ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》②

美の巨人たち

(前ブログ「masayaのブログ美術館」からのリライト記事になります)

「masaya’s ART PRESS」をご覧頂きありがとうございます。
前回に引き続き、ヨハネス・フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》の記事をまとめていきます。

前回のパート1はこちらからご覧頂けます。
ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》①

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イントロダクション:よく似たもう一人の少女

《ベアトリーチェ・チェンチの肖像》

それでは早速ですが、こちらの作品をご覧ください。
真珠の耳飾りの少女》とよく似ていると思いませんか?

頭にはターバンを巻き、こちらを振り返るようなその一瞬を捉えた表情。
何かを言いたげな口元まで、そっくりだとは思いませんか?

この作品はイタリア・ローマにある「バルベリーニ宮殿国立絵画館」にある作品です。
描いたのはフェルメールではありません
グイド・レーニという17世紀前半のイタリアで活躍した画家です。

このグイド・レーニが描いた《ベアトリーチェ・チェンチの肖像》は1600-10年頃の作品です。
《真珠の耳飾りの少女》が描かれるおよそ50年前です。

ベアトリーチェ・チェンチの悲しい生涯

描かれたベアトリーチェ・チェンチはローマに実在した少女で、今聞いても胸が詰まるような悲劇的な運命を辿りました。

ベアトリーチェはその美しい美ぼう故に、実の父親に監禁され暴力を振るわれていました。
ついに耐えかねたベアトリーチェは父親殺しを決行します。

しかし、罪は暴かれます。
当時は例えいかなる経緯があろうとも、親を殺すことは許されることではありませんでした。

ベアトリーチェに下された判決は「死刑」でした。

ベアトリーチェ・チェンチの肖像》で彼女の頭に巻かれたターバンは、刑執行の際に髪の毛で断頭台が滑らないようにするためのものでした。

フェルメールはベアトリーチェの話を知っていた?

1599年、ベアトリーチェ・チェンチは悲劇的な運命に翻弄され、22歳の若さで亡くなります。
その30年後の1632年にフェルメールは生まれています。

フェルメールは生涯故郷のデルフトから出たという記録がなく、イタリアに行ったことも、この《ベアトリーチェ・チェンチの肖像》を実際に目にした事も考えられません

しかし、知らなかったとは思えないほどよく似た二つの作品。
もし《真珠の耳飾りの少女》が《ベアトリーチェ・チェンチの肖像》から影響を受けたとするならば、どうやってフェルメールは知ることができたのでしょう。

そのカギとなるモチーフが、フェルメールの作品に頻繁に描かれていました。
それは「手紙」です。

この悲劇的な話は、当時急速に発達した郵便制度によってヨーロッパ中に知れ渡ったと言います。
当時から画家同士はテクニック等について手紙を通じて、頻繁にやりとりや議論をしていたと言います。
その中でフェルメール彼女の話と、そして作品の模写などを目にしていた可能性が十分にあるのです。

真珠の耳飾りの少女》はその悲話にインスピレーションを得て、描かれた作品なのかもしれないのです。

青いターバンの秘密


《真珠の耳飾りの少女》1665~1666年頃
ヨハネス・フェルメール
マウリッツハイス王立美術館蔵

さて、《真珠の耳飾りの少女》の話を戻しましょう。

《ベアトリーチェ・チェンチの肖像》の表情は悲しげですが、《真珠の耳飾りの少女》は悲しそうな顔はしてませんね。
その秘密は少女が巻いた青いターバンにあったのです。
そしてここにフェルメールの魔法、フェルメールマジックがあるのです。

ではもし仮にこのターバンが違う色だった場合、彼女の印象はどうなるでしょうか?

画像出展元:甲南大学同窓会ホームページより

甲南大学の名誉教授の辻田氏がある調査を行いました。

それはターバンの色を青以外に変えた時、「印象はどう変わるか」というものでした

の場合は、「上品・幼い・美しい」という結果に。
の場合は、「情熱的・派手・活発・明るい」という感想に。
黄色の場合は、「貧相・弱弱しい・庶民的」というマイナスよりのイメージに。

この調査ではターバンの色を変えただけで、顔の表情には一切手を加えていません
つまりここから言えることは、少女の表情は様々な感情を包括しており、その全てを青いターバンが包み込んでいるのです。

そしてその包み込まれた様々な感情が知らぬ間に見え隠れさせることで、少女をなんとも言えない魅力的な女性にしていたのです

フェルメールブルーとは

画像出展元:wikipediaより

フェルメール作品に度々登場する印象深い青色

彼の使う青色は、フェルメールブルーと呼ばれています。
これはラピスラズリという鉱石を砕いてできた、ウルトラマリンブルーという青色顔料を元にしています。

もちろん《真珠の耳飾りの少女》にも使われています。
大変貴重なもので、当時「金」と同等の価値があったというので驚きです

さいごに

いかがでしたでしょうか。
フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》。

私がこの作品を好きになったきっかけは、何気なくこの作品をスマホの待ち受け画面にしていた事でした。
ロック中の暗い画面からパッと少女が現れた瞬間に、まるで今振り返ったかのようにドキッとしてしまい、この絵の虜になりました

ぜひ一度試してみてください。

本当にドキッとしますよ(笑)

日本でこの作品を見る機会があればもちろん喜んで行きますが、いつかはオランダに行って現地でこの作品を見てみたいものですね。

最後までご覧頂きありがとうございました(*^^*)

コメント

  1. […] パート1は一旦ここまでです。 ところでこちらの《真珠の耳飾りの少女》とよく似たこちらの作品、ご存じでしょうか? パート2ではこの絵と《真珠の耳飾りの少女》の関係についてご紹介していきます。 ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》② […]

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