2026年4月7日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【古信楽の壺「蹲」/アルフレッド・シスレーの風景画】についてまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
*画像出展元:テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」より
素朴な味わい 古信楽

Appleの創業者で日本美術の愛好家スティーブ・ジョブズが来日した際、古信楽の『蹲』を見てこう語ったという。

「この自然なカーブを見ると、とてもいい気分だ。柔らかで、ロマンチックだ。こういうなだらかな肩の感触を、私の製品にも取り入れたい」

中世から現代まで続く日本を代表する窯、いわゆる六古窯(ろっこよう)。

信楽焼もその一つで、特に室町時代までに作られたものを「古信楽」と呼ぶ。

その始まりは、13世紀・鎌倉時代後期。
琵琶湖の地層から採れる良質の粘土を用い、大きな穴窯で壺や甕(かめ)などが大量に作られた。

紐状にした土を巻き上げて作るため形は歪だが、荒い土肌は通気性に優れ、茶葉や種の保存に適していた。

大壺などは口と底を小さくして、虫や湿気の侵入を防ぎつつ、収容量を多くするために胴を大きく膨らませている。

そのほとんどは日用雑器であり、当然装飾には無頓着であった。

ところが鉄分の少ない白土は焼き上げると…

火色と呼ばれる得も言われぬ赤褐色に変わり、

窯の中で降りかかった灰は、素地の中の長石の粒と共に溶け、鮮やかなビードロ釉となる。

焼きしめの際、石粒が表面に顔を出したものは石ハゼといい、

これも一つの景色として高く評価された。

そのすべては偶然の産物で、いわゆる天工によるものであり、作為のなさがかえって見る者を惹きつける。

その魅力にいち早く気づいたのは、千利休ら桃山時代の茶人たちであった。
茶人を魅了した 古信楽「蹲」

中でも二重口(ふたえぐち)で、ずんぐりした小さな壺は、人がうずくまっている姿に似ていることから、「蹲(うずくまる)」と呼ばれ、花入れや床飾りとして珍重された。

おもに種入れなどの貯蔵用として制作されたものだが、こじんまりした佇まいは、茶室という狭い空間をより引き立てたのである。

その多くは高さ20センチほど。

肩の部分に平行線に挟まれた連続模様の檜垣文が刻まれているものも。

これは一説によると、壺の中身を守る魔除け、あるいは結界を意味すると言われるが定かではない。
室町時代の名品!? 古信楽「蹲」

改めて依頼品を見てみよう。
古信楽の「蹲」で、高さは18センチ。

胴のほぼ一周に大きく檜垣文が刻まれており、

石ハゼや灰かぶりの窯変がいかにも信楽らしい。

「蹲」はその人気の高さゆえ、近代の写しも多いが…
果して鑑定やいかに?
名品500万円!!


500万!すごい!

「室町時代中期に焼かれた古信楽の壺『蹲』です」

「安定した口のところが二重(ふたえ)になっている」

「あとは肩の丸みとか、刻まれた檜垣文。どれもですね、この時代のものであるということを語っていいる」

「正面のところに植物の灰が降りかかって、自然に生じた釉薬(うわぐすり)が付いている」

「あとは焦げたようなザラザラっとしたところもある」

「小さな壺の中に豊かな景色がある、名品と思います」
印象派の中の印象派 アルフレッド・シスレー
栃木県の美術館が買ったというニュースがあった。


《冬の夕日》というシスレーの絵が3億6000万円。

新緑が眩しい牧場。

水面が揺れるセーヌ川。

雪雲に覆われた村。
これらの作品に派手さはないが、叙情にあふれ見る者の心を和ませる。

画家の名はアルフレッド・シスレー。
「印象派の中の印象派」と仲間に称賛された。

多くの印象派の画家が後に成功、名声を手にしたのに対し、シスレーは1人孤独と貧困のうちに散った画家であった。

1839年、パリ在住の裕福なイギリス人家庭に生まれる。

後に印象派の巨匠となるモネとルノワールに出会ったのは、20代の初め。

同じ画塾に通っていた3人は、パリ郊外のフォンテーヌブローの森に出掛けて制作に励んだ。

彼らが目指したのは自然の一瞬の輝きを、目と心で感じ取った印象そのままに描くこと。

最大の課題は、光や大気を色でどう表現するかであった。
絵の具は混ぜると色が濁ってしまうので、それでは光や大気の透明感は表現できない。

そこで彼らは絵の具をパレットで混ぜず、キャンバスの上で、細かな点や線を重ねるという新たな技法を生み出した。
この技法を「筆触分割」という。

シスレーは27歳でサロン・ド・パリに入選するも、翌年は落選。
絵は全く売れず、生活は困窮した。

更に30歳のとき、父が経営する貿易会社が破綻。

後ろ盾をなくし、妻と幼子2人を抱えたシスレーは路頭に迷い、やむなくパリを去った。

失意と孤独を癒したのは、のどかな田舎の風景だった。

セーヌ川の土手や小道をひたすら歩き、気に入った場所があれば、夏の日も雪の日も、イーゼルを立ててひたすら描いた。

シスレーの自然を見る目は鋭かった。

例えば同じ雪でも光の加減で白さがまったく異なることをつぶさに捉えた。

とりわけこだわったのが”空”である。

シスレーの言葉である。
「空は決して単なる背景ではない。それは画面に奥行きを与えるだけでなく、画面に動きを生み出すことができる。光と質感のすべてを与えてくれる源なのだ。私はいつも空から描き始める」

秋の気配漂う高台の村。
日が落ちかけた空は青白く光り、大地は深い静寂に包まれている。

道行く農夫は籠を抱え、右手で子どもの手を引いているが、その姿をほんの数回の筆さばきだけで表現。
シスレーの並外れた力量がうかがえる。
しかし絵は依然として売れなかった。

その一方で旧友たちは徐々に注目を集め、モネは現実を超越した色彩を。

ルノワールは人物画を取り入れ、スタイルの転換を図ったのである。

一人取り残されたシスレーは、若いこ頃に通ったフォンテーヌブローにほど近いモレ=シュル=ロワンに転居。

生活は困窮を極めたが、それでもスタイルを変えず、ありのままの風景を描くことだけに集中した。

その結果、色彩はより明るく、タッチも多彩になっていった。

59歳で癌を患い死去。

死の直前、シスレーの2人の子供の世話を託されたのはモネであった。

モネはその遺志を果たさんと、翌年シスレーの作品を競売にかけたところ、買い手が殺到。

生前180フランだったこの作品は、なんと200倍以上の43,000フランで売却された。
生前一度も得ることができなかった莫大な報酬と、称賛の声が集まったのである。
アルフレッド・シスレーの風景画

改めて依頼品を見てみよう。
シスレーの風景画である。

夕暮れ時なのか夏雲が浮かぶ空はほのかに赤く染まり、

川の水面はわずかに揺れながら木立を映している。

土手には色とりどりの花が。

サインに1878年とあることからすると39歳の作か?
果して鑑定やいかに?
残念 偽物!!


なんと1,000円!

「残念ですが、まったくの偽物です」

「色使い、それから筆のタッチ。全然違います」

「本物の作品というのは、描かれている時間帯がわかる。これは朝の空気だなとか、夕方に近い光の感じだなとか」

「単に風景を描いているというわけではなくて、空気を描いているんですね」

「それからほとんどの場合、シスレーの絵は主役というものがないんですよ」

「空も川も木も、全体が1つの空気というものを表しているんですね」

「ところがこの絵(依頼品)は、右手前の花なんかが装飾的でですね、ちょっと見せ場を作っちゃっているような」

「これはシスレーはやらないです」

「ちなみにこの絵がもし、本物のシスレーの絵だとすれば3億円」
今回の記事は以上になります。
