都に伊藤若冲、そして円山応挙がいました。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

鶏の細密描写で知られる伊藤若冲は、蕪村と同じ1716年生まれで、同い年でした。
しかし、蕪村若冲の間に交流があったという記録に残っていません。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

円山応挙とは17歳差(蕪村が年上)でしたが、この二人は仲が良かったいいます。
円山応挙は円山派の祖で、写生に力を入れた絵師です。
愛らしい犬の作品もよく知られています

もしかすると、京都ではすでに若冲応挙と写実的に描く絵師がいたので、蕪村は異なるアプローチで作品を作ることにしたのかもしれません。

《倣王叔明山水図屛風》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

こちらはタイトルの通り、”王叔明(おうしゅくめい)”という画家に””って(まねて)描いた”山水図”、という事になります。

王叔明は中国・元時代に活躍した文人画家で、王蒙(おうもう)とも呼ばれます。

蕪村はこの作品をお酒を飲んで、酔っぱらった状態で描いたといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

それが分かるのが画面右上に書かれた文章です。
「酔」の字が書かれています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

隣の行には「王叔明漫画法」と書かれています。
ここでいう「漫画法」は”簡単に自由に描いた”、という意味で使われています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

王蒙の作品に倣って描いた山水図という事ですが、実際の王蒙の作品とはだいぶ違うといいます。

王蒙の線の描写は独特で、すごくひょろっと頼りない感じですが、蕪村はそれを「面白い」と思って、真似て描いたといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

家々の屋根の描写もかなり力の抜けた感じで描かれています。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

蕪村がこういった作品を描いた背景には、文人画」の意識があるといいます。
文人画というのは、文人が趣味で描いた絵のことです。

一言で説明するのは難しいですが、上手に描いてその技術で見る人を惹きつけるのではなく、心の高みを表現するために技術を否定して、飾らず素朴に描く、純粋な心を表現しようとするものです。
要するに「あえてプロっぽくなく描く」絵という事になります。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

「こんなぎこちない絵を欲しい人がいるのだろうか?」と思いますが、この時代の京都には蕪村の作品を理解できる人がいて、その彼らからのオファーがあったので、人気絵師になることができたのです。

当時の日本画壇は狩野派が全盛の時代でした。
狩野派を勉強すればある意味間違いないのですが、そうするとギチギチに固まった狩野派のやり方一つになってしまいます。
蕪村はそうではなく、「中国には色々な画家がいて、様々な描き方があるぞ」という考えのもと、中国について多くの事を勉強したのです。

《野馬図屏風》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

続いての作品はこちらの《野馬図屏風》。
これまでの作品と見比べてみて、どうでしょう。

ぎこちない感じはないというか、普通に上手い気がします。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

1731年、徳川吉宗の施策により、中国から日本にやって来た画家で沈南蘋(しん なんぴん)という人がいました。
沈南蘋は非常に写実的な作風で、彼が描いた花や動物は人気を博しました。

この《野馬図屏風》では、蕪村はその沈南蘋の作品を忠実に模写しているのです。

沈南蘋は長崎に2年ほど滞在、「南蘋派」と呼ばれる画風が流行します。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

今まで「ぎこちない」作風だった蕪村は、どうしてこのような写実的な作品を描いたのでしょう?

学芸員の金子信久氏は「『本当は上手く描けるのだから、描いていみたい』という思いがあったのではないか?」と推測します。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

瀧の部分には白のハイライトが描かれ、写実的に表現しようとする意図が感じられます。

京都で暮らしていた蕪村は、常に最新の美術の動向をチェックすることができたのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

この《野馬図屏風》には、絖(ぬめ)と呼ばれる特別な絹が使われています。

は光沢があり、絵具が乗りにくいのですが、一旦上手く描ければ、普通の絹よりも発色がよく残るという特徴があります。
それだけ良い布という事で、非常に高価で手が出しづらいものだったといいます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

そこで蕪村に作品を描いてもらいたい人たちで屏風講(びょうぶこう)というグループを作り、そこでお金を出し合って画材を調達し、蕪村に作品を描いてもらっていました。
そしてその屏風講のメンバーの内でクジ引きを行い、当たった人が作品を購入できるという風にしたのです。

今でいうクラウドファンディング的な感じですね!

《冬景山水図》

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

続いての作品は《冬景山水図》という作品です。

もう普通に上手いですよね!

構図も素晴らしいですし、ぎこちなかったり、頼りなかったりする線もないように見えます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ただよくよく見てみると、人物はやはりどこかぎこちない姿です。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

山水画は中国発祥の画題ですが、元々は山の霊気を取り込んで、崇高且つ近寄りがたいものとして描くいうのがルールでした。

ところが蕪村は、そういった”崇高さ”を残しながらも、逆に”親しみやすさ”も表現しているのです。
それ故に当時から「蕪村の山水画は俳句っぽい(面白味があって)のでよろしくない、山水画としてけしからん」と批判されることもありました。

蕪村は山水画に、「面白さ」と「かわいさ」を入れて、新しい山水画を開拓したのです。

今回の記事はここまでになります。
パート3では蕪村の俳画についてまとめていきます。
*現在記事作成中です。

コメント

  1. […] 今回の記事はここまでです。 パート2へと続きます。 こちら☚からご覧ください。 […]

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