2024年11月10日にテレビ東京にて放送された「新美の巨人たち」の【モネ「睡蓮の庭」×田辺誠一】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
巨大な絵に挑む
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
モネは睡蓮の連作を、新しい展示方法で鑑賞者に見てもらおうと試みます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
光と大気を捉えた《睡蓮》の絵で壁一面を覆いつくそうとしたのです。
そのため絵のサイズも必然的に大きくなっていきました。
国立西洋美術館・研究員の山枡あおいさんは次のように話します。
「大装飾画を追求する中で空間的な規模が大きくなってくる。水と空と木のモチーフ、そういう自然のあらゆるもの、森羅万象が一体になって凝縮されているような空間を(モネは)実現したかった」
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
今回の展覧会、国立西洋美術館のこちらの展示室は、上から見ると楕円形の形をしています。
これは当時のモネこだわりの展示方法で、後述するオランジュリー美術館のモネの部屋もこの形をしています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
楕円形は”睡蓮の池の形”をイメージしているのです。
鑑賞者はこの部屋を訪れると、まるで睡蓮の池の周りを巡っているような、そういう感覚を追体験できるのです。
「没入感を味わってほしい」というモネの思いがそこにありました。
パリで実現した夢
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
モネのその思いは今からおよそ100年前のパリで形になっていました。
その舞台はオランジュリー美術館。かつてはオレンジを栽培する温室でした。
1927年、モネの《睡蓮》の連作を展示するために美術館は改修工事が行われました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
《睡蓮》の大装飾壁画が真っ白な楕円形の部屋に展示されています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
絵の大きさは縦はすべて2メートルで、横幅は6メートルから17メートルまであります。
鑑賞者の周りを360度、睡蓮の池が取り囲んでいます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
天井からは自然光が降り注ぎます。
まるで屋外で睡蓮を見ているような感覚になります。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
モネはこの展示室が完成する前に亡くなってしまいます。
忘れられた画家
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
モネが亡くなった後、彼の作品世に広げるために奔走したのが、友人でもあったジョルジュ・クレマンソー元首相でした。
ある時、クレマンソーはオランジュリー美術館のモネを称える部屋を訪れました。
そこで思わぬ光景を目にします。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
モネの部屋は、人気のない場所を求めるカップルにとって絶好の場所と化していたのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
モネの絵を目当てに来る人はおらず、時には物置のように使われることもあったといいます。
今となっては考えられないことですね!
こうなった理由について三菱一号館美術館・上席学芸員の安井裕雄さんは「簡単に言うと、モネは時代遅れになっていた」といいます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
この時代、新しい絵画が続々と登場していました。
1905年、マティスのフォービスムの運動が起きます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
その2年後、1907年にピカソが《アヴィニョンの娘たち》を描きキュビスムが始まります。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
新しい絵画が登場する中、壁画という形態も時代遅れの要因でした。
これらの理由から、当時のモネの展示室は閑散としていたと考えられるのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
自然光の入る屋根も改修され、ふさがれてしまいました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
こうしてモネは忘れ去られた画家となっていったのです。
モネにそんな時代があったなんて驚きですね!
そんなモネですが、その後ある意外な理由で復活を遂げるのです。
復活の裏に現代アート
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
こちらはモネ晩年の一枚です。
私たちがイメージするモネの絵とはかけ離れているように感じます。
タイトルは《日本の橋》。
じつはこの絵を描く約20年前に、ほとんど似た構図の作品をモネは描いていました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
2枚を比較するとその違いは一目瞭然です。
池の上に架けられた太鼓橋はほとんど形をとどめておらず、色彩も赤色に傾き、また筆致も荒々しいものになっています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
じつはこの頃、モネの目は白内障を患っていました。
見るものの輪郭はぼやけ、色の知覚も正確に捉えられなくなっていたのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
しかしその病が結果的に、それまでにない絵画を生み出したのです。
ではこの作品がなぜモネの再発見につながったのでしょう?
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
その舞台となったのはモネが亡くなって30年後のアメリカでした。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
当時、アメリカのアート界を席巻していたのは、ジャクソン・ポロックやサム・フランシスらの激しいタッチの抽象絵画でした。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
彼らは”アクションペインティング”と呼ばれる手法で作品を生み出していましたが、晩年のモネは作風はそれの先駆的存在と捉えられたのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
「鮮烈で鮮やかな色彩と、激しいタッチというのは当時のアクションペインティング、そういった作品とも結び付けられて再評価がなされました」(山枡あおいさん)
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
フランスの前衛画家アンドレ・マッソンは、オランジュリー美術館のモネの部屋を見て、次のような言葉を残しています。
「フランスの天才の最高傑作の一つ。これは印象派のシスティーナ礼拝堂だ」
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
こうして忘れ去られた画家となっていたモネは、再び世間から注目を集める画家となったのです。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
オランジュリー美術館のモネの部屋は世界中から人々が訪れる、パリの観光名所になっています。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
モネの「睡蓮の部屋」には、訪れた人を不思議な感覚にするものがあるといいます。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
池の水面というのは通常地面に対して平行に、水平に広がっています。
それが壁に架けられ立ち上がっている、
それにより鑑賞者はまるで”自分がまさに水の中にいるような錯覚”を覚えるといいます。
時代も国境も超えて
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
モネは日本に強い関心を寄せており、その美からも強い影響を受けていました。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
そして現代の日本人にもモネは大人気です。
日本でモネの展覧会は開かれるたび、いつも大盛況です。
画像出展元:テレビ番組「新美の巨人たち」より
何枚もの《睡蓮》が海を渡り、ここ日本の美術館が所蔵しています。
国境も時代も超えて、モネの絵は今も多くの人を魅了しているのです。
今回の記事はここまでになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。