【NHK歴史秘話ヒストリア】正倉院特集まとめ②

その他美術番組

2020年5月13日にNHKにて放送された「歴史秘話ヒストリア」の【正倉院宝物 守られた奇跡の輝き】の回をまとめました。

今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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宝物と聖武天皇

前回のパート1では、正倉院宝物およそ9,000点の中の9割以上が日本で作られたものだというのをご紹介しました。
では、日本で一体誰が何のために宝物を作ったのでしょうか。

聖武天皇像

それこそが聖武天皇(701-756)なのです。
奈良の大仏を造った事でも知られる聖武天皇。
じつはこの時代は天皇のシステムがまだ完璧には整っていなかったのです。
つまり聖武天皇にとって、天皇の権威を強化する事が急務でした。

そこで聖武天皇は当時多くの人が憧れ欲しがっている唐の文物や国産の同様の宝物を臣下に分け与える事で、自らの権威を高めようとしたのです。

国産の宝物づくり

画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より

近年、国産宝物づくりの実態が徐々に明らかになってきています。
その舞台となったのが、奈良時代に天皇の住まいや役所が置かれた平城宮(へいじょうきゅう)です。

60年以上に及ぶ発掘調査の中で、国内で宝物を作っていたことを証明する発見がありました。

画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より

こちらが平城宮跡から見つかった金具のパーツです。
一見不思議な形をしていますが、これとよく似た金具を使った宝物が見つかりました。

画像出展元:「宮内庁ホームページ」より

こちらは正倉院宝物の《犀角把白銀葛形鞘珠玉荘刀子(さいかくのつかしろがねかずらがたのさやしゅぎょくかざりのとうす)》です。

全長19センチの銀で装飾された小刀です。
紙や木簡を切ったり、文字をすり消すために使われたと考えられます。

画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より

こちらの宝物の紐を通すための金具と、平城宮跡から出土した金具が極めて似ているのです。
宝物自体は中国・唐で作られたものです。
おそらくは唐のものを見本にして作ったと考えられます。

画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より

さらに金具が見つかったすぐ近くで、金属を溶かす炉などが出土しました。
これにより、かつてここには金属工房があったと推察されました。

《鳥毛立女屏風》

画像出展元:「宮内庁ホームページ」より

こちらは《鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)》の第1扇です。
この他に5枚あり、6枚一組の屏風です。

木の下でたたずむ唐の女性の姿が描かれています。
卓越したその筆遣いから唐で作られたものだと考えられてきました。

ところがこちらも材料などの調査から、日本で作られたものだというのが分かっています。

絵の線は非常に流麗で、一気に描かれています。
中国絵画の伝統的な技法を習熟した、かなりの腕前の絵師がいたことが分かります。

画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より

そしてこの屏風から意外な発見がありました。
屏風の裏側から奈良時代の役所の文書が見つかりました。

その内容は、当時天皇の行事を担当した中務省(なかつかさしょう)が作ったものだと分かりました。
中務省は現在の宮内庁にあたる組織です。

内匠寮

正倉院宝物の中で国産のものと考えられるものは、内匠寮(たくみりょう)という役所で作られた事が分かっています。
歴史書「続日本紀」によると、内匠寮は728年、聖武天皇によって中務省のもとに設置されたと残っています。
内匠寮「内」は天皇家に関わる組織である事を表し、「匠」は優れた職人を意味します。

これら総合して考えると、中務省に置かれた天皇が作った組織「内匠寮」が宝物を作った工房であると考えられます。


画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より

内匠寮」が革新的だったのは、それまで扱う素材ごとに組織が分けられていたのをその垣根を無くした事です。
これにより複合的な美術品を作る事ができました。

例えば屏風一つを取っても、骨組みとなる木枠を作る職人、紙を貼る職人、装飾の金具を作る金工、そして絵師と様々なプロフェッショナルが必要になります。

それまでばらばらに所属していたそれぞれの職人を内匠寮に集約することで、一つの素晴らしい作品を作る事を可能にしました。


画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より

近年その内匠寮にの具体的な活動を示す手がかりが見つかりました。
こちらは聖武天皇の妻である光明皇后の屋敷跡の近くで見つかった木簡です。

この木簡には「内匠寮」という文字があったのです。
全体の文章の内容は「油を五夕(ごせき)を内匠寮に送る、鏡を磨くためのものとして」という内容でした。

当時の鏡は金属でできており、非常に傷みやすく、そのメンテナンスも内匠寮が行っていたことが分かります。

今回は一旦ここまでです。
パート3へと続きます。
こちら☚からご覧いただけます。

コメント

  1. […] 今回のパート1は一旦ここまでです。 続くパート2では、一体誰が何の目的で、日本で宝物を作ったのか見ていきます。 こちら☚からご覧いただけます。 […]

  2. […] 今回の記事はパート3になります。 前回のパート2はこちら☚からご覧いただけます。 […]

  3. […] スポンサーリンク 【NHK歴史秘話ヒストリア】正倉院特集まとめ① 【NHK歴史秘話ヒストリア】正倉院特集まとめ② […]

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