2019年11月11日にwowow(無料放送)で放送された【ゴッホ展特別番組「ゴッホ知ってますか?」後編】の回をブログにまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
前回のパート2はこちらからご覧頂けます。
【まとめ】ゴッホ知ってますか?②【ゴッホ展特別番組】
パリを離れてアルルへ
パリで印象派の絵画や、日本の浮世絵と出会い自らの画風を大きく変えたゴッホ。
しかしある時からゴッホは南仏に行く事を考え始めます。
そして1888年の2月にパリを離れて、南仏の田舎町アルルへと向かうのです。
この時ゴッホは35歳。
ゴッホが芸術の都を離れ、なぜアルルを目指したのか詳しい理由は分かっていません。
しかし、ゴッホはアルルに向かう道中でゴーギャンにこのような手紙を書いています。
「南仏に向かう列車の中で 自分はもう日本に行くのだと 思っていた」
ゴッホの日本への憧れ
どうしてゴッホはゴーギャンへの手紙の中で「日本」というワードを使ったのでしょう?
ゴッホは「日本」を浮世絵の中と同じような世界だと思っていました。
また当時はパリで日本美術が大流行していました。
日本について書かれた文章も数多くあり、その中で理想郷や楽園のようにかなり美化されて紹介されていたのです。
その影響を受けたゴッホも「日本はめっちゃ美しいところ!」と思い込んでいたのです。
ただ実際に日本に行く事はできないので、その代わりとなる所ということでアルルをチョイスしたのです。
またゴッホは日本という土地だけでなく、日本人も理想的な人だと考えていました。
「自然の中に自分が花であるかのように生きていて、真の宗教を実践している人々」
これがゴッホが我々日本人に持っていたイメージでした。
ゴッホがアルルで夢見た芸術家たちの共同生活
《黄色い家》1888年
フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホ美術館蔵
*「ゴッホ展」には出品されておりません。ゴッホはアルルで「ある夢」を実現させようとします。
この《黄色い家》その理想の実現のためにゴッホが借りたアパートでした。ゴッホは友人たちに声をかけ、集まる彼らのために12脚の椅子を用意しました。なぜ12脚なのかはよく分かっていませんが、一説には信仰心の篤いゴッホなので、キリストの使徒の12人から取ったという説もあります。
《自画像》1888年
ゴーギャン
ゴッホ美術館蔵
*「ゴッホ展」には出展されていません
しかし、実際にアルルにやってきたのはゴーギャンただ一人だけでした。
12脚も椅子を用意したのに・・・
つら!
そんなゴーギャンは、黄色い家の壁に飾らていたゴッホの作品を絶賛します。
《ひまわり》1888年
フィンセント・ファン・ゴッホ
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
*「ゴッホ展」には出展されていません
それがあの有名な《ひまわり》でした。
他人の作品をあまり褒める事のないゴーギャンが、「これこそ花だ」と絶賛したと言います。
この絵自体を欲しがっていたゴーギャンのために、ゴッホは《ひまわり》を再度描きますが、色々あってゴーギャンの手元に渡ることはありませんでした。
ちなみに《ひまわり》を描いた作品は全部で10作品残っています。
《ひまわり》1888年
フィンセント・ファン・ゴッホ
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館蔵
*「ゴッホ展」には出展されていません
そのうちの一枚が日本にあります。
新宿にある美術館(東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館)が所蔵する《ひまわり》です。
そのお値段はなんと、当時(1980年代)のオークションで58億円でした!(◎_◎;)
ちなみに今もしオークションに出された場合、100億円超えるとのことです(◎_◎;)
パート3はここまでです。
パート4の次でラストになります。
【まとめ】ゴッホ知ってますか?④【ゴッホ展特別番組】
コメント
[…] 前編の放送はここまででした! 続いて後編へ(^^)/ 【まとめ】ゴッホ知ってますか?③【ゴッホ展特別番組】 […]
[…] 見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪ 前回のパート3はこちらからご覧頂けます。 【まとめ】ゴッホ知ってますか?③【ゴッホ展特別番組】 […]