2021年1月23日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【ラファエロ 美の規範となった「聖母の画家」】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
イントロダクション
こちらの二人の天使の絵。
ご覧になった事がある方も多いのではないでしょうか。
じつはこの天使たちは《システィーナの聖母》という作品の一部で、ルネサンスの巨匠・ラファエロが描きました。
《システィーナの聖母》1513-1514年頃
ラファエロ
ドイツ、 アルテ・マイスター絵画館蔵
作者のラファエロ・サンティ(1483~1520)は「聖母の画家」と呼ばれました。
彼の死後、その作品は長きに渡り、西洋絵画の美の規範とされてきました。
今回は見る者を魅了し続ける、ラファエロの聖母像の秘密についてまとめていきます。
ラファエロ《小椅子の聖母》
《小椅子の聖母》1514年頃
ラファエロ
イタリア、パラティーナ美術館蔵
ラファエロはその生涯で50点を超える聖母子像を描いたといわれています。
その中でも最高傑作の呼び声が高いのが、この《小椅子の聖母》です。
画面中央で抱き合うのは聖母マリアと、愛くるしい表情の幼子イエスです。
我が子に頬を寄せる聖母、こちらに向けられたその眼差しは慈愛に満ちています。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
ラファエロは37年という短い生涯に数々の傑作を残しました。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
ラファエロの作品は死後、版画となりヨーロッパ中の人の目に触れます。
”普遍的な美を完成させた画家”として、以降長きに渡り西洋絵画の規範となりました。
ルーベンス、アングル、ルノワールなど名だたる巨匠たちが、究極の女性美を追求しようとした時に学んだのがラファエロでした。
ではなぜラファエロの聖母子像は、そこまで多くの人を魅了したのでしょうか。
《小椅子の聖母》からその秘密を見ていきます。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
この作品は「トンド」と呼ばれる円形型に描かれています。
ですので、よく見てみると聖母の座り方がどこか不自然です。
しかしパッと見の印象では違和感は感じられず、不自然さは目につきません。
そこにはラファエロによって緻密に計算し尽された画面構成がありました。
聖母の顔~肩~腕と流れる半円形の曲線。さらにイエスの腕から太ももに続く体の曲線。
それら2つの曲線が中央で絡み合うことで、画面に安定感をもたらしているのです。
母子の親密さをより伝わるこの構図は、座り方の不自然さえも払拭しています。
また色彩構成もしっかりと計算されています。
聖母が身にまとっている赤色の袖と足元の青色の布。
そして幼子イエスの黄色の衣服によって、「赤・青・黄」の三原色が効果的に配されているのです。
さらにそこに緑色のターバンが補色として、作品に温かな印象を加えているのです。
ラファエロの緻密な計算が込められた《小椅子の聖母》。
けれども作品からは計算づくの冷たさは感じられず、むしろ鑑賞者に温かさを与えます。
作品からあふれ出る愛情や優しさこそ、ラファエロ作品の最大の魅力なのです。
フィレンツェでの出会い
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
ラファエロは修業時代から才能を発揮しました。
そんな彼は21歳の時にフィレンツェへ向かいます。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
当時のフィレンツェはレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロも活躍する、芸術の最先端の大都会でした。
ラファエロもこの二人に会うためにフィレンツェを訪れたのです。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
ラファエロが訪ねた当時、52歳だったレオナルド。
この頃は《モナ・リザ》の制作に取り掛かったばかりの頃でした。
レオナルドは自分を慕って会いに来たラファエロをかわいがったといいます。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
ラファエロは制作途中の『モナ・リザ』の模写を残しています。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
もう一人の天才、ミケランジェロはこの時29歳。
彼もまた、あの有名な『ダヴィデ像』の制作途中でした。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
ラファエロはその過程をじっくりと観察し、ミケランジェロの人体表現を学びました。
しかしレオナルドとは対照的に、ミケランジェロはラファエロの事を煙たがったといいます。
ラファエロ《ひわの聖母》
《ひわの聖母》1506年頃
ラファエロ
ウフィツィ美術館蔵
続いての作品は《ひわの聖母》。
ラファエロ22歳頃の作品です。
牧歌的な風景を背に中央に座る聖母マリア。
向かって右側には幼子イエス。
その隣で茶色の衣をまとい、鳥を差し出しているのが洗礼者ヨハネです。
タイトルにある「ひわ(鶸)」とはヨハネが手にしている鳥のことを指します。
この作品にはレオナルド、そしてミケランジェロ、それぞれから学んだものが活かされています。
体をひねり、ひわに手をかざすイエスの人体表現はミケランジェロの影響が見られます。
背景に広がるイタリアの田園風景。
ここにはレオナルド・ダ・ヴィンチから学んだ空気遠近法が用いられています。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
描かれている三人は聖母マリアを頂点に「三角形の構図」になっています。
これにより、画面には安定感がもたらされています。
そしてその三角形の中心に描かれた「ひわ」。
ひわはキリストの受難を象徴する鳥です。
聖母マリアの穏やかな眼差しは、イエスだけではなく、人類の苦難までをも優しく癒してくれるかのようです。
ラファエロの人物像
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
37歳という若さで亡くなったラファエロは、心優しい人物で皆に好かれていたといいます。
ローマ教皇ユリウス2世に愛され、若くしてバチカンの主任宮廷画家になります。
多くの弟子を引き連れて街中を闊歩する姿は、女性たちの羨望の的でした。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
ラファエロは女性からとてもモテたと言われますが、彼には最愛の女性がいました。
しかし様々な理由により、結ばれる前にラファエロが亡くなってしまうのです。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
「フォルナリーナ」という愛称で呼ばれた彼女の姿を、ラファエロは作品に残しています。
この《ヴェールを被った婦人の肖像》では、花嫁衣装をまとわせています。
ラファエロのフォルナリーナへの優しさが感じられる作品です。
その後ラファエロは37歳という若さで亡くなります。
原因は流行り病だと考えられています。
若くして亡くなってしまったラファエロですが、美術史上最も輝かしい美の世界を創ったといわれています。
彼の死をもって、盛期ルネサンスの終焉とされています。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
ルネサンス以降、絵画はマニエリスム、そしてバロックへと移っていきます。
ラファエロの遺作といわれる《キリストの変容》にはマニエリスムの要素が含まれていると言われており、ラファエロの非凡さを今に伝えています。
ラファエロは「美しい女性を描くために、私は心の中の理想を描きます」と語っています。
彼が描いた優しさにあふれる絵画は、厳しい時代の大きな救いになったともいわれているのです。
今回の記事はここまでになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。