2022年5月17日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【高橋由一の油彩画】についてまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
*画像出展元:テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」より
洋画の開拓者 高橋由一
これはいったい何か?
縄に吊られた鮭。ただそれだけ。
ただし国の重要文化財。
高橋由一(1828~1894)は幕末から明治にかけて奮闘した、日本における洋画の開拓者である。
1828年、下野国佐野藩の下級武士の家に生まれる。
幼少の頃から画才に秀で、狩野派に学んだ。
その一方で剣術の厳しい修行にも励み、多忙な青年時代を過ごした。
激動の幕末を迎えた20代半ばの頃、思わぬ出会いがあった。
友人から西洋の石版画を見せてもらうと、その迫真の描写に心奪われ、武道も日本画も捨て、洋画の道に進むことを決意した。
しかし当時の日本に洋画を学べる場所はなく、10年近くも悶々とした日々を過ごした。
1862年、幕府洋書調所画学局(ばくふようしょしらべしょががくきょく)で洋画を研究していることを知るやすぐに入局。
川上冬崖(かわかみとうがい、1827-1881)のもとで学ぶも、それに飽き足らず。
横浜外国人居留地で暮らすイギリス人挿絵画家ワーグマンに師事し、研鑽を積んだ。
そして《花魁》は日本人が油絵の具によって描き上げた記念碑的作品といえよう。
明暗表現の拙さゆえ画面は平板だが、重層的な色彩効果や光沢は、油絵の具の特性を最大に引き出している。
浮世絵の美人画しか知らなかった人々は口々に「生きているようだ」と驚嘆した。
しかし、モデルとなった名妓の小稲(こいね)だけは、「わちきはこんな顔ではありません!」と泣いて怒ったという。
この頃の由一は油絵を描く喜びに満ちており、画題には事欠かなかった。
この作品では豆腐、焼き豆腐、油揚げをまな板の上に置いて、それぞれの質感の違いを捉えている。
《甲冑図》では、鎧兜・太刀・弓矢を並べて、金属・布・木・漆といった材質の違いを見事に描き分けてみせた。
そして《鮭》である。注目すべきはその大きさ。
描かれた鮭は実寸の120センチ。
この絵のためにしつらえた細長い美濃紙に描かれたものだが、モチーフに合わせてキャンバスの形を変える事は西洋の静物画の常識外である。
今から150年ほど前の油絵である。
見た目の精緻さを極めるだけでなく、油絵の具を画面の上で盛り上げ、実際の手触りまでも本物に近づけた。
「日本的リアリズム」というべき独自の表現が評価され、重要文化財に指定されている。
その後も由一の探求心は衰えることなく、工部美術学校の教師でイタリア人画家のフォンタネージのアトリエに足繫く通い、
空気遠近法などを取り入れた風景画も数多く残した。
それらは叙情豊かで詩情に溢れている。
また画材の国内生産や画塾の創設。
更に実現しなかったものの美術館構想を掲げるなど、油絵の普及のために生涯を捧げた。
由一の作品にはサインが入っていない。
油絵を広く知らしめるために個人の名誉を主張する必要はなかったのであろう。
高橋由一の油彩画
改めて依頼品を見てみよう。
高橋由一の油絵である。
大きさは6号。春の隅田川の風景が描かれている。
裏を見ると、明治8年とあることから由一が47歳の時か。
詳しく調べたところ、このころ由一はよく似た構図で隅田川の風景画を好んで描いていたことが判明した。
依頼品は精緻でありながら厚塗りで、油絵の具の質感を活かした表現はいかにも由一を思わせるが…
果たして鑑定やいかに?
残念 5000円
5,000円!
「高橋由一の作品ではありません」
「まずは画風なんですけれども由一が描く絶対的な写実表現から見てしまうと、やはり甘さというのが際立ってしまう」
「例えば、桜の描き方なんですが雑にベタベタっと塗られている感じ」
「由一だったらもっと丁寧に、もっと細密に桜の咲き誇っている華やかな質感っていうのを抑揚をつけて描く」
「人物とか奥に見える建物まで、なるべく細密に描ききろうとするんですよね。それに対してこの依頼品は黒くぼかしているだけ。これは由一の描き方としては有り得ないんですね」
「もしこれが由一の本物でしたら、まあ最低でも2,000万円以上は」
今回の記事はここまでです。