【アート・ステージ】ラウル・デュフィ①【美術番組まとめ】

アート・ステージ

(前ブログ「masayaのブログ美術館」からのリライト記事になります)

2019年11月9日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【ラウル・デュフィ アートとモードの幸福な結婚】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

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イントロダクション:ラウル・デュフィ

画像出展元:ラウル・デュフィ展公式図録より

ラウル・デュフィ(Raoul Dufy、1877~1953)は20世紀前半に活躍したフランスの画家です。
明るい色彩と軽やかなタッチの作品で人気を博した彼は「色彩の魔術師」と呼ばれました。

絵画以外にも、舞台芸術や陶器の絵付けなど幅広く活躍しました。
なかでもテキスタイル・デザイン(布地のデザイン)の仕事では大きな評価を獲得しました。

ラウル・デュフィは北フランスのル・アーブルで生まれ育ちました。
ル・アーブルというと、あのクロード・モネ第一回印象派展に出品した《印象・日の出》という作品の舞台になったところです。


《印象・日の出》1872年
クロード・モネ
パリ、マルモッタン美術館蔵

《ニースの窓辺》

《ニースの窓辺》ラウル・デュフィ、1828年、島根県立美術館蔵

画像出展元:ラウル・デュフィ展公式図録より

2019年にパナソニック汐留美術館で開催された「ラウル・デュフィ展」のメインビジュアルにもなっています《ニースの窓辺》から見ていきましょう。
この作品はデュフィが51歳の時に描かれたものです。

一目見ただけで、目に飛び込んでくる明るく爽やかな色彩で彩られています。
自由で柔らかな線は彼の持ち味でもあります。

この作品はホテルの一室の光景を描いています。
窓の外に広がるのは、南仏ヴァンスの海の情景です。
手前にはホテルの室内の賑やかな様子が描かれており、内側と外側のハーモニーが鑑賞者に楽し気な気分をもたらす、そんな作品です。

2つの窓の間(画面中央部)に見えるのは、実は鏡に映った室内(画家の視点の後ろ、奥の部屋)です。
つまりこの画面には、室内と海と背後の3つの異なる空間が描かれています。

またこの部屋はデュフィが尊敬してやまないアンリ・マティスが、かつてアトリエとして使用していた部屋でもありました。
マティスとのエピソードは後ほどご紹介します)

港町で育ったデュフィは、その海の青さから影響を受けました
そのため青色のバリエーションが豊かなのが特徴で、青色一つとっても様々な使い方をしており、デュフィ・ブルーと呼ばれる程です。

画家としてのスタート

1900年、デュフィが23歳の時にパリの国立美術学校「エコール・デ・ボザール」に入学します。
彼が画学生だった頃に影響を受けたのは、モネルノワールゴーギャンといった印象派の画家たちでした。
彼らは当時フランス絵画の最先端を走っていた画家たちです。

マティスとの出会い

アンリ・マティス(Henri Matisse1869-1954

1905年、デュフィ28歳の時に運命的な出会いが訪れます。
当時36歳のアンリ・マティスと出会うのです。
この頃マティスフォーヴィスムと呼ばれる絵画運動の旗手でした。

フォーヴィスムは原色を大胆に使った表現の絵画です。
それを見た当時の人は、それまでにない激しい色彩を見て、フランス語で野獣を意味する「フォーヴ」と呼びました。

フォーヴィスムの画家には、アルベール・マルケアンドレ・ドランらがいます。
デュフィフォーヴィスムの画家たちから強い影響を受けました。
そしてその影響を元に自らの画風を確立していきました。

ポール・ポワレとの出会い

デュフィが頭角を現したころのパリは「ベル・エポック」と呼ばれる、あらゆる芸術が花開いた時代でした。
それはファッションの世界にも及びました。
あのココ・シャネルがパリに帽子店を開いたのもこの頃です。

そんな時代の流れの中でデュフィもまた、モードやファッションの世界と深い関わりを持っていくのです。
グラフィックデザイナーとしての顔も持っていたデュフィはある人物から声を掛けられます。

アトリエのポール・ポワレ

画像出展元:ラウル・デュフィ展公式図録より

それはポール・ポワレという人物でした。
彼はアート界のピカソとも呼ばれるファッションデザイナーでした。

ポワレデュフィに布地のデザインを依頼します。
ここでデュフィのテキスタイル・デザイナーとしての才能が開花します。

イヴニング・コート《ペルシア》

イヴニング・コート《ペルシア》

画像出展元:ラウル・デュフィ展公式図録より

このコートはデュフィのテキスタイル・デザインを使って、ポール・ポワレが作ったイヴニング・コートです。
このコートは女優のイヴ・ラヴァリエールが身に纏ったことで、パリ中の注目を浴びました。

モノトーンで大ぶりな絵柄に、ゆったりとしたデザイン。
ポワレのファッションは、「コルセットからから女性を解放した」と言われており、まさにそれを体現したシルエットでした。

ポワレとの決別、その後

ラウル・デュフィポール・ポワレ
2人は二人三脚でファッション界に革命を起こしていきますが、その関係は長くは続きませんでした。
ポワレの元を去った後もデュフィは、テキスタイルデザインの仕事を絵画同様に重要な仕事として取り組みました。

絵画とファッション。
デュフィはその2つの間にあった壁を軽やかに飛び越え、独自のスタイルを確立しました。

パート1はここまでです。
パート2に続きます(こちらからご覧いただけます)

コメント

  1. […] 番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。 前回のパート1はこちらからご覧いただけます。 […]

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