2020年5月13日にNHKにて放送された「歴史秘話ヒストリア」の【正倉院宝物 守られた奇跡の輝き】の回をまとめました。
今回の記事はパート4になります。
前回のパート3はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
宝物を守った倉と箱
それではなぜ正倉院宝物はその1300年前の輝きを今でも保っているのでしょうか。
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
その理由の一つは正倉院自体にあります。
正倉院は幅33メートル、高さ14メートルの総檜造りの建物です。
この倉の中で宝物は一点一点杉の箱に収められ、保管されてきました。
じつはこの倉と箱の二重構造が宝物の美しさを守るための秘訣でした。
そのポイントとなるのが湿度です。
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
一年に渡り、外気・倉の中・箱の中の湿度変化を調査しました。
その結果外気の湿度が大幅に変化しても、倉の中ではその変化の幅が小さくなり、さらに箱の中では湿度はほぼ一定である事が分かりました。
宝物の中には漆を使った品もあり、急激な湿度変化が起こると漆が割れてしまう事もあります。
ですので湿度が安定しているというのは、宝物を守り伝えるにあたって非常に重要な事なのです。
鳥毛屏風の痛み
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
こちらはパート2でご紹介した《鳥毛立女屏風》。
唐の女性の姿が描かれた見事な屏風です。
こちらの一番左の屏風に注目してみてください。
他の5枚と比べて色味が違うと思いませんか?
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
そして女性の顔の周辺だけが茶色がかっています。
じつはこの茶色の部分がオリジナルの部分で、それ以外は損傷が激しかったため江戸時代に描き直された部分なのです。
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
またこの屏風を高精細映像で拡大すると、鳥の羽が屏風に付けられているのが分かります。
この宝物が作られた当時は、鳥の羽が女性の服全体に付けられていたと考えられています。
だから《”鳥毛”立女屏風》なのですね!
しかし1300年という歳月の間にそれらははがれ落ちてしまったのです。
修理された五弦琵琶
明治に入ると大規模な宝物修理が行われました。
パート3でご紹介した《螺鈿紫檀五弦琵琶》もこの時に修理がなされました。
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
こちらは江戸時代の末に描かれた、当時の《螺鈿紫檀五弦琵琶》の裏面の状態です。
白く模様が描かれていない所は螺鈿が失われていました。
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
明治になりその失われた部分に、新しい螺鈿が貼り付けられました。
他の螺鈿の部分に比べると、やや明るく彫り込み線が白いのが分かります。
これは後の時代の人が見た時に、オリジナルの部分と後から補った部分の判別ができるようにするという意図があります。
継ぎはぎの鏡《平螺鈿背円鏡》
画像出展元:「宮内庁ホームページ」より
正倉院宝物《平螺鈿背円鏡(へいらでんはいえんきょう)》。
この宝物は数世紀に渡るリレーによって復活しました。
一見するとたいへん豪華で綺麗な鏡ですが、その裏側はというと・・・
画像出展元:「宮内庁ホームページ」より
このように継ぎはぎだらけになっています。
じつは鎌倉時代に盗賊が倉から盗み出し、売りさばくために割ってしまったのです。
なんていうことを!
というか正倉院に盗賊が入ることなんてあったのですね!
じつは盗賊に入られた事は記録に残るだけで3回あったといいます。
そして犯人はいずれも正倉院に関わる僧侶であったとか。
《平螺鈿背円鏡》に話を戻しましょう。
その後それらの破片は取り戻され、そのままの状態で大切に保管されてきました。
その時代では修復ができなくても将来直せるかもしれない、と当時の人は考えたのかもしれません。
そしてその思いは600年後の明治の宝物修理の際に実を結びます。
5つに割られていた鏡が1つにつなぎ合わされ、今日見られる姿になったのです。
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
後の時代の人が見て、この宝物がいつ修復されたのかが分かるように「明治30年5月これを補修する」と記載がされています。
《紫檀木画槽琵琶》
正倉院事務所では近年科学調査に力を入れています。
使われている素材の特定をして、将来の修理に役立てようという試みです。
画像出展元:「宮内庁ホームページ」より
こちらの《紫檀木画槽琵琶(したんもくがのそうのびわ)》。
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
この琵琶の表面の絵には宴会を楽しむ人々や、獲物を運ぶ人、虎の狩りをする人々の姿が生き生きと描かれています。
この宝物の表面の絵は経年により黒ずみ、元の色彩が失われていました。
そこで絵の表面にX線や赤外線を当てて、絵具の素材を特定する作業が行われました。
そこから元々の色がどのようなものだったのかが分かるといいます。
正倉院事務所では、それらの科学調査の情報に基づいて絵の復元に取り組みました。
日本画の模写の専門家の手によって、よみがえった当時の色彩がこちらになります。
画像出展元:テレビ番組「歴史秘話ヒストリア」より
そこには鮮やかな服を着て狩りをする人々。
川や丘の風景も色彩豊かであったことが分かります。
『宝物の詳細を知る』
そのことが未来につなぐ重要な助けとなるのです。
決して”今”というこの瞬間が最先端ではなく、未来から見た時に過去になる”今”という考え方が、正倉院宝物をこれまでの1300年、そしてこれから先も守り伝えていく事になるのです。
今回は以上になります。
最後までご覧頂きありがとうございました!
コメント
[…] 今回は一旦ここまでです。 続くパート4では、どのようにして1300年もの間、宝物が輝きを伝えてくる事ができたのか見てまいります。 こちら☚からご覧いただけます。 […]