2017年10月21日にテレビ東京にて放送された「美の巨人たち」の【国宝シリーズ③ 「曜変天目(稲葉天目)」】の回をまとめました。
この記事は後編(パート2)になります。
前編(パート1)はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
七色の輝きの謎の製法
現存する《曜変天目》は3点しかないというのはパート1でもお話しましたが、ではどうしてそんなに数が少ないのでしょうか。
それはこの輝きが、作り出そうとして作り出せるものではないからです。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
その製法の謎を解き明かそうと挑戦しているのが桶谷寧さんです。
曜変天目の第一人者として注目を浴びる陶芸家です。
桶谷氏によると、曜変天目は焼き物として驚異的だといいます。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
こちらは桶谷氏が作った「平成の曜変天目」です。
それまで石黒宗麿氏や清水卯一氏といった人間国宝の陶芸家でさえ、再現できなかった曜変天目の輝きが見事に再現されています。
では、どのようにこの模様を作り出したのでしょうか。
一般的な窯は薪を使って焼きます。
薪を入れた窯に火を入れて、ゆっくりと温度を上げて焼き上げるのです。
しかし「曜変天目」の場合は薪ではなく炭を使うといいます。
炭を使う事で、一気に温度が上がるといいます。
桶谷氏は高温の窯に水を入れた後、冷却するときの状態によって様々な斑紋が出来上がる事を発見しました。
急激な温度差を作る事で酸欠状態になり、禾目天目や油滴天目が生まれます。
そしてその試行錯誤の中で、まれに曜変天目が出来上がったといいます。
その確率は100個焼き上げて1個できるかどうかという確率だそうです。
曜変天目の製法に近づいてはいるものの、まだ偶然頼みの部分が多いのです。
画像出展元:テレビ番組「美の巨人たち」より
国宝の《曜変天目》では出来ないことを、桶谷氏の作品で試してみます。
ここでは曜変天目に水を入れています。
そうすると黒い斑紋の周囲の藍色が明るく発色しているように見えるのです。
過去の所有者・権力者たちもこのように輝く状態で茶を飲んだのでしょうね。
曜変天目に秘められた物語
この曜変天目には、あるエピソードがあります。
最後にそちらをご紹介します。
事の始まりは徳川三代将軍の家光が25歳の時でした。
この年、家光は天然痘にかかり生死の境を彷徨います。
そこで春日局(かすがのつぼね)は、薬断ち(生涯病気になっても薬を飲まないこと)を誓って家光の回復を願ったのです。
春日局は三代将軍家光の乳母に召し抱えられ、江戸大奥を取り仕切った事で知られる人物です。
そして家光は、春日局の祈りや献身的な看病により回復します。
それから14年後、今度は65歳の春日局が病で倒れてしまいます。
周りの人は薬を飲むように勧めますが、薬断ちの誓いを守り決して飲もうとはしませんでした。
そんな春日局に心を痛めたのが家光でした。
「自分が天然痘の時に薬断ちを誓ったせいで、薬を飲んでもらえない。何とか薬を飲んでもらう方法はないだろうか」と考えた家光は、薬とともに《曜変天目》を春日局に贈ったのです。
中国から伝わった茶を服する行為は、薬を飲むことでした。
ならば日本一の最高の茶碗を用いれば、春日局も断れないだろうし、命もまた救えるはずだと家光は考えたのです。
こうして《曜変天目》は春日局の手に渡り、嫁ぎ先だった淀藩主・稲葉家が守っていく事になったのです。
だから、別名が「稲葉天目」なのですね!
masaya’s eye
僕はこの《曜変天目》を2019年の5月、静嘉堂文庫美術館で開催されていた展覧会「日本刀の華 備前刀」で鑑賞しました。
第一印象は「思ったよりも小さいな」でした。
でもその小ささの中に無限の宇宙が広がって、引き込まれるような迫力があったのを覚えています。
また、見る角度によって青色だったり虹色だったりと色が変わる様もたいへん綺麗でした。
室町時代から欠損することなく、変色もなく現代まで残っている事に驚きました。
ずっと大切にされ今に伝わるその姿はまるで宝石のようでした。
また2018年の春はこの静嘉堂文庫美術館の《曜変天目》をはじめ、全3点が同時期に公開されており、他2点の曜変天目も見てみたいなと思いました。
今回の記事は以上になります。
最後までご覧頂きありがとうございました!
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