【アートステージ】ジョルジョーネとデューラー【美術番組まとめ】

アート・ステージ

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画家アルブレヒト・デューラー

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

そんなヴェネツィアに一人の若き画家がドイツからやってきました、
後の北方ルネサンスの巨匠、アルブレヒト・デューラー(1471~1528)です。

彼の画風は厳密な描写と、精神性豊かな世界がその特徴です。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

ヴェネツィア派の明るく官能的な画風と、デューラーのそれとは繋がりがないように感じられます。
デューラーはヴェネツィアで何を学び、どのような影響を受けたのでしょう。

じつはヴェネツィアこそ、彼の才能を開花させるのに、大きな役割を果たしていたのです。

北方絵画の一例:ヤン・ファン・エイク作《アルノフィーニ夫妻の肖像』

デューラーが生まれ育った北方の絵画は、静かで落ち着いた雰囲気の作品が主流でした。

ヴェネツィア派絵画の一例:ティツィアーノ《バッカスとアリアドネ》

一方、ヴェネツィアでは対照的に明るい色彩で生き生きとした表現の作品が人気でした。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

また、イタリアでは科学的な視点から人体や遠近法について研究していました。
この斬新な考えた方も、デューラーに深い影響を与えました。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

さらにドイツと大きく違った点に、”画家の地位”がありました。
ドイツでは画家は低い地位とされていたのに対して、イタリアでは画家に高い地位が与えられていたのです。
この事もデューラーを勇気づけました。

デューラーは知識やテクニックだけではなく、芸術家としての誇りも身につけ帰国したのです。

故国に戻ったデューラーは、イタリアから持ち帰ったものを北方の伝統に取り入れて、唯一無二の画風を確立します。

デューラー《四人の使徒》


《四人の使徒》1526年
アルブレヒト・デューラー
ドイツ、アルテ・ピナコテーク蔵

そんなデューラーの集大成ともいえる作品がこちら。
1526年に完成した最後の大作《四人の使徒》です。
ヴェネツィアで修業した成果が存分に発揮されています。

描かれているのは、キリストの四人の弟子たち。
ほぼ等身大の姿です。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

四人の弟子たちはそれぞれ人間の4つの性格を表しています。
右端のパウロは「知的な創造性」を、その隣のマルコは「攻撃性」をそれぞれ象徴しています。

画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より

うつむいた老人のペテロは「勤勉な粘り強さ」、赤い服をまとった青年ヨハネは「行動力」を示しています。

この4つの人間観はヨーロッパに伝わるもので、4つの気質の統一とバランスが、人間の全体像を作ると考えられていたのです。

この作品が描かれた当時は、カトリックとプロテスタントの争いの真っ只中でした。
それを踏まえると、なおこの作品の意味が深く感じられます。


この作品でデューラーは目には見えない、”人間の内面”を視覚化しています。

北方の精密で静謐な絵画の伝統。
イタリアの科学的な視点や、生き生きとした人体表現。
そしてヴェネツィア絵画の色彩感覚。

これら全てが注ぎ込まれた、デューラーの集大成的作品です。

さいごに

今回取り上げたのはヴェネツィア・ルネサンスの天才ジョルジョーネと、北方ルネサンスの天才デューラー

同じルネサンスでもヴェネツィア派とフィレンツェのそれとは大きく異なります
明るく華やかな色彩がヴェネツィア派の特色です。
自由貿易都市で風光明媚な港町だったヴェネツィア、その土地柄が大きく影響していると考えられます。

ジョルジョーネは三十数年という短い生涯の中で、その明るさや色彩を描く基礎を確立しました。ヴェネツィアでは女性たちを、華やかに、そして艶やかに描いています。
これも港町ヴェネツィアならではのものだったのかもしれません。

一方、デューラーはヴェネツィアへ、修行のために二度訪れています。
「二人の天才、ジョルジョーネデューラーはもしかしたら出会っていたかもしれない」美術監修の藤ひさし先生は言います。

ジョルジョーネティツィアーノの作品を見たデューラーはきっと驚いた事でしょう。

今回の記事はここまでになります

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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